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【演奏家によって再現される芸術】よく耳にする「名演」とは?

    色々な演奏が生まれるのは、それで、解ったけれど、しかし、現実に、演奏をめぐっては、

    「あれは名演だった」

    とか

    「名盤である」

    なんて言葉を、聞いたりします。

    あれは一体、 何を基準にしていうのだろう?と、不思議に思う人も、いるのではないでしょうか。

    そう、音楽界では、やたらに、「名」をつけた表現が多いのも確かな話です。

    言うまでもなく、これは、優れた、素晴らしいという意味です。

    何百年も経て、なお、聴かれる曲のことを、名曲というのはわかるにしても、色々な形で再現される演奏について、優れた、素晴らしいす演奏とは、一体どういうものを指していうのか。

    これは、考えてみる必要がありそうです。

    これまでのお話で、演奏というものが、楽譜をもとにした再現芸術であり、演奏家達は、それぞれに、検討・研究して、

    「これこそが、作曲者が意図したであろう真の形」

    として、演奏を行なう筈。

    しかし、盛り込まれる要素の多彩さから、結果として、同じものが、生まれないということは解っていただけたかと思います。

    彼らの演奏は、思い通りにいかないこともあるかもしれけど、基本的には、自分の解釈に、自信をもったものであることは確かです。

    ところが、名演であるとか、平凡であるといった評価を下すのは、もっぱら、聴き手の側です。

    それも、多数決とか、審査会を開いて決定したというものではありません。

    どこからか評判が立ち、いつの間にか広まるという場合が多いのではないでしょうか。

    いや、それでは、曖昧だから、もう少し、具体的に言うと、例えば、その演奏を聴いた批判家や専門家が絶賛して、新聞や雑誌に書く。

    或いは、海外の評判が、そのまま国内のファンにも認められる。

    放送・CD・コンサートで感激した人の反響が大きく膨れあがるといったことが考えられます。

    つまり、曖昧ではあるけれど、それなりに、音楽体験をつんだ方達に認められる演奏ということなのではないでしょうか。

    とはいえ、それが、誰の耳にも共通するとはかぎらない。

    音楽的な感性は、それぞれに違うものだし、経験によって、同じになるとも思えません。

    要は、宣伝も含めて、やたらに多用される「名」に惑わされることなく、かといって、意地をはることもなく、謙虚に、自分の耳を信じて、聴いていくのがよいのではないでしょうか。

     
     
    固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。

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