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【宿題帳(自習用)】「自由」研究

    「自由研究」とは、自分が分からないことを、詳しく調べたり、深く考えたりして、物事を明らかにしていくことです。

    また、その記録、成果の発表や公開も含んでいます。

    簡単に言うと、自分が不思議に思ったことや疑問について、調べ、考えて、他の人に教えてあげることです。

    そこで、夏休みの宿題と称して、カントの提唱する道徳とは何かから「自由」研究を始めてみたいと思います(^^ゞ

    まず、カントの「実践理性批判」の対象は道徳です。

    「実践理性批判」(岩波文庫) カント(著)波多野精一 /宮本和吉/篠田英雄(訳)

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    また、「純粋理性批判」においては、必然性の世界であり、自然界の法則が支配する世界の認識が問題となりました。

    「純粋理性批判 上」(岩波文庫) カント(著)篠田英雄(訳)

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    「純粋理性批判 中」(岩波文庫) カント(著)篠田英雄(訳)

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    「純粋理性批判 下」(岩波文庫) カント(著)篠田英雄(訳)

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    ここで、私たちは、この自然界の住人であると同時に、社会の中でも生きています。

    社会の中で、私たちは、道徳や倫理、あるいは、ルールといったものに従って生きてもいます。

    では、こうした道徳やルールは、いったい何に基づいているのでしょうか。

    カントは、人として、そうあるべきだからという考えの基礎を提唱しています。

    私たちの心情として、よく思われたいから助ける場合も多いのではないでしょうか。

    この見返りを求めて行動をするという考えは、カントの道徳理論において「仮言命法(条件付き命令:もし~ならば、~せよ)」と名付けられています。

    では、どのような動機で行動すべきなのか。

    カントは、助けるのが当然という義務として行動することこそが道徳的だとしました。

    これは、「仮言命法」と反対の「定言命法(絶対的命令・無条件的命令:~せよ)」という考え方であり、助けろと自らに命令して動くことです。

    これを自律的といいます。

    改めて、それぞれの視点による動機を見てみると、ふたつの間には、大きな差があることがわかります。

    仮言命法(※1):
    「人が困っているので、ここで助けたら自分をよく思ってくれるだろうから、助けよう」

    定言命法(※2):
    「人が困っている。助けよう」

    ※1:
    例えば「もし長生きを欲するならば,健康に気をつけよ」などという形に、長生きを欲するという目的を仮定した上で、その目的を達成することを望む者に対して、健康に気をつけることを命令するといった形式である。

    ※2:
    カントの説いた道徳法則の形式。
    道徳的実践は命令の形で理性に与えられるが、それは「もし… ならば,…せよ」というように、快とか幸福などのほかの目的のための手段として働くような仮言的性格のものであってはならず、単に「…せよ」という無条件的、絶対的なものでなければならない。
    「定言命法」の「定言」という語句には「絶対的、無条件に」という意味がある。 (これに対し対義語である「仮言」は「ある条件のもとでの」という意味になる。)
    これらを組み合わせた定言命法は「無条件に従うべき命令、義務」という意味になる。

    仮言命法は、かわいそうな人を助けて自分が善い人だと思われたいという欲求を伴っているのに対して、定言命法は、困っている人を助けることに理由はいらないと、当たり前のこととして行動に移そうとしています。

    他の誰からの命令を受けたわけでもなく。

    また、見返りを求めることでもなく。

    ただそうあるべきだと自ら行うことこそが道徳的であり、人としてあるべき姿だというのが、カントの導き出した道徳の結論となります。

    このような人として、あるべき普遍的な行動は、意志の自律に基づく実践理性の働きです。

    カントにとって「自由」とは、欲求に支配されてやりたいようにやることではなく、自らルールを立て、そのルールを守るという自発性、つまり、意志の自律そのものなのです。

    また、カントにとって人間の理性とは、それ自体が、まず、実践的なものであって、普遍的法則(道徳法則)を与えることができるものなのです。

    それ自体でということは、自己以外から原理を仰ぐことがないという意味で自律的であることを意味します。

    つまり、個々のあれやこれやの経験に左右されることなく(これをア・プリオリといいます)、理性は、自己の内から自己を律する法則を生み出すことができる(原因となる)ということです。

    こうした道徳観や理性観が、私たちが当たり前のように受け止めている人格の尊厳や「自由」=自律の根底にあるのがわかるのではないでしょうか。

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    さて、更に、前述の「純粋理性批判」のキーワードのひとつ「超越論的」(岩波文庫では「先験的」と訳されている)とは、どういう意味なのかについて考えてみます。

