
昔のTwitterみたいな場所を、今求めるのはもう無理なのかもしれない
最近ふと思いました。
一般人ってXやる意味なくない……?
ここで言う一般人は「インフルエンサーでもなく、商売目的でもなく、作品告知や集客を主目的にしているクリエイターでもない人」という意味です
つまりは、普通に日常を呟いたり、趣味の話をしたり、誰かとゆるく繋がりたい人です。
あんまり懐古厨みたいなことは言いたくないのですが、まだTwitterという名前だった頃って、少し乱暴に言えば、
小さな広場
ゆるい雑談場所
同じ趣味の人となんとなく繋がる場所
とりあえず集まる公園
みたいな感じでした。けど今のXって、
インフルエンサーの拡散媒体
炎上観測所
宣伝媒体
情報収集ツール
影響力ゲーム会場
みたいな側面が強くなってきてる気がしてるんですよね。もちろん、Twitterの頃だってそういう面はありました。傾向がこっちに偏ってきている、というお話です。
だから、昔のTwitter的な「なんとなくいるだけで楽しい場所」を期待すると、かなりズレるんじゃないか、という話でした。
Xをやる意味がある人
例えば、作品、記事、動画、サービスを宣伝したい人、コンテンツの最新情報を追いたい人、推し活、ゲーム、創作界隈などで動向を追いたい人なんかは向いてるんじゃないかなと思います。
フォローした人だけを観測し続ける運用であれば今のXでも使いこなせていると感じます。
逆に、意味が薄い人
上記みたいな目的もなく、なんとなく開いている、という人には、得るものよりも削られるものの方が多いのかもしれない、と思いました。
時間
集中力
メンタル
自己肯定感
趣味時間
具体的にはこのあたり。
今のXってどういうわけか、自分から何か「いいね」「リポスト」をしないと、怒り・対立・煽り・極端な意見・承認欲求に関するポストが流れてきやすい傾向があります。
なんとなーくでやってると、
他人のバズ・炎上・愚痴を浴びる
反応が少なくて自己評価が削られる
短文で強いことを言う癖がつく
時間だけ溶ける
発信しているつもりで、実際は少しずつ消耗している
目的もなく流し見してると、情報収集しているつもりが、ただ感情を消耗しているだけになりがちな気がします。
少し偏った言い方かもしれませんが今って、発信力・影響力がある人向けの場所になってて、一般人が楽しむには少しずつ向かない場所になりつつあるのかなと。
しかも厄介なことにXを眺めてると、社会を見ている気分になるんですよね。でも実際は社会全体じゃなくて、声が大きい人・怒ってる人・極端な人・成果を見せたい人が濃縮された場所に近い。しかもそれはアルゴリズムによって受動的に見せられているに過ぎない。
じゃあ「昔のTwitterみたいなSNSってないのかな」という話
その昔のTwitterみたいなSNSってなんなんだろう、と思い考えてみると、
タイムラインが今よりもっと素朴
商売臭が薄い
アルゴリズムに見せられているのではなく、自分で見たいものを見ている
日常のしょうもない話に溢れていた
同じ界隈の空気を楽しむ
こんなところなのかなと。具体性もないですが。
また懐古厨みたいなことを言い始めますが、Twitterの頃って、
短文で気軽に書ける
人が多い
趣味クラスタがある
タイムラインがまだ比較的素直
商売・炎上・政治・インプレ稼ぎが今ほど濃くない
これらが同時に揃っていた珍しいSNSでした。今のSNSは思いつく限りはこんな感じです。
Bluesky
機能だけ見れば一番近いかなと思います。比較的素直です。ただ、テキトーに趣味クラスタ的なの探してもよくわかんない外人の投稿ばかりヒットします。使い方が悪いんですかね。
Misskey
サーバー選びが面倒です。なんか村感あって怖い。設計思想はすごく共感できるんですけどね。
Mastodon
Misskeyと同じです。勝手に面白い人が流れてくる感じも無さそう。
Threads
地方都市から大都会に出てきた時みたいな怖さがあります。良い意味でのしょーもなさも期待できなさそう。
Discord
Misskey以上に閉じています。怖い。
閉じているから安心できる一方で、外からふらっと入って、ゆるく眺めるには向いていない。
欲しいのは「なんとなく居てもいい感じ」
ゆるーい繋がりで、お互いしょーもない日常を呟いたりそれをみたり、それこそでっかい木に集まった小鳥のさえずりのようなコミュニケーションに、心地よさを感じていたのだと思います。
特定の誰かに向けた言葉ではないけれど、同じ場所にいる誰かには届いている。
でも今は、一般人同士がそういう距離感で繋がるのが、少し難しくなっているように感じます。
同じ趣味や界隈で繋がろうとすると、昔のTwitterのようなハーフオープンでファジーなコミュニケーションではなく、DiscordやMisskeyのサーバーのような、閉じた場所でのクローズドなコミュニケーションになりがちです。
もちろん、閉じているからこそ安心できる面もあります。
けれど、外からふらっと眺めて、気が向いたときだけ少し混ざる、みたいな曖昧さは薄くなっている気がします。
特定個人に向けて話しかけたいわけではない。
でも、完全に独り言で終わってほしいわけでもない。
その中間くらいの、曖昧なコミュニケーションがちょうどよかった。
インターネットコミュ障にとって、昔のTwitterはちょうどよすぎたのかもしれません。
近すぎず、遠すぎず、話しかけてもいいし、話しかけなくてもいい。
その曖昧さに、私はかなり救われていたのだと思います。