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年始の抱負を考えた末に、「意味があるのか?」と立ち止まった話

    年始になると、「今年の抱負は何ですか?」という話題をよく耳にします。
    仕事でも、プライベートでも、あちこちで聞く機会があります。
    そのたびに思うのは、
    「それ、本当に達成する前提で言っているんだろうか?」という違和感です。
    決意としては立派です。
    前向きだし、聞いていて嫌な気持ちになるものでもない。
    それでも、どこか現実から浮いているように感じていました。
    そんな流れの中で、今年も自分なりに抱負を考えてみました。
    いくつか案は出てきます。
    でも、その瞬間にこう思ったんです。
    これ、自分にとって本当に意味があるだろうか。面倒くさいやつになってるのか。。

    🌀抱負は出せる。でも、しっくりこなかった

    考えれば、言葉自体はいくらでも作れます。
    過去の自分も、そうやって抱負を掲げてきました。
    実際、昨年と一昨年の抱負を見返してみると、
    今見るとどこか他人がいってたことのように感じます。
    正直な感想はひとつです。
    「何を言っているんだか」。
    ここから、年始の抱負という習慣そのものについて、
    考え直すことにしました。

    🎍年始の抱負は、否定すべきものではない

    誤解のないように言っておくと、
    年始の抱負という文化自体を否定しているわけではありません。
    1年のスローガンやテーマとして考える分には、
    とても良いものだと思っています。
    ただ、それを「目標」にしてしまうのは、
    正直あまり意味がないと感じています。
    なぜなら、目標というのは
    達成するために立てるものだからです。

    📉なぜ年始の抱負は、ほぼ達成されないのか

    年始の抱負は、ほぼ確実に達成されません。
    それは意志が弱いからでも、根性が足りないからでもない。
    そもそも「節目だから」という理由で立てたものは、
    達成をするための目標として考えられていないからです。
    多くの年始の抱負は、
    「来年こそはできそう」
    「なんとなくやれそう」
    という期待感だけで作られます。
    そこには、
    うまくいかない前提や、
    失敗したときの対策が、ほとんど含まれていません。

    ⏳年が変わっても、人は変わらない

    年が変わったからといって、人が変わるわけではありません。
    昨日できなかったことが、
    1月1日になった途端にできるようになることはない。
    結局、成果をつくるのは
    1日1日の積み重ねだけです。
    たまに、抱負として突拍子もないことを掲げる人がいます。
    言うのはタダなので問題はありませんが、
    達成される可能性は限りなく低い。
    理想と目標は別物です。
    さらにややこしいのは、抱負というものは
    「理想をさらに盛って語ろうとする」点です。
    それを見たとき、正直こう思ってしまいます。
    「いやいや、何を言っているんだ、」と。

    🧭うまくいっている人ほど、抱負を重視しない!?

    一方で、常に目標を意識して行動している人は、
    年が変わったからといって目標を変えません。
    今やるべきことは、
    年始だろうが、年度末だろうが同じだからです。
    だからこそ、うまくいっている人ほど、
    「1年の抱負」というものの意味の薄さを、
    感覚的に理解しているのだと思います。
    ただ何度もいいますが、抱負でテーマやスローガン
    を掲げるのはいいものだと思います。
    目標は違うかなと思います。

    🪨今年の私の抱負

    そう考えた上で、今年の私の抱負はこれにしました。
    「自分が正しいと思うことを、粛々とやる」
    地味っすね。
    でも、今の自分にはこれで十分です。
    年が変わっても、
    やるべきことは変わらない。
    だから今年も、特別なことはしません。
    粛々と、やるだけです。


    執筆:松村 健太
    BCC株式会社 IT営業アウトソーシングカンパニー カンパニー長
    公式サイトはこちら →

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