    カントの「純粋理性批判」は、認識論の本であると言うことができます。

    カントは、この本で、

    ①人間は世界をどうやって経験するか

    ②人間は世界をどう見るか

    と考えています。

    人間は、自分の外の現実を、そのまま頭の中に反映させて見ているのではなくて、ピンホールカメラのように、外の映像を、そのまま頭の中に取り入れているわけでもない。

    つまり、人間は、そんなふうに、一方的に受け身になって、外の物を見させられているのではなく、むしろ、人間の側が見ようとするものだけを見ているのだと、カントは、そう考えました。

    実際には見えないけれど、私たちの経験がこうなっているのだから、その前提として、このような仕組みになっているハズだと考えたのです。

    要は、経験を可能にする仕組みを、論理的に必要なかぎりで想定して考えてみた。

    そういうアプローチの仕方を超越論的と呼びました。

    【参考記事】

    マルクス、ニーチェ、フロイト、ソシュールは、現代思想のルーツと呼ばれています。

    20世紀以降、この4人の誰にも影響を受けなかった思想家などいないと思われますが、この4人の考え方の共通性は、

    「人間は、自分の頭で自発的に考えていると思っているが、そうではない。

    われわれは、別の何かによって考えさせられている。

    われわれの思考が操られるような仕組みがある。」

    と考え、その上で、それぞれの思想を構築しています。

    言い換えると、私たちには、こう見えるということは、私たちが、そう見てしまう仕組みが存在しており、その仕組みは、私たちの目には見えないけれど、それこそ、考えていかなければいけない重要事項だと彼らは考えました。

    私たちは、今、この超越論的に考える時代を生きていると言えそうです。

    「あれは・・・だ」等と簡単に決めつけるようなことは、しないように心掛けて、「自分には、そういうふうに見える」というふうに受け止めてみる。

    そして、そう見える自分の事情、そう見える仕組みを、まず解明しなければいけないなという視点に立ち返って、自分の認識から徐々に拡げていき、他者から社会へ、そして世界へと俯瞰して行く視点が必要だと考えられます。

    そうしないと、たぶん、何も理解できていないことになっている自分にさえ気づかないのではないかと懸念されるからです(^^;

    だからこそ、私たちは、超越論的に自己批評することで、身の回りの出来事の諸問題からスタートして、差別問題、歴史解釈、民族問題等々について、今一度、考えてみる必要があるのではないかと推定できます。

    また、私たちは、私たちの言語の虜囚であるということに気付けるかどうか。

    私たちは、「自由」に思考し、「自由」に感じ、「自由」に言葉を操っているつもりでいるかも知れないけれど。

    実は、私たちが閉じ込められている集団的な言葉の檻から出ることができないでいるのかもしれないという認識に立てるかどうかにかかっています。

    私たちの語彙も、音韻も、ストックフレーズも、私たちが使うメタファーもレトリックも、すべて既製品であり、私たちは、与えられた言語の中で感じ、考え、語ることを強いられています。

    でも、私たちの中には、自分が檻の中にいることを薄々感づいていて。

    もっと清涼な空気を吸いたい。

    もっと「自由」に語りたい。

    もっと「自由」に考えたいという願いを抱いていると思います。

    さまざまな価値観の衝突について、相手を理解不能や和解不能と見なすのは簡単な事です。

    また、少し不快だからというだけで、決して問題を解決することなく混乱等をエスカレートさせる誤ったやり方を実行に移す前に、また、母語の檻から出るためにも必要なのは、超越論的な自己批評ではないかと考えられます。

    そのためには、例えば、ダメだと思ったら、常識はずれでもいいから、正反対のことをやってみるといったコペルニクス的転回も、時には必要だとも感じます。

    そう、常に、初心に帰る感じで超越論的にアプローチすること。

    つまり、そんなふうに見えるってことは、いったい私はどうなっているんだと(@@)

    それまで意識していなかった自分自身について、遡るようにして考えてみることが大切だと感じます。

    本を読み、言葉を理解するとは、どういうことなのか。

    ただ、暗記した言葉をそのまま口に出すのではなく、自分なりに受け止め、自分なりに使えるようにし、自分の思考や感情が広がるように言葉を理解するには、どうしたらいいのか。

    私たちにとって、本の読み方は、きわめて大切な思想であり、技術であり、防具ではないかと思っています。

    そこで、「自由」に関して、超越論的(個々の対象に直接かかわるのではなく、それらをこえた見地から、認識を成立させる主観の側の先天的な諸条件を問題にするあり方)に自己批評すべく、下記項目の視点から自分の認知の歪みを知り、

    <セルフモニタリング項目>
    ①全か無か思考

    ②一般化のしすぎ

    ③心のフィルター

    ④マイナス化思考(プラスの否定)

    ⑤結論への飛躍

    ⑥拡大解釈(破滅化)と過小評価

    ⑦感情的決め付け

    ⑧すべき思考

    ⑨レッテル貼り

    ⑩個人化(責任転嫁)

