
掌編小説 | 借りた本 #シロクマ文芸部
職員室を左に見ながら、廊下をしばらく進むと図書室の扉がある。
放課後になると部活がすぐに始まるし、
まして、一年坊の翔太は真っ先にグランド整備をしなければならない。
だからやむを得ず、貴重な昼休みを犠牲にして弁当を掻き込むと、
ひとりここへ向かった。
総合学習という、教科横断型学習カリキュラムの一環で、
翔太は意には沿わなかったが「文学」を探求する羽目になった。
ひとくちに「文学」と言ってもそのジャンルは多岐に渡る。
グループじゃんけんに負け続けた翔太には残りものの
「現代詩」という得体の知れない何ものかが割り振られた。
さすがに行き当たりばったりというわけにも行かず、
副教材の「国語便覧」で現代詩人という人種をピックアップしてはいた。
「青猫」(萩原朔太郎作)、「山羊の歌」(中原中也作)。
さて、どっちだ?
「猫」か?「山羊」か?
サッカー部でゴールキーパーの翔太は、PKの際は予めどっちかに決めてから跳ぶ感じだ。
かといって、二冊の詩集を手にしてさすがに物音のしない図書室で跳びはねるほどの勇者ではない。
だから、イメージの中だけで右に跳んだ。
右の手には「山羊の歌」。
まあ、良かった。青い猫は少々不気味だから。そんなのいねぇし。
そんなわけで、「青猫」には元の本棚にお帰り願って、「山羊の歌」を貸し出しカウンターのおばちゃん司書の先生に渡して借りることにした。
「貸出期限は今日から2週間です。それまでにはきちんと返してね。」
「分かりました、大丈夫です。」
事前の「翔太調べ」によると、
これが中也の第一詩集で代表作が収められているらしい。
ふと、その「山羊」を見ると、本の表紙近くから、
白い紙が顔を覗かせている。
「山羊」だけに紙食べんのか?
ちょっと自分でもウケた。
その「餌」が挟まれているページを開いてみた。
「汚れちまった悲しみに…」
「おーっ!代表作じゃん。」
翔太はこれしか知らないわけだが、文学青年気取りだ。
しかし、彼の関心はすでに「山羊の餌」に移行してしまっていた。
「何か書いてある。」
最初は栞だと思ったが、メモのようだ。
書いて、くしゃくしゃに丸めて、また延ばして、挟んである。
一行目 「あなた」
二行目 「なくなって」
三行目 「いってほしい」

さっぱり意味が分からない。
おまけに、ところどころ字がかすれてもいる。
女の文字みたいだ。
ますます、不可解だ。
でも、もう昼休みも終わりそうだったから、
翔太は思考を閉ざして教室へ向かった。
帰宅後のいつものルーティーン…つまりは、着替え、風呂、夕飯、
を終え翔太は自室の机に向き合った。
やはり気になるから、目の前に広げてみる。
このひらがなが厄介だ。
それでも、翔太の妄想は膨らむ。
、
一番過激なパターンだったら
「あなた、亡くなって。(この世から)逝って欲しい。」
誰かの死を望んでいるのか?
じゃなければ、
「あなた、居なくなって。(どこかへ)行って欲しい。」
私の前から消えて?
どっちにしても穏やかじゃない。
「どうしよう?」
「誰なんだろう?」
小学校ぐらいまでは貸し出しカードが挟まってたから、
借り主が分かったけど、今はそういうのもコンピュータ管理だもんな。
あーでもない、こーでもないと散々迷った挙げ句の翔太の結論。
「返事を書いて、挟んで、明日、いったんこの本は返却しよう。」
おいおい、総合学習はどうすんだ?
「はじめまして、サッカー部一年の中野翔太です。この本を借りたときに、あなたのメモを読んでしまいました。
辛いこととか、苦しいこととかあるんですか?
僕に何か出来ることがあれば…。」
これ以上、書く言葉は見つからなかった。
翌日のやはり昼休み、再度返却に訪れると、おばちゃん司書の先生は、
「あら、もう良いの?案外、読むの速いのね?」
と含み笑いを堪えた感じで受け取った。
あれから既に10日が経過していた。
総合学習のレポート提出は、チャッピーの献身的なヘルプを最大限に利用して、期限の6月末日をなんとか乗り越えた。
そして、翔太はまたしても図書室に向かっていた。
もう一度、あの本を借りる。
返事は挟んである。
と、裏付けのない自信みたいなものがあった。
予感なのかもしれないけれど。
あった!今度のは、くしゃくしゃではない。
「ありがとう。とっても嬉しかった。でも、私は大丈夫。
『汚れちまった悲しみは、きっとあなたに癒やされる』だよ。
それにね、君は私のお願いをちゃんと聞いてくれていたの。」
「お願い?された覚えなんてないんですけど…。」
梅雨の鬱陶しさは、高校入学後初めての期末試験の敗北感と共に霧散し、
そして、終業式を迎えた。
お決まりの校長訓話、夏休みの心得などなど。ただ気になることがひとつ。
「みなさん、学校に元気に通えることは当たり前ではないんです。
今日、三年生の女生徒がひとり本校を去ります。
無念の思いを必死に堪えてです。
彼女はこれから命と向き合い、闘うために海を渡ります。
先ほど、校長室へ最後の挨拶に来てくれました。
『私が荒んだ気持ちになって、辛く当たってしまったり、無視したり、
いじけたり、そんな私を最後の一日まで優しく包んでくれた本校の皆さん、
ごめんなさい。そして心からありがとう。』と伝えてくれと。」
しんと静まりかえった体育館の、三年生の列から嗚咽が漏れた。
さて、明日から部活漬けの6週間が始まる。
下駄箱から、アディダスの蛍光オレンジのスパイクを取り出し、
履き替えようとする。
「ん?何か落ちたぞ。」
「見覚えある。あ、山羊の餌だ!」
「あなたに
泣くなって
言って
欲しかったの。
私のお願い、叶えてくれてありがとう。 あすか」
翔太は溢れる涙を拭おうともせず、グランドへ走った。
了
小松幸助様、お題企画「借りた本」に投稿させていただきます。
よろしくお願いいたします。