
Vol.10|部長、アメリカ本土に降り立つ。
小さい頃から、僕の中には「いつか海外へ行ってみたい」という憧れがありました。
でも、それはまだ夢の話。
その夢が、たった一言で現実になった日があります。
「いつから行きますか?」
確か、高2になる少し前ぐらいだったと思います。
近所の幼なじみが、高校を辞めてアメリカへ行くことになりました。
僕とその幼なじみは、小学校で通っていた塾で知り合いました。
中学校までは一緒でしたが、高校は別々。
僕は県立高校へ進み、彼は私立高校へ進学していました。
そんなある日、彼のお母さんから電話がありました。
「タケシくん、お願いがあるんだけど。」
「息子と一緒に、英会話へ通ってもらえないかしら。」
「一人では嫌みたいで……。アメリカへ行くことにしたから、ぜひ一緒に通ってもらえたらと思って。」
「え!? 僕が英会話? え! 〇〇くん、アメリカへ?」
高校生の僕には、突然のお願いでした。
もちろん、びっくり。
でも――
それが、すべての始まりでした。
近所のアメリカ人のおばあちゃん宣教師
英会話を教えてくれたのは、当時、関西学院大学神学部に関わっていたアメリカ人宣教師の女性でした。
しかも、びっくりするくらいご近所。
僕からすると、まるで「アメリカ人のおばあちゃん」のような方でした。
英会話のレッスンは無料。
ただ、1時間半ほどのレッスンのうち、3分の1くらいは聖書を学ぶ時間でした。
高校生の僕にとっては、まったく知らない世界。
「クリスチャンにならないとダメなのかな……。」
なんて、ちょっとドキドキしていました(笑)。
もちろん、そんなことはありませんでした。
「アメリカ人のおばあちゃん」先生は、英語だけでなく、人の温かさや、いろいろな文化を知ることの面白さも教えてくれる人でした。
半年ほど通った頃、幼なじみはアメリカへ旅立っていきました。
そして、教会でピアノを弾くことに
その後、「アメリカ人のおばあちゃん」先生が駅の近くに教会をつくることになり、
「礼拝のときにピアノを弾いてくれませんか?」
と声をかけてくれました。
僕はクリスチャンではありません。
それでも、行けるときには教会へ行って、ピアノやオルガンを弾くお手伝いをしていました。
そんなある日のこと。
礼拝が終わったあと、先生が何気なく僕に聞きました。
「タケシも、アメリカへ行ってみたいですか?」
僕は、
「チャンスがあれば。」
と答えました。
社交辞令みたいな返事です。
まさか、この言葉を先生が本気で受け取っているとは思っていませんでした。
「アナタに合う家を見つけました」
時は流れ、高校3年生の秋。
ある日、先生から突然、こんなことを言われました。
「アナタに合うホームステイ先を見つけました。」
「家にはピアノもあります。」
「いつから行きますか?」
え……。
僕の頭の中は、一瞬でフリーズしました。
パスポートも持っていない。
大学受験の真っ最中。
親にも相談していない。
「いやいや、ちょっと待ってください……。」
という感じです。
「まず、親に相談しないといけないんで。」
そう答えると、先生は「わかりました」と。
でも、僕の中では、この時から少しずつ何かが動き始めていました。
母は猛反対
家に帰って、両親に話しました。
普段なら、「やってみたら?」という母ですが、この時は猛反対。
「そんな甘い話、あるわけないでしょ。」
「あなたはクリスチャンでもないのに、なんでそんなところに行けるの?」
「騙されてるんじゃないの?」
当時、ホームステイ先にお支払いするのは、食事付きで月150ドル。
1ドルが100円を切っていた時代なので、日本円にすると月1万4千円くらい。
母からすれば、
「そんな金額で、ご飯までついて海外で生活できるなんて、そんなうまい話あるわけない!」
ということです。
しかも僕は喘息持ち。
母にしてみれば、息子をそんな遠いところへ一人で行かせることが心配だったんだと思います。
父が言ったこと
父も、最初から賛成だったわけではありません。
何度も話し合いました。
僕も譲りません。
親も心配だから譲れない。
ずっと平行線です。
それでも、僕の中では、もう気持ちは決まっていました。
どうしてもアメリカへ行きたい。
そんな僕に、父が最後に言った言葉を今でも覚えています。
「どうしても行きたいなら、行ってみたらいい。」
そして、
「世界を見てきなさい。」
その言葉を聞いて、僕は決めました。
絶対にアメリカへ行く。
実は、最近になって父に、このときのことを改めて聞いてみました。
すると、父が「世界を見てきなさい」と言った背景には、僕が小学生の頃に当てた、あのヨーロッパ旅行のペア優待券があったそうです。
以前のVol.8にも書きましたが、僕は小さい頃、歳末のガラガラ抽選会でヨーロッパ旅行のペア優待券を引き当てました。
その旅行で、父は僕が当てた優待券を使って、人生で初めて海外へ行ったそうです。
父自身、社会人になってから初めて見た海外。
そこで実際に世界を見た経験があったからこそ、
