メインコンテンツへスキップ
見出し画像

心はいつも最短距離を選ぶ

     光は怠け者である。
     フェルマーの原理によれば、光は常に「所要時間が最短になる経路」を選んで進む。水に差したストローが曲がって見えるのは、光が律儀に直進せず、いちばん楽なルートを通った結果だ。
     そしてあなたの心も、光とまったく同じ設計で動いている。
     考えるとき、判断するとき、心は真実への道ではなく、最短の道を選ぶ。
     賢い人も例外ではない。むしろ賢さとは、最短距離の選び方が上手いことの別名なのである。

     認知心理学はこの性質に、身も蓋もない名前をつけた。
     「認知的倹約家 コグニティブ・マイザー」
     スーザン・フィスクとシェリー・テイラーが定式化したこの人間観によれば、脳は消費エネルギーの大きい器官であり、可能な限り計算を省こうとする。
     ダニエル・カーネマンの言う速い思考——システム1——は、この省エネ設計の主力エンジンだ。
     難しい問いに直面すると、脳は気づかれないうちに問いをすり替える。 「この投資は成功するか」は「この話をした人は感じがいいか」に、「この人は有能か」は「この人は自信ありげか」に。
     カーネマンはこれを「属性代替」と呼んだ。私たちは日々、難問を解いた顔で、隣にあった易しい別の問題を解いている。

     この近道は、多くの場面で優秀だ。
     「環境構造に適合したシンプルなヒューリスティクスが複雑な分析を凌駕する」とゲルト・ギーゲレンツァーが示したとおり、情報の乏しい環境では単純なヒューリスティックが精緻な計算を上回ることさえある。

     問題は、近道が「地形」に依存することだ。

     心が選ぶ最短経路は、その社会で最も踏み固められた道——つまりステレオタイプ——の上を通る。
     会議で議事録係を探す視線が誰かの前で止まるとき、「リーダーらしさ」を思い浮かべて特定の顔が浮かぶとき、脳は考えていない。
     舗装済みの道を滑っているだけである。
     社会心理学者パトリシア・デヴァインの古典的研究が示したように、この自動連想は平等を信じる人の頭の中でも作動する。
     偏見とは悪意である前に、省エネなのだ。

     そして最短距離を通られる側は、毎回、迂回路の建設費を自腹で払う。
     「私はその係ではない」という説明を、初対面のたびに繰り返すコストを想像してみればいい。

     さらに、心は自分自身に対しても最短 距離を選ぶ。
     疲れているとき、忙しいとき、人は自分の不調の原因を「いちばん手前にある説明」で処理する。
     私の努力不足、私の性格、私の甘え。
     構造や環境まで視線を伸ばすのは長距離走だから、脳は手前で切り上げる。自己責任論が個人の内側でこれほど強力なのは、思想として正しいからではなく、認知的に安いからである。
     安い説明は、たいてい高くつく。

     では、どう付き合うか。

     近道を全廃する道はない。エネルギー収支的に不可能である。

     まず、金額の大きい判断にだけ、遠回りを義務づけること。
     採用、評価、人生の岐路。
     ここでは直感が出した答えを一度疑い「逆の結論を支持する材料を三つ挙げる」という迂回路を通す。
     カーネマンの言う遅い思考は、常時運転はできないが、指定区間なら走れる。

     次に、他人があなたへの最短距離を通ってきたとき——値踏み、決めつけ、係の押しつけ——それを人格への攻撃ではなく省エネ運転として観測すること。
     腹は立つが、相手の悪意を精算するより、
     事実の訂正だけ置いて通り過ぎるほうが、こちらの燃費がいい。

     そして、自分への説明だけは、あと一駅先まで乗ること。
     「私が悪い」で降りず、「何がそうさせたか」まで行く。その一駅分の運賃が、いちばん利回りの高い自己投資である。

     心が最短距離を選ぶのは、故障ではなく仕様だ。
     責めても直らない。だが、どこに道を舗装するかは、あとから選べる。

     よく通る道は太くなり、通らない道は草に埋もれる——脳の可塑性とは、要するに道路工事の予算配分である。

     あなたが今日どの近道を通ったかが、明日のあなたの地形図になる。
     省エネは結構。ただし、安物の経路が一番高い買い物になることは、このnoteの連載で何度も見てきたとおりである。


    帰って来た #逆説から考える生きることシリーズ
    #人生はだから面白いシリーズ
    #オーディオブック #聞く読書 #音読 #朗読 #耳活

     
     
    https://note.com/big_hilo 世の中の綺麗事の裏側にある不都合な真実を言語化しようとする実験的note。幸福の土台は感情論ではなく冷徹な合理性にあるのでは!?そんな少し皮肉で限りなく自由なコラムを模索中。読後、あなたの常識が少しだけ書き換わるかもしれません。

    あなたへのおすすめ