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責任感が強いあなたが燃え尽きる前に読むべき記事

     「あの人は、ほんとうに責任感が強い」

     それは職場やチームで称賛される特質のひとつだ。
     頼まれていないことにも気を配り、自分の役目以上の働きをし、誰かのミスさえもカバーする。

     だが、その「責任感の強さ」は、気づけば『都合のいい人』として搾取されてしまう構造を生みがちだ。

     そして、誰よりもまじめに、誠実に向き合っていた人が、ある日、ふっと仕事への情熱を失う。

     「自分だけががんばっている」
     「どうせ全部私がやることになる」
     「誰も助けてくれない」

     ──そうして、最後には静かに燃え尽きていく。
     これは「性格の問題」ではない。
     構造の問題である。

    ***

     責任感が強い人ほど、「自分がやらなきゃ」「ちゃんと終わらせなきゃ」と思い込む。その背後には「他人に迷惑をかけたくない」「信用を失いたくない」という想いがある。

     だが、それが逆に周囲の“サボる余地”を拡張する構造を生んでしまう。

     たとえば、ある会議の準備で、3人で資料を分担していたとしよう。
     一人が遅れていても、責任感の強いあなたがカバーしてしまえば、表面上は問題なく進む。結果「あの人がやってくれるから大丈夫」という“暗黙の期待”が積もりはじめる。

     これは無自覚な役割の固定化であり、次第に『やらない人』はそのまま、『やる人』はより過重に、という構造が強化されていく。

     もうひとつ、責任感の強い人が見落としがちなのが、「責任を共有する設計」が存在していないことへの違和感だ。

     実は、責任感が強い人ほど「他人に任せること」に罪悪感を持ちやすい。
     そのため、本来はチームで回すべき作業も、つい一人で抱え込んでしまう。

     だが、ここに落とし穴がある。
     組織とは、本来「責任を分散するための装置」であるはずだ。

     ところが、責任感の強い人がその構造に乗らず、ひとりで引き受けてしまうと、逆に組織が「分散できない構造」へと変質してしまう。
     つまり、善意の個人が、“分散の機能”を壊してしまっているのだ。

     では、どうすればこの構造から抜け出せるのか。

     まず必要なのは「責任とは設計すべきものである」という視点である。

     「誰が、どの責任を、どこまで担うか」
     「何をもって“責任を果たした”とみなすか」
     「どこからが“共同責任”であるか」

     こうした定義を、感覚や慣習ではなく、明文化して運用する構造を整えない限り、責任感の強い人が“勝手に損をする構造”は消えない。

     そしてもうひとつは、「任せる勇気」を持つことだ。

     人に仕事をふることは、責任を放棄することではない。
     『責任を共有する訓練』を組織に促す行為でもある。

     責任感が強いことは、尊い。
     だが、それが自分の心と体を削ってまで発揮されるとしたら、それはもはや「美徳」ではなく「構造的な危機」だ。

     燃え尽きる人の多くは、責任感のある人たちだ。
     彼らが静かに消えていくのは、「組織の設計に問題がある」というサインである。

     責任の重さをひとりで抱えているなら──
     それ、たぶん“構造”のせいです。


    前回の #構造分析論シリーズ は…


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    https://note.com/big_hilo 世の中の綺麗事の裏側にある不都合な真実を言語化しようとする実験的note。幸福の土台は感情論ではなく冷徹な合理性にあるのでは!?そんな少し皮肉で限りなく自由なコラムを模索中。読後、あなたの常識が少しだけ書き換わるかもしれません。

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