「若いうちに世界を知ることは大切。」
と思うようになったのだそうです。
だから、あのとき僕が「どうしてもアメリカへ行きたい」と言ったとき、
「世界を見てきなさい。」
という言葉が出てきた。
そう聞いて、僕は少し驚きました。
あの一言には、父自身の経験が込められていたんだな、と。
そして、僕が小さい頃に偶然当てたガラガラのヨーロッパ旅行が、何年も後になって、今度は僕自身がアメリカへ行く背中を押すことになっていた。
そう思うと、なんだか不思議な縁を感じます。
もう、後戻りできません(笑)
実は、親の最終的なOKが出る前に、僕は船便で荷物をアメリカへ送っていました。
今思えば、かなり無茶です(笑)。
でも、18歳の僕は本気でした。
大学受験はしない。
高校を卒業した翌日、一人でアメリカへ行く。
もう、後戻りできません。
今思えば不思議なのですが、僕も両親も、
「大学はどうするの?」
とは、一言も誰も言わなかったんです。
……まあ、18歳の僕の頭の中はアメリカでいっぱいでしたし(笑)。
伊丹空港から、アメリカへ
そして、高校卒業の日の翌日。
友達が自転車で伊丹空港まで見送りに来てくれました。
「じゃあな!」

父は仕事で見送りに来られなかったので、母は昔から仲のいいご近所の方についてきてもらっていました。
皆に見送られながらも、自分自身がこれからアメリカへ行くんだ、という実感は、まだあまりありませんでした。
どこか不思議な感じだったのを覚えています。
たしか、伊丹空港からニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港(JFK)までは、ノースウエスト航空の直行便。
JFKでTWAに乗り換え、ペンシルベニア州の州都、ハリスバーグへ向かいました。
当時はまだ関西国際空港もなく、海外への玄関口は伊丹空港。
地球儀やテレビの向こうにあったアメリカへ、
僕は今、本当に向かっている。
そう思うと、少しずつ実感が湧いてきたのかもしれません。
人生初めての海外。
人生初めてのアメリカ。
18歳の僕は、こうして海を渡りました。
びっくりするぐらい、でっかいJFK空港!
そして、人生初めての一人旅。
18歳の大冒険。
今思えば、よく行ったなと思います(笑)。
JFKで、いきなり全部英語
JFK空港に着いた瞬間。
当たり前ですが、聞こえてくるのは、全部英語。
アナウンスも英語。
案内も英語。
周りの人たちの会話も英語。
「え……乗り換え、どこ?」
必死で空港の人に聞きまくりました。
なんとかゲートを見つけて、
「よかった……。」
と思ったのも束の間。
今度は、飛行機が遅れている。
しかも、約4時間。
携帯電話なんてありません。
ホストファミリーに連絡する方法もよく分からない。
そして、緊張と疲れで、喉がカラカラでした。
何か飲みたい。
でも、ここはアメリカ。
そこで僕が初めて買ったものが、瓶のコカ・コーラでした。
1ドル。それもピン札。
それが、僕がアメリカで初めて使ったドルでもありました。
「これがアメリカのお金か。」
そんなことを思いながら瓶を手にした瞬間、18歳の僕の頭に浮かんだのは、アンディ・ウォーホルでした。
「おー、本物のウォーホル。」
コーラは日本でも飲んだことがあるのに、瓶に入っているだけで、まるで美術館の作品を手にしたような気分になっていました。
18歳の僕は、いちいち何もかもに感動していたんです(笑)。
JFKでTWAに乗り換えるときもそうでした。
TWAの待合スペースだったと思うのですが、アーチを描いたようなデザインで、当時の僕には、近未来っぽい、ものすごくかっこいい空間に見えました。
「うわ、かっこいい……。」
そんなことに感動していたのを、今でも覚えています。
ただ、そんな感動に浸っている場合でもありません。
僕は、ものすごく大きなスーツケースと、でっかいカバンをたすき掛けにして持っていました。
これらを置いたままにして、もし盗まれたら大変です。
だから、トイレに行くのも一苦労。
荷物が多いので、必死になってトイレへ。
そして、扉を閉めた瞬間――
びっくり。
足首どころか、膝くらいまで丸見えです。
左右の個室の壁の下からも、足元が丸見え。
「これはどういうこと!? 設計ミス!?」
荷物をかけるフックみたいなのは壊れているし、地べたにも置けない。
トイレをするのも一苦労です。
待合室に戻ってきたら、空いている席を探し、また荷物を確認する。
そんなことを繰り返していました。
日本を出るとき、親や親戚から、
「スリには気をつけなさいよ。空港の中でも気を抜かないように!」
と、何度も言われていました。
だから、わざわざ僕の横に座ってくる人を見るたびに、
「え、この人、スリじゃないよね……?」
なんて思ってしまう(笑)。
今思えば、かなり疑心暗鬼になっていたんでしょうね。
ハリスバーグ行きの飛行機が……
そして、ようやくハリスバーグへ向かう飛行機に乗り込むことになりました。
ところが――。
まさかの遅延!