    また、「Think clearly」を参考にして何ケースかの記事を書いてみることで、自身の認識不足を明らかにして、次に、繋げてみたいと思います。

    「Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法」ロルフ・ドベリ(著)安原実津(訳)

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    筆者のロルフ・ドベリ氏は、「文章を書くための最大の秘訣」について、こんなことを言っています。

    「なにを書くかというアイデアは、「考えているとき」にではなく。

    「書いている最中」に思い浮かぶ」

    世界はどうしようもなく不透明だから、考えるだけではなく行動をしなければ、必ず行き止まりにぶつかってしまいます^^;

    そして、時間の経過とともに、新しく得られる認識や発見はどんどんと小さくなり、それはすぐに筆者曰く「思考の飽和点」へと達してしまう。

    ゲルニカで有名なピカソも「何を描きたいかは、書き始めてみなければわからない」といっているので、筆者の言葉を借りれば、「人生において自分が何を求めているかを知るには、何かを始めて見るのが一番だ」ってことなんだね(^^)


    【随想】枠を外せば、ぐんぐん伸びる!

    自分の態度をほんのちょっと変えるだけで、相手との関係が180度変わることがあります。

    苦手だと思っていた人にも、まずは笑顔をちょっとでも作ってみるとか。

    否定的な態度をやめてみるとか。

    それだけでも、自然と関係は変わってゆくものです。

    また、過去に縛られては、いませんか?

    もしも苦しい過去があるのなら、一度、あなたの過去を解き放ってあげてください。

    過去を手放すと、そこに存在する否定的な影響から自分を「自由」にすることができます。

    身軽になって、生きて行く準備を、今から始めてみませんか?

    でも、そんなに簡単じゃないよね^^;

    でも。

    でもね。

    できないわけじゃないんじゃない?

    あなたのことを気にかけてくれている人は必ずいるから(^^)

    時には、助けを求めることも大切。

    そして、要は、「やるか」「やらないか」の選択だと思いませんか?

    一歩踏み出す自分を目指したいですよね。

    そのためにも「フリ」をするのは、やめないと、ね。

    いい子のフリ、悪い子のフリ、強いフリ、弱いフリ、好きなフリ、好きじゃないフリなどなど。

    たとえ他人はだませても、自分までだまし続けることなどできないのだから^^;

    「フリ」なんてしなくても、あなたはあなたのままで、十分勝負していける存在なんだよ(^^)

    自分にできることを、棚卸ししてみる。

    自分の理想・希望を、言葉にしてみる。

    そこから見えてくるもの。

    自分という素材を生かして、人生を主体的に動いていきたいですね。

    だから、何事に対しても「理由付け」をするのをやめてみましょう。

    ○○のせいで、今私はこんな状態になっている。

    ○○だから、今はやる気が起こらない。

    ○○って、なんでしょ?(^^)

    だったら、今はできない。

    何かにつけて、理由をつけ、今の状態を悲観し、行動を先延ばしにする。

    たまになら、それもいいかもしれませんが、それが何度も積み重なってゆくと、人生の機会損失につながります^^;

    ここで、発想の転換を図って、○○だけど、やってみようかってのは、どうですか?

    チャンスを逃さない人にならないと(^^)

    自分を縛りつけているもの。

    自分を嫌な気持ちにさせるもの。

    生きてく中で身に付けてしまった見栄やしがらみ、いらないものは思い切って捨ててしまう。

    汚れた泥を落として、過度な衣服・虚栄心の殻を脱いで、産まれたままの姿に戻ってみる。

    心に纏った服を一枚一枚脱いでいくことは、とてもしんどくて、勇気がいることだけど。

    少しずつでも、不要な服は脱ぎ捨てて、裸の自分から、また始めればいいじゃないかな。

    そして、歩いて行ければ、そこに道ができて、見上げれば青い空が変わらずに続いている筈です。

    可能性は、自分を止めない限り、無くなりはしなから(^^)


    【エッセイ】行き先は言わない!

    その方が楽しいから(^^)

    映画「ライフ・イズ・ビューティフル」の中のセリフなんだけど、ね。

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    そして、政治家であるロイ・M・グッドマンも「幸せとは旅の仕方であって、行き先のことではない。」って話していたっけ(^^)

    そう、幸せとは旅の仕方なんだよね。

    いろんな経験が旅を豊かにするように、いま経験することを大事にしていく。

    たとえいま苦しくても、何かに向けて希望や期待が持てれば充実感はでてくるし、そのためにも、目標に向けて努力しているプロセスを、充実できるようにしていきたいものです。

    例えば、今、経験していることは、どこに向けてのプロセスの一つとして考えられるのか?

