
「気づいたら、親の顔色を伺っていた」
私が人の顔色を伺うようになったきっかけは、ぶっちゃけわかりません。
もともとの性格だったかもしれないし、暮らしてきた環境のせいかもしれない。それはもうわからない。
ただ、小さい時から親の顔色を伺って過ごしてきたことは覚えています。
気づいたら親の雰囲気とか顔色とか態度とかを気にして「親のため、親のため」って思いながら過ごしていました。
一番覚えているのは、幼稚園の年中さんくらいの時の運動会です。
私とお父さんが横並びになって座っていて、私が「疲れた」って言ったら膝の上に乗せてくれたんですね。
でも乗っているうちにお尻が痛くなって、ちょっと座り直そうとしたんです。
そしたらお父さんがバランスを崩して、後ろに並んでいた親子にぶつかってしまって。
ぶつかっちゃったら「すみませんでした」で済めばいいのに、その時、父は動いた私を責めたんです。
「動くんじゃねえよ」
舌打ちされながらそう言われました。
いや、人間だから動きますけどって今考えたら思うんですけど。
当時の私は「え、なんで私だけこんなに怒られなきゃいけないんだろう」って思っていました。
そこから周りの親と比べるようになって「なんでうちはこうなんだろう」って思うことが増えました。
今も周りの家族と比べることはあります。
成長してわかったのは、まあ比べたってしょうがないなっていうこと。
だけど、もうちょっと向き合ってくれるやり方があったんじゃないのかなとは思っています。
自分がAC(アダルトチルドレン)やHSPという言葉を知ってからは「親もそうだったのかもしれないな」と思うようになりました。
親も、その親との関係の中で何か抱えてきたものがあるのかもしれない。
そう考えると、もうしょうがないのかなって思う部分もあります。
だから私は今20代前半ですけど、正直、今のところ結婚もしないし子どもも欲しくないと思っています。
なんでかって、自分も毒親になるんじゃないかって思うから。
ぶっちゃけ「絶対なるだろうな」って思ってしまうんです。
電車やバスで走り回っているお子さんを見る時があるんですけど、そういう時に思うんですよね。
「私はあんなに我慢して、めっちゃ静かにして、周りの顔色を伺っていたのに」
「ここでは静かにしなきゃいけない、少しも動いちゃいけないって思っていたのに、なんで君はそんなに自由に走り回ってるんだ」って。
他の人の子どもにもそう思うんだから、自分の子どもにも思うだろうなって。
そう考えてしまうので、今は結婚もしないし子どももいらないと思っています。
私が人の顔色を伺うようになったきっかけは、たぶんいろいろあったんだと思います。
もともとの性格もきっとあるんだと思う。
だから一概に誰かのせいとは言えないけど、やっぱり暮らしてきた環境が環境だったから「人のせいにしたいよね」っていう気持ちも出てくるんですよね。
ただ、ACやHSPという言葉を知らなかったら、私はたぶん「私が悪いんだ」で終わっていたと思います。
そのままもっとどん底まで落ちていたんじゃないかなって。
自分の中にある不安や生きづらさを表す言葉を知れたおかげで
「あ、私が感じていたのはこういうことなんだ」
「じゃあ、こうした方がいいのかな」
って、改善を考えられるようになりました。
それですごく過ごしやすくなったと思っています。
別にそういう言葉を武器や盾にして戦いたいわけではないんです。
「私、こうなんだからしょうがないでしょ」っていう感じでやっていくつもりも一切ありません。
人の顔色を伺うことも、いい方向に持っていけると思っているので。
100%悪いことではないと思えるようにはなりました。
そう思えるようになったから、今こういう発信をしています。
今回は、私が小さい頃から人の顔色を伺って過ごしてきたことについて話しました。
次回はもう少し深掘りして、人の顔色を伺うことが自分にとってどんなメリットやデメリットにつながっているのか、話してみようと思います。