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人生で読める本は限られている

     人生は短い。

     この言葉はありふれているけれど、『読書』という行為にそれを持ち込むと、急に現実味を帯びてくる。

     本好きなら、読みたい本は無数にある。
     毎月数冊の新刊が積み上がり、気がつけば部屋の一角が未読の墓場になる。だが、ここで一度、真剣に考えてみてほしい。

     人が一生で読める本の数は、せいぜい1000冊だ。

     この数字は、決して極端な見積もりではない。
     たとえば、1年に50冊読めば、20年で1000冊。
     30歳から本格的に読み始めて、80歳まで生きたとして、読書人生はせいぜい50年。よほどの読書家でない限り、1000〜1500冊が限界だ。

     つまり、あなたの「人生の本棚」には、わずか1000冊しか入らない。
     この視点を持ったとき「どんな本を読むか」は、人生の質そのものを左右する選択になる。

     ところが、僕たちはこの数字に無自覚なまま、「いつか読むだろう」と本を買い続けてしまう。

     Amazonの“おすすめ”、書店のベストセラー棚、SNSで流れてきた「話題の一冊」。そして気がつけば、1ページも開かれることなく、本棚に鎮座する積ん読の山。

     もちろん、それ自体は悪いことではない。
     買った瞬間の高揚感や、「知識が手元にある」という安心感は、所有の喜びだ。だが、それは読んだ気になった”という錯覚でもある。

     読まれない本に囲まれながら、読める本の残り数は、毎日少しずつ減っていく。その事実に気づくと、「読む」という行為は、静かな贅沢であり、慎重に選び取るべき投資だと思えてくる。

     ここで、視点をもう少しシンプルにしてみよう。

     1冊読むのに平均5〜6時間かかるとして、1000冊読むには約6000時間が必要になる。これは、フルタイム労働約3年分に相当する時間だ。

     つまり、「本を1000冊読む」ということは、人生のうち丸3年を、読み続けることに捧げるという決断だ。
     そして、その3年は、別の誰かの思考、別の時代、別の文化に没入する時間でもある。それだけの時間の投資先を、果たしてどれだけ吟味できているだろうか。

     今の気分で選ぶ本もあるだろう。なんとなく買ってしまった本もある。
     だが、残り少ない読書人生で、絶対にこれは読みたいと思える一冊に、どれだけ出会えているだろうか?

     この現実を突きつけられたとき、読書の姿勢は大きく変わる。

     たとえば──

     最後まで読まなくてもいい。自分に合わなければ、途中でやめていい。
     話題作より、10年前から気になっていた本を選んでもいい。
     読書は「がんばるもの」ではなく、選ぶものなのだ。

     読む価値がある本にだけ時間を割く。
     それは傲慢ではない。
     むしろ「本」と「自分」に対して誠実であるということだ。

     選ばれた1000冊だけが、自分の考え方をつくり、言葉を変え、人生を微かに曲げていく。それならば、軽さではなく、深さで選ぶのが正解ではないだろうか。

     積ん読の山を見るたびに、僕たちは焦る。
     時間が足りない、読書力が落ちた、集中力が続かない……。
     だが、じつはそれらの多くは、選ばなかったことの重みに押しつぶされているだけかもしれない。

     読むべき本を選ぶことは、「読まない本を決める」ことでもある。
     本棚にある99冊を手放して、いま読むべき“たった1冊”に集中する。
     それだけで、読書は『義務』から『対話』に変わっていく。

    「この本と、生きているうちに出会えてよかった」

     そんなふうに思える1冊が、年に何冊あるだろうか?
     それこそが、読書の本当の報酬なのだと思う。


     こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。


     前回の #教科書に書いてない  シリーズは…

    エンディングテーマ『教科書に書いてない』


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    https://note.com/big_hilo 世の中の綺麗事の裏側にある不都合な真実を言語化しようとする実験的note。幸福の土台は感情論ではなく冷徹な合理性にあるのでは!?そんな少し皮肉で限りなく自由なコラムを模索中。読後、あなたの常識が少しだけ書き換わるかもしれません。

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