    考えてみるのも良いと思います。

    人生、山あり谷あり。

    岡村孝子「山あり 谷あり」

    それでも、例え、今、苦しくても、何かに向けて希望や期待が持てれば充実感はでてくる筈。

    また、いろんな経験が旅を豊かにするように、いま経験することを大事にしていく。

    そして、目標に向けて努力しているプロセスを、充実できるようにしていくことで、未来は変化していく筈だから(^^)

    グローバル化の波に揉まれ多忙な方も多いと思います。

    アウトプット志向を先鋭化させるため、「自由」には責任がともうなうがゆえの、プロセスより、アウトプット重視の変化への適切な対応が急務となっており、問題を切り分けて、明確化できる能力の獲得が、稼げるか否かの分かれ目になっています。

    それは、アウトプットだけを比較した場合、割り振られたタスクだけをこなすだけであれば、社員でなくとも可能な時代が到来しているのに、どうすればそれを解決出来るのか?という形で具体的なタスクと段取りを考えることが出来る能力は、誰にでも備わっている能力ではないから^^;

    これからの時代は、特に、目標設定も曖昧な形になる場合があると想定して、且つ、その曖昧な仕事について、どういう順序で、どういうことをすれば、その仕事を達成したことになるのかということをちゃんと詳細化し、計画することが出来る人財が生き残っていくと考えられます。

    もう、この変化は不可逆であり、変化に適応せねばならない未来が押し寄せていることを自覚して、対応が必要だけど、物は考えようで、まあ~アップダウンは楽しんだもの勝ちです☆かね♪

    そう、例え、それが思いつきであったとしても、物事は見切り発車した時点で半分は成功したのも同然だとも思うし。

    「考」よりも「行」が先の方が、仮に、道を間違えたとしても、いつだってもう一方の道に乗り換えることはできるのだと思える余裕も生まれてきます。

    人が行動を起こすとき、そこには必ず自分の理由があるはず。

    その時、大切なことは、愚かな自分に凹むことではなく(だけど、けっこう凹みますが^^;)、自分がバイアスにつられる人間であるとを意識することだと思います。

    石橋を叩いて渡るか、もしくは石橋を叩き割って進めなくなる方は、何かの判断をする時は、合理的な判断をしているか、バイアスにとらわれていないか、何度も自問自答したうえで、意思決定をして改めていくのも有りだと思います。

    あなたの理由でもなければ私の理由でもないってこともあるから。

    そんな時こそ、こちらのほうが相手の関心に寄り添い、相手の視点で物事を見なければならない大切さが分かるのだと感じます(^^)

    【参考記事】

    【参考図書】
    「人生、山あり時々谷あり」田部井淳子(著)

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    「私には山がある 大きな愛に包まれて」(100年インタビュー)田部井淳子(著)

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    「淳子のてっぺん」唯川恵(著)

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    【スケッチ】今日は何を描く?

    毎日が、真っ白のキャンバスだと思いませんか?

    なぜ最初が肝心か。

    それは「真っ白なキャンバス」だからです。

    つまり物事の始まりは真っ白であり、自由自在に描くことが出来から(^^)

    例えば、描く道具も、描き方もたくさんありますよね。

    鉛筆や筆の使い方、いろんな色の絵の具がある事。

    絵の具も油性もあれば水性もある。

    発色するのもあるし、ライトを照らしてもいい。

    大きく描いてもいいし、小さく描いてもいい。

    オーソドックスな技法を使ってもいいし、自分で考えたアイデアを盛り込んでもいい。

    もちろん失敗したっていい。

    うまく行かなかったら、もう一枚作ってもいい。

    何度も何度も塗りなおしてもいい。

    誰かが直接手を下したり、指示や命令通りに描くのではなくて、自分の手で、自分自身で作り上げていく。

    そこで必要な方法やコツ、使い方などは、恥ずかしがらずに、学んでいってもいいし、自分で生み出して、オリジナルを作っていってもいいよね(^^)

    考えて、やってみて、失敗して、作り出し、感動して、涙して。

    そして、次第に自分らしく、自分自身の喜びを感じさせてあげる事。

    それこそが、「育つ」事だと思うのです。

    私たちは、成長して「人」になるために、そのキャンバスに様々な色を付けています。

    毎日、毎日、毎日。

    その影響を最も強く与える「人」、それが大切なんです。

    「人」が「人」を育てるって、ことかなと思います。

    そこにも「意味」と「流れ」があるようです。

    私たちがその意味を理解し、流れに逆らわず、上手に乗ることで、自分の能力を最大限に発揮し、喜びに包まれ続けますように(^^)


    【一筆】大人のイノセント・タイム

    例えば、自分の手に入れたい「自由」ってなんだろう?って考えてみると。

    子どものころの「自由」は、とてもファンタジックなものだったなって気がします(^^)

    アニメや漫画のヒーローみたく空を飛びたいとか変身したいとか。

    そのころに比べると、大人になってからの「自由」は、ずいぶんとリアルで、ちっぽけなものになりさがってしまったみたいです(^^;

    「ロングバケーションが欲しい」とか「本とかCDたくさん買いたい」とか。

    それも大事なんだろうけど、イノセントなマインドに、豊かさがあるのかもしれない(^^)

    じゃ~大人のイノセントってなんだろう?

