メインコンテンツへスキップ
見出し画像

学習は本能です!

    たぶん、たいていの人々は、学ぶということを、義務、強制、必要、努力、慣習、なんていうふうにとらえているでしょうか?

    なかには、とても好きな人もいることは確かですが・・・・・・

    逆に、本能と言えば、食欲、性欲、金銭欲、名誉欲、美や愛への欲、などが思い浮かびます。

    その学ぶと、本能がつながる?

    考えてみれば、そんな難しい話でもないのかもしれませんねぇ。

    学ぶという言葉を意識しなくても、知りたい、どうなるんだろう、という好奇心は、みんな持ってますからね(^^)/

    もし何に対しても、そういう感情を持てないとなると、無気力に生きるしかありません。

    その無気力の先で、運よく学ぶことが出来れば、それも本能だったということになりますが・・・・・・なかなか難しいですよね(^^;

    学ぶということは、食べると同じくらいの本能。

    その本能がもし眠らされてしまうとすれば、それはなぜか?

    命じられているばかりだったり、与えられたり、すべて用意されている環境が、それになりうるのかな、と思いました。

    だから、本来獰猛なトラでも、人間に飼いならされると、いくらかその本能が眠ります。

    ただ、何らかの刺激で目覚めることもあります。

    人間の場合は、その刺激の求め方が怖いんでしょうねぇ(^^)

    そのような刺激を、キリのない、自分を失ってしまう他への依存に求めたりしますから(^^;

    たとえば、酒とか、麻薬とか、ギャンブルとか・・・・・・

    だから、眠っている自分の中の学ぶ本能を、目覚めさせあげて下さいね!

    せっかく、あるということですから(^^)/

    ここまでで言いたかったことは、経験よりも学習能力を重視することの重要性です。

    「何かをこなしてきた」=「経験」というのは、間違いだってこと。

    その体験を「経験」と言えるのは、そこから何某かの学びが得られている場合だけです。

    些細な事象からでも、知見を引き出し、学習することができる人になっているのかどうかです。

    その種類の経験は、意識して意図的に行動しなければ、手に入らないものだから・・・・・・

    例えば、単に言われるがまま、業務を反復しているだけの時間は「経験」ではありませんよね。

    また、「私は経験○○年以上です」といった経験は、本質的に、その長さにはほとんど意味はないと思いませんか?

    そう、経験とはなにか新しいことを発見し、学び、能力の成長と蓄積をもたらすプロセスと言えます。

    そう考えれば、自分の大半の体験は、「経験」とは呼べない代物である可能性が・・・・・・高い!?(^^;

    ここで、こんな話をご存じですか?

    サーカスの舞台裏を訪ねるてみると・・・・・・

    ライオン、トラ、キリンなどのサーカスの動物を間近に見られるんですが!?

    ゾウの前を通り過ぎたとき、何かがおかしい・・・・・・

    あんなに大きな動物なのに、前足にロープが結んであるだけなんです。

    鎖にもつながれていないし、おりもない。

    その気になればすぐに逃げ出せるはずなのに、ゾウはそうしない・・・・・・

    (・・?!んっ?

    何故??

    ゾウは子供の時に縛られたロープの経験が抜けきれず、逃げ出そうとはしないらしいのです。

    子供のころは当然、力ずくでは逃げられません。

    しかし、どんどん成長して力がついてきても「思い込み」によって逃げようとしない。

    私たち人間も、このゾウと同じではないだろうかって思うことってないですか?

    そう、サーカスのゾウになっていませんか?(^^;

    かつて失敗しただけで絶対にできないと思い込み、その場で足踏みしてはいない?

    今ならできるようになっているかもしれないのに、尻込みしてない?

    さらに悪いことに、誰か他の人の思い込みのせいで、できないような気になってはいない?

    もしかしたら、今のあなたは自分が考えている以上の力がついているかもしれませんよ!

    思っていることがあれば、チャレンジしてみたらいかがですか?

    一年は、ほんとにアッという間ですから、始めるなら早いほうがいいですよね!

    オスカー・ワイルドも言っていましたが、誰もが自分の過ちに与える名称、それが経験であるって。

    過ちに限った話じゃないと思うけど、過ちを犯した場合には、ほぼ確実にそういう慰めを自分にしてるな~、と思うことありませんか?

    成功したときって、経験というよりも体験、出来事としてとどまらずに流れていってしまう感じがします。

    だけど、失敗して、痛い目にあったときのほうがより、経験として残りやすいですよね。

    だから・・・・・・

    ズバリ言うわよ!( *´艸`)

    知識なんていうものはさして重要なことではないんです。

    むしろ細々とした知識なんか無い方が健全でさえある。

    それよりも、むしろ自分の経験の中でひとつの筋道を見いだしていくこと(学習意欲)の方が大切です!

    そのためには、片々たる知識は邪魔になる場合すらあると思います。

    大切なのは、ものを「見る」、そしてものを「知る」ことなんですよね。

    つまり、自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の脳みそで考え、自分の口を使って人と交わり、どこまでも「自分の」心と身体を以て、主体的に外の世界と関わっていく。

    そうあってはじめて、「お、これはなんだ」ということとか、「えぇぇぇ!そだったのか!」と納得し」、「むむむ・・・・・・不思議だ・・・・・・」とか、さまざまな感慨が湧き起こってくるはず!

    そのために出て行って、そういった種類の創造的な経験を意識的にさがし求めたり、手を伸ばしてつかみ取らなくてはならないのでしょう、ね(^^)/

    必要ならあらん限りの知能を次ぎこんでみる。

    なにかより良いものはないかと知恵を絞ってみる。

    なにか新奇なものはないかと想像力を働かせてみる。

    従来の物事のやり方とはどこか違ったものをつかんでこなくては、創造的経験とは言えないんですよね。

    つまり、予期しなかったものを獲得した時に得るものが経験であり、創造的に実行したのならば、その結果、失敗すら経験という宝をひとつ増やしたことにます。

    そうでなければ、自分の経験は、ただの思弁(^^;

    ~(x_x) ☆ξ\( ̄ ̄)ポコン!

    容器は、それが空っぽのときに一番大きな音をたてます・・・・・・

    やっぱり、中身が大切なんですねぇ(⌒~⌒;A ふきふき

    もっと経験を積んで、生かせてこれていれば、今頃は・・・・・・

    (ノ´_`)トホホ

    だからこそ、世の中と「主体的に」なおかつ「客観的に認識を以て」交わっていきたいものです(^^)/

    単純に言えば、自分のパフォーマンスの源泉は、数式で表すと、

    経験の長さ<<学習能力(経験の長さは、学習能力よりも、非常に小さい。)

    であり、経験よりも学習能力を重視する方が得策ですね(^^)/

    最後に、エルバード・ハワード曰く!

    「「自分の内部から生まれる敗北」以外に敗北はない。「心の弱さ」以外に超えられない障害などない。 」と、言っています。

    やる気をすっかりなくさない限り、失敗はあり得ないってことです。

    障害物は、存在しない。

    ただ、自分がやる気を無くさなければ良いだけなんですけどね。

    自分が運命をコントロールできると思うと、気が楽になりませんか?

    何者が邪魔をしようと、関係ない。

    自分次第なんだから(^^♪

    【関連記事】
    今の自分を成長させるには?
    https://note.com/bax36410/n/nfc2bb412ccb6

     
     
    固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。

    あなたへのおすすめ