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【雑文】淡々とした日常の生活に

    個人評価:抽象的だからレポートにふさわしくないテーマ

    読書によって知識が積み上げられていくことを、堆積されてできる「地層」にかけて「知層」と表現したACのTV/CMが非常に印象的です。

    知層

    「本や新聞を読むたびに積み重なっていくものがある」

    「読み終えるごとに、ほら、新しい世界が見えてくる」

    「読めばあなたの知層になる」

    AC 「知層」CM 30秒ver. (2010〜2011)
    https://www.youtube.com/watch?v=JC_ksucTXb8

    学生風の青年が大きな本に架けたはしごを登っていくシーン、読書によって積み重なった知識が身とな肉となって蓄えられてゆくというものです。

    食べ物が肉体を養う栄養であるのに対し、読書によって得た知層はその人の心の栄養となります。

    読書は広い知識と豊かな心を養ってくれるんでしょうね。

    読書というのは、短時間で他人の知識が濃縮したエッセンスをを吸収することができることを考えると、1000円弱で手に入ることを考えると非常にコストパフォーマンスが高いと言えます。

    自分ひとりの経験というのは非常に限られたものだけど、様々なジャンルの本を読むことで、大勢の人の人生を疑似体験することができるわけです。

    時間といえば、長田弘さんの「読書からはじまる」(ちくま文庫)5章の「共通の大切な記憶」の中で、詩人らしいこんな言葉が載っていました。

    「読書からはじまる」(ちくま文庫)長田弘(著)

    「読書からはじまる」(ちくま文庫)長田弘(著)

    「自分のもっている時間というものは、自由になる時間というのではないのです。

    自由に何かをする、何かができる時間というのではないのです。

    そうではなくて、自分のもっている時間の井戸から、記憶の水を汲みあげるための時間が、一人の「私」という空のバケツを満たす、充実の時間であるだろうというふうに思うのです。」(同上116ページ)

    自分ひとりの記憶はたかが知れています。

    すぐに空になってしまうバケツをたゆまず満たしていく行為、それが読書なのかな。

    それは、本が単なる情報ではなく、人が紡いできた共通の記憶の集大成であるという畏敬をあらためて感じさせてくれます。

    自分も読書によって大量にインプットしている時期がありましたが、やはりその経験つまりは「知層」が、今生きていると実感します。

    ふだん接しない世界に気軽に触れてみることができるのも読書の魅力ですよね。

    みなさんは、どんな知層を自分の中に蓄積していますか?

    そんな得た地層をベースにして、体験を経験に変え、経験のバリエーションを積み重ねることで、自分を育てられるのは、自分だけです。

    そこで、「なるほど!」と思ったことは、なるべくその後の自分の行動に落とし込めるほうが良いわけですが(=知行合一)、この知りえたことを行動に移すコツは、リスト形式にまとめることだと思います。

    「なるほど!」を再現するためには、何と何と何をやればいいのかをポイントを絞って箇条書きにしておく。

    そして、そのリストに沿って身体を動かすだけで、自動的に「なるほど!」に辿り着けるようにするわけです。

    では、自分はブログをなぜ書くのか?

    インプットされた経験のバリエーションを、自分の言葉に変換してアプトプットすることで、自分のブログを育てられるのも自分だけです。

    【前書き(前文)】
    目に見える大きなことや派手なことでなくても、感謝することはたくさんあります。

    自分の足元を見つめ直すこと。

    淡々とした日常の生活に目を向けること。

    そこには、小さな幸せがたくさん落ちているから、毎日あたりまえにできていること、あることに感謝することを心がけています。

    そのありがたさに失ってから気づいても、もう戻らないこともあるから^^;

    【本文】
    「日常の生き方、日々を生きる姿勢というのは、それぞれの日常の振るまいにそのまま表れます。」長田弘(詩人)

    自分の気持ちは、意識していなくても、自然と言葉や態度に表れてきます。

    普段からどんな言葉を使って、どんな態度をしているかを振り返ってみる。

    そう、日常は、ぐるぐる、ぐるぐる回ってゆくものだから、変わり映えのしない景色の中を、同じような歩調で、休まず進んでいくのは、けっこう難しいものです。

    逆に、気持ちを変えるために、意識して言葉や態度を変えて、いろんな日常の何気ない出来事をエッセイ風にコトバにすれば・・・・・・

    なんとなく、毎日、何か新しい発見があるかもしれないね。

    【後書き(末文)】
    「この次の機会にしよう。」とか、「今度の時にはやってみます。」等など、日常意識せずに使っている言葉で、チャンスを見送る宣言を自らしていることってありませんか?

    「日々を共にする目の前の風景ほど、人がもっとも見ない、見ていない風景もまたありません。」長田弘(詩人)

    当たり前すぎて、意識していないので、目の前にあるのに気づいていないことも多いからなあ~

    考え方を変えていけば、今まで気づけなかったことも、見えてくるようになるはず(と信じる気持ちを大切に)。

    いまあるもので、何を感じ取れるのか、何ができるかを考えてみれば、今は、まだ、十分準備ができていないかも知れないけど、チャレンジすることで得られるものは、計り知れないくらい大きいはず。

    いつかやろうではなく、考えた時にすぐに行動に移すようにしないと^^;

    時間がたてばたつほど、行動に移せる可能性は低くなるから・・・・・・

    「いつかはきっと いつかはきっとと思いつづける それがきみの冒した間違いだった」長田弘(詩人)

    いつかはきっとが、あのときこうしておけば、にならないように要注意!

    チャンスは二度来ないかもしれないし、また、機会が二度君の扉を叩くなどと考えて、段取りしておかないと、ね(^^)

    悩めば弱くなるから・・・・・・

    何かを読んだり聞いたりしても、考え方はそう簡単に変わるものではないことも事実だけど、人の考え方は、そう簡単には変わらないということを意識してみることも大切だと思うんだよね(^^)

    人の考え方は、そう簡単には変わらないということを意識して、その前提で考えれば、毎日習慣として意識することが、どれだけ大事かが分かる筈だから。

    「どんな考え方ができるようになりたいですか?」と問われれば”疑わないこと!”だな。

    それが強さです(*´艸`*)

     
     
    固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。

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