    そのためにも、心もたまには磨かないとd(^.^*) ねっ?

    毎日、毎日、ぼぅーっとしてたら、すぐにくすんじゃうから、兎に角、磨こう、磨けるもの全て。


    【覚え書き】本当に大切なものは目には見えない

    見えないからこそ、確かに感じるココロの絆を、いつでも感じられるように、以下の考えも大切だね(^^)

    less=more、less=betterって考え方、ご存知ですか?

    ひとつまたひとつと引き算をしていって、モノをlessに(より少なく)してみることをオススメします。

    すると、部屋の中のスペースはmoreに(もっと多く)なって、部屋は広くなるはずです。

    またモノを使ったり、その手入れをしたりする時間がいらなくなって(less)、もっと多くの時間(more)が手に入れられることに繋がってきます。

    これがless=moreです。

    大切なのは、結局、量より質ということだと思いませんか?

    less=better。

    つまり、より少ないことが、よりよい結果につながるということもあるのだと考えられます。

    私たちのまわりには、たくさんのものがあり、物質的には恵まれていて幸せです。

    でも、もしかしたら、そのたくさんのもののせいで、空間や時間を食われ、私たちが「自由」に使える分を減らしている、ということもあるのかもしれません。

    ものを減らすようにすれば、空間や時間やお金に余裕が生まれるのではないでしょうか。

    生まれた余裕をもっと有意義なことに使えたらいいですよね。

    もちろん、必要なものも便利で有効なものも自分の幸せに貢献しているものもあるでしょう。

    でも、本当に必要なものは、実は、そんなには多くないのではないでしょうか。

    もう少しシンプルな暮らしのほうが、心も含めていろんな余裕が生まれて、幸せに暮らしやすいのかもしれません。

    同様に、時間の余裕がない人は、やることを減らしてみるといいと思います。

    それによって生まれた時間の余裕で、今やっていることをもっと楽しんだり、自分が本当にやりたいことをやれたらいいのではないでしょうか。

    また、現在の生活を楽しむ余裕がない人は、何かを減らすことを検討してみてはどうでしょうか。

    そのためには、「more=better」という思い込みを捨て、「less=more」や「less=better」もあることを信じて、余裕を生み出す行動を心がけて、心を大切にして生きられるようになれたらいいのだと思います。


    【手控え】トライするって意味がある

    結果がすべてという考え方もありますが、結果がどうあっても、とにかくトライすることに意味があるときってありませんか。

    どんなときでしょう?

    結果としては、思うようにはいかなかったけれど、その過程で、学ぶことがあるとき。

    何か人との出会いがあるとき。

    それに、やってみることで自分が成長したり、新しい発見があるとき。

    ソニー創業者である井深大さんも「トライ・アンド・エラーを繰り返すことが経験、蓄積になる。独自のノウハウはそうやってできていく」と言っており、素晴らしい先人の知識やノウハウを生かせるかどうかは、自分自身の応用力にかかっているので、人から聞いたり、本で読んだノウハウを、自分なりに応用できるようになる力をつけていきたいものです。

    応用力は、体験することで培われていくのだから、結局、その学んだことや人とのつながりが、いずれ何か、思わぬ形で自分のためになることがたくさんありそうです。

    それに、自分が成長していると感じられることは、自分の「well-being」にとって、大事なこと。

    進化している、成長していると感じられるのは、人間のひとつのニーズですよね。

    成長できていると思えると、自分のベストでいられます。

    ほかに副産物もあります。

    たとえば、何かにトライすることで周りから励ましてもらったり。

    そんなの大したことないと言う人もいるかもしれませんが、そこは気にしない。

    誰かが一生懸命になっていることに対して、その姿勢を認めることもなく、大したことないと言えてしまうのは残念なことです。

    が、その人も、もしかしたら、励ましてもらったことがないのかもしれないし、余裕がないのかもしれません。

    そう思って気にしない。

    その人の状態は、こちらとは関係ないことですから。

    それから、失敗するかもしれないことにトライするって、時に勇気もいるので、勇気を出す練習にもなりそうです。

    勇気を持てるにはどうするか、というと、ひとつに練習があります。

    普段出してないと、なかなか出てこないけど、何かの機会につけて、少しずつ出していると、それが慣れっこになってきます。

    勇気を出すことで、何かプラスになることが実感できれば、次はもっと勇気を出してみよう、となれます。

    ときには勇気を出して転んだり傷ついたりもあるかもしれないけれど、それも勉強のひとつになるし、成長の糧にもなるはず。

    たいていの人は、やらずに諦めてしまうからこそ、実際に行動できることには大きな価値があります。

    トライしてみることで、自分の中の何かが変わることもあります。

    実際にやらなければ、学ぶこともなく成長にもつながらないけど、何かが具体的に何かというと少々表現しづらいですが、姿勢というか心の持ち方、気持ちの持っていき方とかそんな感じのもの。

    あなたにも、そんな経験はありませんか?

