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同じ努力ならば

    「勝利の要因に才能や素質は確かにあるけど、九十九パーセントは意志と努力だと思う。じゃないと、夢もへったくれもないじゃないですか。」片山右京(レーシングドライバー)

    生まれ持ったものを人と比較しても、それ自体は変わるものではないから、何を絶対に達成したいのか、そのために全力で何をするのかを考えてみる。

    人に比べて足りない、劣っているなら、その分いまから努力すればよいだけです。

    確かに、努力するって、やっぱり大変と思うことも多いですが、同じ努力でも、ぜーんぜん苦じゃないことってありますよね。

    あなたには、これやるのは苦じゃない、むしろこれならけっこう楽しみながらやれる、というものはありませんか?

    それに意識を向けてみると、もしかして自分がやるべきことというか、そんなヒントがあるかもしれません。

    やりたいことがわからない場合には、自分の好奇心や興味ももちろんのこと、こんな風に人から見ると大変でも、本人はなんとも思わない、というようなことにも、何かがあるように思いませんか?

    たとえば、走ること。

    人によっては、走るの大好き、だから走るトレーニングは楽しんでできる、という人。

    同じように身体を動かすことなんかもそうですね。

    または、数字と向き合うことだったり、人と話すことだったり。

    ものを書くことや、本を読むこと、細かい作業、などなど。

    いろいろと、「私、こういうのやるの好き」なんてこと、突き詰めて考えれば、どの人にもひとつやふたつ、あるはずです。

    同じことなら、こうした苦にならない、意志で持ってしっかり引き締めていかないとできないことよりも自然と自分が動けることのほうが、努力も苦労も明るいし、楽です。

    結局は、自分が好きなことや、情熱が傾けられる、ということがひとつの要素になってきます。

    そういえば、テノール歌手のパバロッティもこんなことを言っていたのをご存知ですか?

    "People think I'm disciplined. It is not discipline. It is devotion. There is a great difference."

    人は僕をよく 努力家というけれど、そうではない。

    これは情熱。

    大きな違いがある。

    disciplined とは、努力家と一言で片付けるよりも、自分でコントロールして努力できる意志がある、とか、しつけられている、統制がとれている、などという意味です。

    devotion とは、情熱や献身的愛情、何かに打ち込んでそれが自分の一部となるような傾け方、というとわかりやすいでしょうか。

    意志の力で努力する、というよりも、彼にとっては歌が自分の一部、愛情の一部、情熱の一部で、やらねばならない努力という位置づけではない、ということですね。

    同じ努力でも、やら「ねばならない」努力よりも、やりたい努力のほうが、楽しそうです。

    だから努力が必要な場面なら、何をどう工夫したら自分で「これならやりたい」と思えるか、がポイントです。

    工夫の対象は、考え方や見方かもしれないし、やり方そのものかもしれないし、結果に対する思い入れの確認だったり。

    いずれにしても、自分がこれなら、と思う努力ができたら自然と結果もついてきそうです。

    この情熱に関して、先人達も、こんなことを言っていましたね。

    「歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。」サミュエル・ウルマン(詩人)

    「人生は情熱によらなければ勝負できない事ばかりだ。」ハズリット(エッセイスト)

    「四十や五十はもちろん、七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。」中村天風(思想家)

    「天才の秘密は子供の時の精神を大人になっても持ち続けられるということだ。つまり、それは自分の情熱を失わないということである。」オルダス・ハクスリー(作家)

    「ほんとうの腹底から出たものでなければ、人を心から動かすことは断じてできない。」ゲーテ(詩人)

    向上心がなくなってしまうと、そこから先は衰退していくしかありません。

    本心から成し遂げたいと思うことでなければ、義務的なことではやる気は出ないはずです。

    無意識のうちに、もう遅いとか、もう無理だと、自分であきらめていることも多いのではないでしょうか?

    大人になりいろんな経験を重ねると、現実的に悲観的になりがちになってる時ってありますよね。

    心底思っていることでなければ、他人に限らず自らも動かすことは難しいよね。

    では、どうすればよいのか?

    例えば、こんな質問を自分自身に向けて問うてみてどうでしょう。

    これからどんなことをしていきたいですか?

    どんなことをイメージしている時、ワクワクした気持ちになりますか?

    どんなことを目指していますか?

    子供の時にどんなことを考えていましたか?

    どんなときに本気になり、パワー全開になりますか?

    その質問のひとつの解として、以下の様な考え方に辿り着くこともあるかもしれません。

    ①何かを目標として、そこに到達したいという気持ちを持ち続けてみる。

    ②年齢に応じた向上心を持ち続けることで、心を健康な状態に維持していく。

    ③情熱的になれることが見つかれば、知識や技術は、後からでも自然とついてくるはず。

    ④イメージしてるだけで、楽しくなり期待できることに、焦点を当てよる。

    ⑤何かを期待して、そうなりたいと思えることを、常に持ち続けみる。

    ⑥できるできないに関わらず、何か目指すことを持ち、そこに意識を注いでみる。

    ⑦いま自分が話し、行動していることは、どれだけ本気なのかを考えてみる。

    どれだけ熱中できて、情熱的になれるのかがパワーの源になってくるから、自分の可能性を狭めることで、見えるものも見えなくなってしまう前に、以上の様に、自分の気持ちに正直に、何をしたいか、目指したいかを、もう一度考えてみてはいかがでしょうか?

    ところで、人によって器用さが裏目に出たりすることもあるかもしれません。

    たとえば、やれと言われることはきちんとこなせるし、人より上手にもできるけれど、これが私のやりたい努力じゃない、という場合もあります。

    器用な方に多いのがこれ。

    オールラウンドで大体のことはできちゃうために、自分のできることが広がって、自分の情熱をどこに傾けるのか、見えにくくなってしまうことも。

    その場合は、できることに目を向けるよりもできるできないは別にして、これなら楽しい、これが興味がある、というところから始めてみるのがいいでしょう。

    いずれにしても、同じ努力なら、やらなければいけない努力よりも自分がやりたい努力を目指したいですね。

    「もし十分な時間をかけ、努力を怠らなければ、望んでいることはすべて実現できる。」ヘレン・ケラー(教育家)

    基本的なことが確実にできていなければ、何事も達成することはできません。

    上手くいかないと悩む前に、やるべきことを実行しているかチェックしてみてください。

    自分がやりたい努力に、時間をかけてやるべきことをする、ということを確実に実行していきたいですね。

     
     
    固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。

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