
今日の自分は昨日の他人 脳の不思議な話
「自分を大切にしよう」と言われても、ぴんと来ない人は多い。
ならば言い換えよう。
あなたは他人を大切にできるだろうか。
できる、と答えたなら朗報である。脳にとって、未来の自分は他人だからだ。これは比喩ではない。スキャナーの中で実際に観測された、解剖学的な事実である。
UCLAの心理学者ハル・ハーシュフィールドは、被験者に「現在の自分」「十年後の自分」「他人」について考えさせ、脳活動を比較した。
現在の自分を考えるとき活性化する内側前頭前皮質の領域は、十年後の自分を考えるときには沈黙し、その活動パターンは他人を考えるときとほぼ同じだった。しかも面白いのは個人差である。未来の自分を「他人度」高く処理する人ほど、貯蓄が少なく、目先の報酬に飛びつきやすかった。当然だろう。老後資金を貯めるとは、脳の会計上、見知らぬ中年に毎月送金する行為なのだから。
ダイエットの失敗も、夜更かしも、締切前の現実逃避も、意志の弱さではない。ツケを払うのが「他人」だから、罪悪感が湧かないのである。
哲学は先回りしていた。
オックスフォードの哲学者デレク・パーフィットは『理由と人格』で、自己の同一性とは幻想に近く、あるのは心理的連続性の程度問題だけだと論じた。
十年前のあなたと今のあなたをつなぐのは、同じ魂ではなく、記憶と性格の「引き継ぎ書類」の束にすぎない。そして書類は年々差し替わる。
ハーバードのダニエル・ギルバートらが一万九千人を調査した「歴史の終わり錯覚」の研究は、その差し替えの盲点を突いた。
人はどの年齢でも「過去十年で自分は大きく変わった」と認める。ところが「今後十年」については、もう変わらないと予測するのである。
全員が、人生のあらゆる時点で「工事は完了した」と思い込む。実際には工事は続き、十年後の他人が、今のあなたの決定の中に住むことになる。
この「未来の自分は他人」問題には、深刻な応用編がある。
若い日に交わされる、期限の長い契約だ。
キャリアを中断する、姓を変える、住む場所を相手に合わせる——人生の大型契約には、署名者と履行者が別人になるものが多い。
とりわけ「数年だけ家庭に入る」といった契約は、二十代の自分が署名し、四十代の他人が履行する構造になっている。
経済学者たちが繰り返し測定してきたとおり、出産や介護によるキャリア中断の所得損失——チャイルド・ペナルティ——は長期に及び、数年のつもりの中断が生涯賃金に複利で響く。署名した本人に悪気はない。ただ、履行者がスキャナーの中で「他人」と表示される人物であることを、誰も教えてくれなかっただけなのだ。
では、他人とどう付き合うか。
他人なら他人らしく、実在感を与えること。
ハーシュフィールドは、加齢加工した本人の顔写真を見せるだけで老後の貯蓄配分が増えることを実験で示した。
十年後の自分に手紙を書く、具体的な一日を想像する——幼稚に見えるこの作業は、送金先に顔写真を貼る事務手続きである。
次に、大型契約には「他人条項」を入れること。
将来の履行者は署名者と別人格である以上、見直しの期日と撤退の経路をあらかじめ書き込んでおく。愛や決意を疑うからではない。
契約の当事者が、まだこの世に存在していないからである。
そして、逆方向にも使うこと。
昨日の自分も他人なら、昨日の失態は他人の不始末である。
引き継ぎ資料として教訓だけ受け取り、恥は前任者に置いていけばいい。
過去の自分を責め続けるのは、退職した前任者を毎晩呼び出して叱る、奇妙な残業である。
自分探しという言葉があるが、探しても無駄だ。
見つけた頃には、探していた本人が別人になっている。
できるのは、次に来る他人のために、部屋を少し片付けておくことだけである。
帰って来た #逆説から考える生きることシリーズ
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