    今までで、勇気を出して何かにトライして、成長したと感じられたり、何かがプラスに変わったと思ったことはあるでしょう?

    そういう経験があるというより、そうした経験しかないのではないでしょうか。

    だって、人間はどんなことからも、どんな状況からも失敗や間違いからも学べるし、学べれば、それは成長、変化です。

    そこから、また、スタートすればいいだけだから。

    医師である日野原重明先生も「人生とは未知の自分に挑戦することだよ。」と仰っていて、年齢を重ねるごとに、無理も効かなくなるし、考え方も保守的になってきますが、いくつになっても、新しいことにチャレンジすることを心がけて、年齢に応じたチャレンジ精神を持ち続ければ、考え方も行動も変わってくるはずです。

    どんな経験もプラスに変えようと思えば、自分次第でいくらでもできるから、トライしたことで、無駄になったことなんか、ないはずなのです。

    リスクと責任を自分で負う覚悟があれば、誰にでも限りないものに挑戦(選択)する「自由」を持っているのだから、自分で選択する、挑戦する「自由」は、誰にもあるということを意識しておいてください。

    しかし、それを負う覚悟がなければ、自分に都合よく、「自由」だけは手にできないことに注意してくださいね。

    オペラ歌手であるビヴァリー・シルズも「失敗したら落ち込むかもしれない。しかし、挑戦しなければ定められた人生を歩くしかない。」と言っていて、現状を変えたければ、周りの環境の変化を待つのではなく、自分が考え行動することで変えていくしかありません。

    チャレンジしていかなければ、今の流れを変えていくことはできない。

    自分の将来は、自分の覚悟と行動で切り開いていきたいものです。

    そう、無駄になるのは、自分で「無駄だった」と決めてしまうときだけ。

    新しいことへのトライは、苦しいけれど、同時にドキドキ、ワクワクしながら挑戦することが醍醐味であり、目標がはっきりしていれば、苦しみはその通過点の一つに過ぎないので、その結果、新しい世界への扉を開いてくれたという感じです。

    苦しいときには、自分が目指しているところを意識するようにしてみて、そこが最終地点ではなく、通過点だと考えれば、必ず先に進むことはできると思います。

    現状を変えていくには、どんな覚悟と行動が必要ですか?

    あなたはトライしようかと思って躊躇していることは何ですか?

    いまのままで、将来、後悔することはありませんか?

    いま躊躇していることを思い切って挑戦することで、どんなことが得られますか?

    いまは苦しくても、その先に進めば手にできるものは何ですか?

    失うものは何もないと覚悟を決めれば、今なにができますか?

    無駄にはならないと思って、とりあえず、やってみてはいかが?


    【随筆】正受

    文化の発達した現代、人は何でも知っていると言われています。

    しかし、知らないものが一つだけあります。

    それは、自分自身。

    自分自身を知るとは、縁によって生じ、支えられ、いずれ縁が来れば滅していくことを知ることだと言われています。

    これは、お釈迦様が悟られた因縁の法です。

    この道理に従って、私たちの一生も終わるということは、知っているようで案外理解していませんよね(^^;

    自分の在り様を知った時、足ることを知るということを自ずから分かる。

    この目覚めが大切なんですね(^^)

    それは、自分の能力をよく知っているということです。

    仏法では、自由自在ということをよく言います。

    現代は、自由主義の時代。

    誰もが「自由」にやりたいことをやる、素晴らしい時代です。

    しかし、本当に「自由」なのでしょうか?

