メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【短篇】菓子箱の家

    先生は、すらりと伸びた白い指で揺り椅子の背板の細い棒をつまみ、てきぱき見事に組み立てていく。
    私もそれを真似してみたが、はみ出たボンドが指先で乾き剥がれ、それが邪魔して真っ直ぐに貼りつけることができない。

    歪んでうまく揺れない揺り椅子を掌に載せ、ありがとうございましたと教室を出た。
    ミニチュアの家作りを学ぶ、ドールハウス教室での話である。

    私は、家に帰ると仏間の天袋からモロゾフの缶を取り出した。
    中に入っているのは、私が四十年前に作った紙の家。
    これは壁の一面が抜けている西洋風のものではなく、天井がないことで上から俯瞰できる家である。缶蓋を外せばそこに小さな部屋が現れる。

    部屋の素材は紙である。紙というのは、当時のお菓子の空箱のことである。
    <マルカワのフーセンガム>を重ねた箪笥。
    天板が<ココアシガレット>で、脚が<都こんぶ>の机。
    寝台は<セシルチョコレート>で、これは掛布団に見立てた上箱を滑らせると<チェルシー>の包み紙を継いだ敷布が見える仕掛。

    しばらく眺めた後、今日作ってきた揺り椅子を配置してみたが、その瞬間、部屋は部屋でなくなり、ただの空箱の寄せ集めに戻ってしまった。

    答えはわかっていたが、一応この部屋の住人に訊いてみる。

    ――この椅子をどう思いますか?

    ――いいものですが、ちがいます。

    住人は、<セシルチョコレート>の奥に潜ったままそう云うと、やや間を置いて真四角の厚紙を渡してきた。

    これは一体?
    朝焼けか夕焼けを背景に帆船が浮かんでいる。
    よく見ると、厚紙は二枚重なり袋状になっており、その間に丸く切った厚紙が挟まっていた。
    指でつまんでそっと引き出す。今度は文字がある。
    切られたせいで部分的に欠けていたが、かろうじて読めた。浮舟。

    おそらくこれは、<霧の浮舟>のジャケットとレコードである。もう記憶の彼方であるが、昔々に私が作ったのだと思う。

    ――いすはもういいので、それをきかせてください。

    住人は、今度はレコードプレイヤーを所望してきた。


    十歳とおを過ぎた頃から、少しずつ住人との別れが近づいていることがわかった。その予感通り、一年後には、顔が、姿が、薄く見えなくなっていった。
    今はかろうじてその声らしきものを自分の感覚として掴むことができている状況。
    ただし、それは電波の弱い場所にあるラジオのような不明瞭さで、聞き取ろうとすればするほど余計に淋しさが際立ってくるのだった。

    私は、住人の存在を完全に忘れることが嫌で、長いこと菓子箱の家を保管していた。
    そして今、またその姿を見ようと部屋の調度を整えはじめている。
    より良いものをと思い、ドールハウス教室にも入会した。
    しかし、その出来不出来はさておき、どうしても世界が違うのだ。
    これはやはり、菓子箱の家。

    ――がらくたとおもっているでしょう。

    住人が呟いた。

    ――いいえ、私には大事な思い出の家です。まだそこに住める人物でいたいと思っています。

    住人からの返事はなかった。
    しかし、その代わりになにやら閃くものがあった。
    確か、帰りに寄ったスーパーの買い物袋の中に<マーブルチョコレート>が入っている。

    ポンと外した蓋を十等分、放射線状に切れ目を入れてラッパのように広げる。
    筒の底面を切り取り、ターンテーブルの形にする。
    ハンドルとアームは、細く輪切りにした筒の丸い形状を利用。
    私は、それらを<ココアシガレット>の机に貼りつけて蓄音機へと作り変えたのだった。

    最早、はみ出た糊も歪んだ切り口も何も気にならなかった。
    私は久しぶりに没頭していた。
    時間の流れが爽快な風のように私のすべてを包んでいた。

    出来上がった蓄音機は、たぶん先生が見たら苦笑するだろう。
    それでも、私にとってはこれ以上ない愛おしい形をしていた。

    早速、<霧の浮舟>のレコードをかけてみる。
    切なく優美な旋律は、いつかどこかで聴いた曲。

    その時、一瞬だけ音楽に合わせて踊る住人の姿が見えた。
    それは子どもの頃の私とよく似ていた。


    (了)


     
     

    盆緑

     
     
    結末がわかっていてもまた読みたくなる古の(大正末~昭和初期辺り)探偵小説のファンで、主にそれに関する雑文(時々、短篇小説)を書いています。頭の中だけ常に古い時代にタイムトラベル中。縁側で懐かし話をする感じでやっております。

    あなたへのおすすめ