ホストファミリーがハリスバーグの空港まで迎えに来てくれることになっています。
「どうしよう……。」
公衆電話のかけ方も、よく分からない。
そもそも、小銭も持っていない。
「迎えに来てくれているのに……ごめんなさい。」
そんな申し訳なさと不安を抱えながら、疲れ果てた僕は、大きな荷物を抱えたまま、待合スペースでうとうとしていました。
そうこうしているうちに、アナウンスが流れました。
慌てて起き上がり、よく分からないまま、誘導されるがままについていきます。
そして、ロビーから外へ。
「あれ?」
そのまま、飛行機まで歩いていきます。
そこで、ようやく飛行機の姿が見えてきました。
「え?」
びっくりするくらい小さい。
小さな飛行機に、大きなアメリカ人が、でっかい荷物を抱えて乗り込んでいく。
「これ、大丈夫?」
しかも、ロビーから一度外に出て、飛行機までは歩いて行くんです。
短いタラップを上りながら、
「無事に飛んでよね……。」
18歳の僕は、神に祈るような気持ちで搭乗しました。
そして、いよいよハリスバーグへ。
人生で初めてのアメリカは、どうやらまだまだ僕を驚かせてくれるようです。
「Hi, Takeshi. Welcome.」
ハリスバーグ空港に到着すると、幼なじみとホストファザー、ホストマザーが迎えに来てくれていました。
幼なじみの顔を見た瞬間、
「あぁ、着いた……。」
と、ホッとしたのを今でも覚えています。
そこから車に乗り込み、暗い道をどれくらい走ったのか。
よく覚えていません。
そして、ようやく家に到着。
玄関を開けると、映画やテレビで見ていた通り、靴を脱ぐ様子はありません。
「靴、脱がなくていいんだ……。」
とは思ったものの、
「でも、絨毯なのに本当に脱がなくていいのか?」
と考える暇もありませんでした。
なぜなら――
玄関を入った瞬間、
熊みたいにでっかい犬が、僕のところへ寄ってきたからです。
「えっ、えっ、えっ……。」
大きな犬が近づいてくる。
足元には、猫が2匹、擦り寄ってくる。
もう、何が何だかわかりません(笑)。
「これがアメリカの家か……。」
なんて感慨に浸る余裕もなく、18歳の僕は、とにかく状況についていくのに必死でした。
そして、人生初のアメリカのピザ
その頃には、僕はもうお腹がペコペコ。
ホストファミリーが、僕のためにピザを注文してくれました。
そして、届いたピザを見て、
「でかすぎる!!」
しかも、すごい量のペパロニ!
日本では見たことのない大きさです。
お腹が空きすぎていたので、とにかく食べました。
一口食べながら、
「これがアメリカの味かぁ……。」
18歳の僕は、なぜか妙に冷静にそんなことを考えていました。
50代になった今でも、1年に数回、ペパロニピザが食べたくなります。笑
小さい頃から憧れていたアメリカ。
地球儀を眺めながら夢見ていた国。
テレビの向こうに見ていた国。
その国に、僕は本当に来てしまいました。
でも――
本当の物語は、ここからでした。
アメリカで人生初の「いじめ」を経験し、
一台のピアノが、僕の世界を大きく変えていきます。
次回 Vol.11