    「自由」は、わがままや勝手とは違います。

    自分の都合のいいことにおいては「自由」だと言い、都合の悪いことになると見向きもしない。

    これは本当の「自由」ではありませんよね。

    「自由」の下に自在があるんですよ。

    自在とは今、自分が置かれた場所、時。

    これに常に目覚めているということです。

    そういう目覚めがあった時に初めて、心の「自由」が得られ、毎日の生活が「自由」になるのだと教えられます。

    ところが、つい凡夫である私たちは自分を見失ってしまう。

    自分の長所を誇張したり、短所を隠してしまったり、よく見せようとする自我意識が働くから厄介です(^^;

    他人についてもまた同じ。

    すべての物事を正しく受け入れることがとても大切なことなんですね。

    これを仏法では、「正受(しょうじゅ)」と言います。

    実は、ここに人の能力を引き出す根本があります。

    他人の力を正しく受け入れ、十分に発揮させる。

    そういう働きが私たちには必要なんですね。

    私たちは、毎日の生活の中で多くの人々と関わり合っています。

    この人との出会いの中に、常に、その個性・能力を見出し、お互いに尊重し合いうことが大切です。

    「惜しい、欲しい、憎い、かわいい」などという欲望をむき出しにした毎日を過ごしている私たち(^^;

    だからこそ、少しずつでも、欲を捨て、足ることを知らなければなりませんよね。

    何かをやる時には、どういう心でやれるかが大事。

    人間関係では、どういう心で接することができるかが大事。

    夢や目標がある人は、いい心の姿勢をキープすることが、いい努力を続けることにつながります。

    その時の心のあり方が言葉や行動にも現れるのだけれども。

    心の状態をよくすることが、自分の言動をよくすることにもつながっていくんですね。

    そうしていくことで、今の心を大切にできるようになり、今を幸せに過ごせるようになれれば、将来も(その時の今を)幸せに過ごせるのでしょうね(^^)

    今を大切にする。

    今の心が大事。

    正受老人(禅僧)も言われています。

    「一大事と申すは、今日ただ今の心なり」とd(^.^) ねっ?


    【備忘録】「自由」を感じる瞬間

    住んでいる街(町)も、時と共に、変わっていきます。

    けど、街(町)はけっして、人を変えてはゆかない。

    人が街(街)を変えてゆきます。

    そして、人と人との距離も、心に垣根を静かに刻みはじめるのも、また、人なのでしょうね。

    根っからの都会人であれ、由緒正しき田舎人であれ、同じ人であることには、変わりはありません。

    そうそうに、人として違いがあるわけじゃない(^^)

    そして、街(町)はそんな人たちが作ったものです。

    街(町)が、人を作るのでも変えるのでも決してない。

    でも人が、街(町)を作り変えていくことはできると思いませんか?

    この街(町)という言葉を、あなたが住み暮らしている場所や、職場や学校など、総じてあなたの居場所という言葉に、置き換えてみてはどうでしょうか(^^)

    おはようと、挨拶をしない街(町)ではなくて、おはようと、挨拶をしない人がいる、街(町)なんですよね^^;

    その街(町)にも、あなたがおはようと、声をかければ、おはようと、答えを返してくれる人が必ずいます。

    すべての人ではなくても、挨拶を交わせる人が、あなたの周りに必ずいると思います。

    あなたが動けば、あなた自身が動き出せば、その居場所を、そして周囲を、変えていくことができます。

    風が吹いてこないことを嘆くよりも、あなたが動きだせば、風はそこに、自然に生まれてくるのです。

    そして、立ち止まらずに、走り出せば、さらに心地よい風を、感じることができるでしょう。

    挨拶してくれないからと悩むよりも。

    どんな挨拶をしようかと迷い続けるよりも。

    挨拶をして挨拶が返ってこないかもしれないと恐れるよりも。

    そしたら、まずは歩き出してみませんか?

    風を感じて、そして、「自由」を感じるために(^^)

    走らなくても、ゆっくりでも、足がもつれて、ずっこけても、ともかく、一歩まえへ、進めればいいよね。

    そして、もっと、気楽に、肩の力抜きましょ!

    いろんなやり方、試したらいいんだよね。

    そしたら、あなたには、あなたのやり方っていうのが、かならず見つかります。

    こたえはひとつだけしかないってことでは、決してないんだから(^^)

    だから、ぼちぼちとやりましょ。

    例えば、自分の基準で、幸せに生きることを選び、「幸せ」を感じる瞬間を多く持つとか。

    ・何かに没頭している時

    ・「自分らしい」と感じる時

    ・一体感を感じている時

    ・ワクワクする時

    ・心が愛情に溢れている時

    ・成長していると感じる時

    ・精神統一している時

    ・何かを作り出している時

    ・精神統一している時

    ・何かを作り出している時

    ・「自由」を感じる時

    ・心が平穏な時

    ・人に喜んでもらえた時

    ・非日常・アドベンチャーを体験している時

    ・誰かを守っている時

    ・尊敬されている時

    ・自己実現ができた時

    誰かの真似や、他人に言われたからではなく、自分が、心の奥底から本当に願っていることを知ることが大切です。

    そうでないと、偽りの自分だけが先へ先へと進んでいってしまうから注意しなければ^^;

    自分の願いを知っているから、それを通して他人の願いも見えてくるものです。

    自分自身の中心をいつも意識すれば、いろんなことが分かってくるから(^^)

    さぁ、心地よく歩く朝の道♪で、ちょっぴり振り返ってみませんか?

