
ユーモアの奥にある敬意 ― Her Majesty
『この曲は、女王を一国の君主としてではなく、ただ感じのいい女の子のように扱っている、冗談半分の歌なんだ。』
Paul McCartney は自著 The Lyrics の冒頭で、このように語っています。多くのディスクガイドでも、本作は「大胆な冗談ソング」として紹介されることが少なくありません。確かに、女王陛下を親しみやすい『ひとりの女性』として描いた、ユーモアあふれる作品であることは間違いないでしょう。
しかし、その一方で Paul は、 The Lyrics の終盤で、女王について次のようにも述べています。
『彼女は、しばしば国を一つにまとめる“接着剤”のような存在だったと思う。コモンウェルス(英連邦)は、もはやかつての大英帝国ではない。でも、さまざまな国々が集う共同体であり、みんな彼女を慕っている。』
そこには、イギリスという国を長年支え続けた君主への、深い敬意と感謝がにじんでいます。
そして最後に、 Paul はこんなエピソードを添えます。
『そういえば、一度だけこの曲を女王の前で演奏したことがある。どう伝えたらいいものか分からないけれど……やっぱり彼女は、あまり多くを語らなかったよ。』
50年以上の時を経て、若き日に書いたユーモラスな歌詞の一節を、現実の思い出と重ね合わせて締めくくる──。そこには、女王への敬意と、当時と変わらない茶目っ気が同居した、いかにも Paul らしい粋なユーモアがあります。
そんな背景を胸に置きながら、現実には決してかなうことのない恋心を、少年のような無邪気さで歌い上げた、この小さな名曲の歌詞を見ていきましょう。
[Verse]
女王陛下は*1なかなか素敵な人だけれど、あまり多くを語る方ではない
女王陛下はなかなか素敵な人だけど、日によって気分が違う
*1: なかなか素敵な人
: pretty nice girl
pretty というと真っ先に浮かぶ訳語は『かわいい』だと思いますが、ここでは『かなり』『なかなか』という意味の『副詞』です。
girl は通常『女の子』ですが、エリザベス女王はもちろん少女ではありません。英語では親しみを込めてgirlと呼ぶことがよくあります。 Paul McCartney らしい軽妙な言い回しで、『女王陛下って、なかなかいい人なんだよね』という気持ちで使ったもの
と思われます。
[Verse]
彼女をどれほど愛しているか伝えたい。でも、その前に*2ワインをたらふく飲まなきゃね
女王陛下はなかなか素敵な女性。いつの日か、きっと僕のものにしてみせる
いつの日か、きっと僕のものにしてみせる。
*2: ワインをたらふく飲む
: get a belly full of wine
belly はカジュアルな表現で『お腹』の意味です。belly full of~ は『腹いっぱいの~』というかなり口語的な表現です。つまり酒で度胸をつけないと告白できないというジョークですね。
いかがでしたでしょうか?
この曲は、もともと Abbey Road のメドレーの途中に組み込まれる予定でしたが、最終的にはカットされてしまいます。ところが、その切り離されたテープをエンジニアが『とりあえず』とマスター・テープの最後につないでおいたことから、思いがけず現在の形で残されることになりました。偶然が生んだ名場面――その結果、『シークレット・トラック』の元祖ともいわれる存在になったのですから、実に Beatles らしい逸話です。
そして、もう一つ思わず考えてしまうことがあります。もし Brian Epstein があの当時まだ健在だったなら、この曲は果たして世に出ていたのでしょうか。彼なら、このユーモラスな小品をどのように受け止め、どんな感想を語ったのか──そんな想像を巡らせるのも、この曲ならではの楽しみ方かもしれません。
わずか 23 秒ほどの短い曲でありながら、ユーモアと遊び心、そしてどこかイギリスらしい品格まで感じさせてくれる Her Majesty 。アルバムの最後にそっと現れて微笑みを残していく、その粋な締めくくりは、半世紀以上を経た今もなお、多くの人を魅了し続けています。
皆様は、この小さな名曲からどのような印象を受けられたでしょうか。