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日本語教育の重要性について

    今日は「日本語は国際語になりうるのか」という本を以前に読んだことがありますので、それを元に自分なりに、日本語について思うことを語らせていただこうと思います。

    一般的にその国で一般的に話される言葉は、公用語と言いますし、世界ではイギリスが産業革命以降世界中に植民地を持っていたこともありアジア地域などでは現在も公用語に英語を使う地域も多く、一般的に英語が最も多く使われています。

    日本でも、戦後の占領政策を経て未だに米国崇拝のようなところがあって、英語が喋れなければと言った風潮があるように思えます。

    子供の頃から英語を学ばせる・・・そんな例も多く。

    実際に、そうした子供向けの英語教室も数多くありますが。

    個人的には、英語は中学からでも十分だというのが私の持論であり以前にもそれは書いたことがあります。

    そして、ここからが重要なのですが。

    言葉というのは交流(コミュニケーション)の道具(ツール)ですが、考えてみれば多くの言葉が左記の例でもわかるように、英語がそのまま日本語として入り込んでいます。

    最近では、以下のようにさらに必要以上に日本語で表現できるものを英語化しているという事例が見られます。

    このエビデンスはどこにあるのかな、先方に説明しなくてはいけないから、それで、確認できたら先方にアポイントメントと取って、予定をアサインしておいて。

    さらに議事録は、ファイリングして、アーカイブしておいて。

    なんて感じで、・・・もっと実際には多くのこうした外来語と言える言葉で置き換えて、仕事できるアピールしている。なんてことが多いのではないでしょうか。

    他にも、同意という意味のアグリー(agree)とか、終わりの意味のダーン(done)なんて感じで、・・・何でもかんでも英語にしてしまう。

    でもね、これって間接的な文化の破壊なんです。

    静かなる侵略なんです。

    本人は気づかないだけで、・・・本人は意識高いと思っているけれど。むしろ、英語という文化圏に侵略されていることに気づかないわけです。

    30年ほど前、Japan as No1.なんて言われた頃、世界の人はこぞって日本語を学ぼうとした。

    それは、日本がさらなる発展をすると思っていたからです。

    実際、半導体にしろ、精密機械にしろアメリカが嫉妬して潰しに来たくらいですから。それくらい危機感があった。

    その結果どうなったか、日本の国力は低下し、観光立国でいくんだという変な方向になってしまった、そしてそれを一気に吹き飛ばしたのは、コロナ禍だった、武漢ウイルスだという人もいるが、その言葉はあえて使わないことにしよう。

    しかし、失われた30年を取り戻すにはどうすべきかと言うことを考えるとき、まずやはり日本語教育をもう一度見直すということも大事だと思うわけです。

    母国語の置き換えというのは見えない侵略なんです。

    そして、これは、本人に自覚がないから余計に厄介なんです。

    英語を子供の頃から喋れるようにして国際人に育てる・・・・心配しなくとも話せるだけ、読めるだけと言うことだけであれば、高校の3年程度で集中的に英語の授業をするだけでも十分だと思うわけです。

    今大事なことは、日本語の再教育です。

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    長文を読めない日本人が増えているなんてことも聞いたことがあります。

    また、私などから見れば短文であっても、長文失礼などと書かれていると、正直違和感でしかないです。

    私なんか資料を添えれば4000文字下手すれば10000文字なんて事も多々あるわけで、そうしたことを考えるとたかだか1000字にも満たない文章を長文と思ってしまうのでしょうか。

    facebook よりもtwitterの方が最近はまた人気が盛り返している、その背景には短文故に読みやすいという思いがあるのでしょうか。

    本を読まなくなったという若者の話もよく聞きますが、改めて日本語の再教育と言うことを小学生から始めていくべきではないかと思うわけですね。

    英語偏重もしくは、英語礼賛は、静かなる文化の侵略であると言うことに気づいてほしいのです。

     
     
    言葉の力でみんなに元気になっていただきたい、そんな思いから。 心に残るエッセイをお届けできるように、毎日は無理かもしれませんが、オリジナルの記事をアップさせていただきます。 どうかよろしくお願いいたします。

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