    心の対岸にたって、自分を眺めてみることを、ね(^^)

    そこで、自分が変えられる「たった一つ」のもの(それが、自分のできる全て。)を変えていければ良いよね。

    ・急に人生を変えることはできない(変えられるのは、次の行動だけ。)

    ・急に人間関係を変えることはできない(変えられるのは、次のコミュニケーションだけ。)

    ・急に職業を変えることはできない(変えられるのは、次のタスクだけ。)

    ・急に痩せることはできない(変えられるのは、次の食事だけ。)

    ・急に全てをスッキリさせることはできない(目の前のものを、今、片付けられるだけ。)

    ・急に全ての借金を返済することはできない(次の支払いをできるだけ)

    ・過去を変えることはできない(未来をコントロールすることもできない)

    ・変えられるのは、たった今の行動だけ。(急に全ては変えられない。変えられるのは、小さなことだけ。)

    そう、「It's so easy. Take it easy.」みたいな感じで、ね(^^)

    もっと、気楽に、「Easy to be happy.」だと思えるように、まっすぐに、Oh yeah!

    そう考えていければ、ほ~ら、ね。

    温かな気持ちになるのは、なぁ~んも難しいことなんかないって、ほんと、やさしいことなんだぁ、って思えてくるから不思議です(^^)

    「今に在ること」に気を付けてることで、色々なメリットを感じられてくるはずですよ。

    ・自分が今に在ると、表現する喜びが体を駆けめぐります。

    ・自分が今に在ると、先のことなどに惑わされなくなります。

    ・自分が今に在ると、食事の美味しさを心から楽しめます。

    ・自分が今に在ると、感謝の気持ちに目がいきます。

    ・自分が今に在ると、とても平和な気持ちでいられます。

    ・自分が今に在ると、時間を忘れて深く没頭できます。

    ・自分が今に在ると、そこはかとない恐怖や葛藤が晴れます。

    ・自分が今に在ると、自分に大いなる力があることを感じます。

    ・自分が今に在ると、呼吸が深くゆっくりになります。

    ・自分が今に在ると、明晰な直観が感じられます。

    ・自分が今に在ると、愛するだけになります。

    ・自分が今に在ると、こころの歌が聞こえます。

    ・自分が今に在ると、やるべき事にひるまなくなります。

    ・自分が今に在ると、体の細胞ひとつひとつが生きているんだと気がつきます。

    ・自分が今に在ると、人生の謎が理解できます。

    ・自分が今に在ると、心は自然とひらきます。

    ・自分が今に在ると、すべてを冷静に見つめられます。

    ・自分が今に在ると、ベストを尽くせます。

    ・自分が今に在ると、暗闇を照らす光を見つけることができます。

    ・自分が今に在ると、幸せで楽しく、「自由」です。

    ・自分が今に在ると、チャンスの扉が開きます。

    ・自分が今に在ると、私のなるべき人格と生きるべき人生を作り上げます。

    また、ベストよりも、ベターを尽くす!尽くす!尽くす!だよ。

    それが気ままに生きる自分のベストなんだから、ね(^^)

    ・歯を食いしばって がんばるより、リラックスして がんばった方がうまくいくさ。

    ・くそ真面目は煮詰まるだけ

    ・ひと息つけば、きっといいアイデアをひらめくさ。

    ・100点満点からの減点方式で 落ち込むぐらいなら、何点プラスされたかに注目したほうがいい。

    ・肩の力を抜けば、無駄な疲れは何分の一になるよ。

    ・毎日、着実に歩んでいったら素晴らしいじゃないか。

    ・焦ってやっても、テンパってミスをするだけ。

    ・結局は、ゆっくりが早いよ。

    ・完ぺきになれない自分を責めるな

    ・人間らしくて憎めないいい奴じゃないか

    ・スーパーマンじゃないんだから

    ・はるか遠くのトップ集団を憂いても仕方ない

    ・自分の身の回りから変えていこう

    ・落ち着いた上で、意欲的になろう。

    ・自分は自分、他人は他人。

    ・他人と競ったっていいことないぜ

    ・眉間にシワを寄せていたら、誰も寄ってこない。

    ・スマイル、スマイル。

    ・終わっちゃったものは、仕方がないよ。

    ・ここから切りかえて進むしか無い

    ・チャンスは星の数ほどあるよ

    ・また、リセットして、やり直せばいい。

    ・ベストを尽くしているアイツに弱音をはいてみたら?

    ・ベストを尽くそうだなんて考えずに無心に打ち込めばいい。

     
     
    固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。

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