
アップライトピアノ
大好きな俳優さんでした。
安らかなご永眠をお祈りいたします。
古びたアップライトピアノの前に老人は座っていた。
彼の名はかつて「天才ピアニスト」と謳われた東田修二。80歳を超えた今もその矍鑠とした瞳は若き日の情熱を宿していた。
修二はゆっくりと鍵盤に指を置いた。指はまるで意思を持った生き物のように滑らかに、そして力強く鍵盤の上を舞う。
奏でられるのは、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」
しかし、それはただのカバーではない。修二自身の波乱万丈の人生を映し出すかのような魂を揺さぶる旋律だった。
曲が始まると修二の脳裏には様々な記憶が蘇ってきた。
幼少の頃、ピアノに夢中になり周囲から「天才」と称賛された日々。音楽学校でライバルたちと切磋琢磨し青春を謳歌した日々。そして、プロのピアニストとして華々しいデビューを飾ったあの輝かしい瞬間。
しかし栄光は長くは続かなかった。
傲慢さから大切な人たちを傷つけ孤立していく。やがてスランプに陥り酒に溺れる日々。そして絶望の淵で彼は音楽を、ピアノを捨ててしまったのだ。
それから数十年。
修二は小さな町のピアノ教室で子供たちにピアノを教えていた。それはかつての栄光とは程遠い、静かで穏やかな日々。だが修二は子供たちの笑顔に囲まれ、心の安らぎを感じていた。
ある日、修二は教え子の一人、美咲の演奏に心を打たれる。
美咲は生まれつき耳が聞こえなかった。しかし彼女は全身で音楽を感じ、魂を込めてピアノを弾いていた。
その姿は修二に忘れかけていた音楽の喜び、そしてピアノへの情熱を思い出させてくれた。
修二は再びピアノに向き合う決意をする。
そして美咲のために特別なアレンジを加えた「もしもピアノが弾けたなら」を完成させた。それは美咲へのエールであり、自分自身への贖罪の歌だった。
発表会の当日、美咲は修二の伴奏に合わせて力強く、そして美しく「もしもピアノが弾けたなら」を演奏した。会場は感動の渦に包まれ、涙する者も少なくなかった。
演奏を終えた美咲は修二に駆け寄り手話でこう伝えた。「先生、ありがとうございました。音楽って本当に素晴らしいですね!」
修二は美咲の言葉に深く頷いた。そして、心の中で静かに誓った。
これからもピアノを弾き続けよう。音楽の力で人々に夢と希望を与え続けようと。
「もしもピアノが弾けたなら」の旋律が静かに小さな町に響き渡る。
それはもう過去の栄光を懐かしむ歌ではない。
未来への希望を奏でる新たな「もしもピアノが弾けたなら」だった。
終わり
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