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東京夜探偵 69 谷根千 〜夜のお稲荷さん〜

    文京区根津の根津神社。祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、大山咋命(オオヤマクイノミコト)、誉田別命(ホンダワケノミコト)の3柱。
    創建はヤマトタケルが東征の途中で立ち寄り、戦勝を祈願して千駄木の地にスサノオノミコトを祀った社殿をひらいたのが始まり。その場所は現在の文京区千駄木1丁目にあった。
    時を経て、根津の地には甲府宰相とよばれた徳川綱重の山手屋敷があり、この屋敷でのちの6代将軍となる家宣(綱豊)が生誕した。綱豊が5代将軍綱吉の養子となると、この屋敷地をさきの千駄木1丁目にあった神社に譲り、社殿が千駄木の旧地から根津のこの地へ遷座した。そしてここは根津権現社とよばれるようになった。

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    境内は斜面地にあり、本殿、拝殿などは低地側にある。日本医大付属病院側にある鳥居が正面口と思われるが、多くの人たちが出入りするのは根津遊廓跡地側の大鳥居から。神社というとまっすぐな参道で参道の周りには玉砂利が敷かれ、静謐感あるなかでときどき玉砂利を踏む音がその静けさを破る。それが神社のイメージだが、この神社の場合、参道は大きくカーブして玉砂利は敷かれず、土がむき出しだ。神社の境内としてつくられたのではなく、武家屋敷の敷地(庭、建物)を無理やり神社の境内にしたからだろうか。

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    本殿が低地にあると書いたが、傾斜地には躑躅の丘と千本鳥居とよばれる朱い鳥居が続いている。その朱い鳥居の先に鎮座しているのが乙女稲荷神社だ。
    いまは根津神社の境内社となっているが、この地が山手屋敷だったころからある由緒ある稲荷神社で、さらに社殿には綱豊の胞衣(胎盤)を納めた塚があるという。この夜は見落としてしまった。また、霊窟もあり、千本鳥居と合わせて霊験あらたかな場所と感じるのだった。

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    この乙女稲荷神社の御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。稲荷神社での祭神というとたいていこの神様だ。それはこの神様にも「稲」の文字があてられており、稲荷社との相性が良いからだろう。一方で乙女稲荷の御利益というと、縁結び、恋愛成就、安産、美容・健康といった女性向きのものが多い。どうも倉稲魂命とは合わない。これらの御利益に合う神様も祀られている、または祀られていたのではないだろうか?名前が出されていないのでなんともいえないが。

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    乙女稲荷神社から崖の上をさらに奥へと進む。また朱い鳥居の列が現れる。こちらは千本鳥居とは違って並びは疎らだが、古くからそこに存在している鳥居という感じを出している。さまざまな人々の願いや念を浸み込ませ、夜になると鳥居自体が歩きだしているようにも感じてきてしまう。

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    この奥に鎮座しているのは、駒込稲荷神社。ここも山手屋敷時代にすでに守り神として鎮座していた。御祭神は、イザナギ、イザナミ、倉稲魂命、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)の5柱。
    前3柱はよく聞く神々だが、残る2柱はあまり聞かない名前だ。古事記、日本書紀にも登場する神々なのだが、諸説ある。風を司る神で、五穀豊穣、海上・航空安全に御利益ありとされる。イザナギが吹いた息から誕生した神といわれ、風を司るようになった。級長戸辺命が本来の姿で、級長津彦命はその別名という説もあれば、級長津彦命が男神で、級長戸辺命が女神の男女一対神という説もある。古事記と日本書紀でも違っており、どれが正しいのかはわからないものの、根津神社境内の敷地では高い場所に位置しており、風上のような場所に鎮座している神社だ。

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    ところで、なぜ級長で「シナ」と読ませるのかは不明なままだ。「シナ」に風を表す意味があるのだろうか?

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    さて、根津神社にかかわることや、疑問をいろいろ列挙してみた。興味があれば読んでいただけるとうれしい。

    *根津権現社
     神仏習合の時代に、スサノオノミコト=本地:十一面観音菩薩、相殿 山王大権現=薬師如来、八幡神=阿弥陀如来がそれぞれ祀られており、根津権現社とよばれていた。明治時代になり、神仏習合があらためられたときに根津神社に改称した。故地の千駄木1丁目時代の名称は不明(根津とよばれていたのだろうか)。

    *大山咋命(オオヤマクイノミコト)
     根津神社に祀られており、山の地主神。古事記では、日枝山(比叡山のこと)に鎮座する日吉大社、京の松尾に存在する松尾大社にも祀られているという。

    *誉田別命(ホンダワケノミコト)
     こちらも根津神社に祀られている。誉田別命は応神天皇のことであり八幡神のことでもある。その八幡神が祀られている神社はたいがい八幡神社と名乗るが、ここでは八幡という名前は聞かない。合祀されて八幡の名が消えたのかもしれない。

    *ヤマトタケルはなぜこの地を選んで戦勝祈願したのか、そしてなぜ須佐之男命を祀ったのか
     これはおそらく本人に聞かないとわからない。ただ、千駄木のこの地が古代から発展していた地区なのだろう。そして出雲系住人が多い地区でもありそのためにすでに須佐之男命を祀った神社があったのではないだろうか。それを活用したと考えてみてはいかがだろうか。

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    東京を形作っている凸凹、スリバチ地形を愛し、日々街歩きしています。坂、階段、暗渠はもちろん、特に路地探索が好きです。そんな路地に積もったつゆ、ちりを踏みしめ散歩しています。

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