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私の音楽ふりかえり~中学生まで~

     1961年生まれ、最近のネタは「誕生日が来ると高齢者の仲間入り」である。

     記憶にない頃、親戚の葬儀のあと、参列者がしんみりしているところで、大きな声で童謡を歌ったそうだ。どんな場なのか理解できておらず、人が集まっているのが嬉しかったのだろう。

     小学生の頃だったか、殿様キングスの「なみだの操」が流行っていた。意味も解らず、「あなた~のた~めぇに~、守り~とおおした、おんなの~」と歌っていたら、「そんな唄、歌ってんじゃない!」と祖母に怒られた。

     当時、福島には民放テレビ局は「福島テレビ」1局しかなかった。日曜日に放送されていた「家族そろって歌合戦」を家族で見ていた。対戦チームを可愛いキャラクターになぞらえて、演出が上手だった。楽しみに見ていた記憶がある。

     中学生になり、AIWAのラジカセを買ってもらった。

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    老舗メーカー(当時)AIWAのラジカセ

     親の意図は「英語の勉強に」とのことだったが、子供にとっては別。
     宝箱のようだった。ラジオ(NHK第一・FM・地元のラジオ局(ラジオ福島))が大好きになり、音楽の情報量が小学校までとは桁違いに増えた。新御三家「郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎」、花の中三トリオ「桜田淳子・森昌子・山口百恵」が絶大な人気を誇っていた。

     ラジオ福島に全国ネットの「全国歌謡ベストテン」という30分番組があった。レコード売り上げ、電話リクエスト、葉書リクエスト、(ネット局の)ベストテン選定委員会の4つの要素で週間ベストテンが決まっていく。音楽評論家の伊藤強さんの解説が印象に残っている。ちょっと時代はそれるが、伊藤さんは、財津和夫さんの(現時点で)最後のソロアルバム「ふたりが眺めた窓の向こう」(2009年発売)を、毎日新聞紙上で「推薦版」として紹介してくれた。財津さんはこの時点で「あと2枚アルバムを出したい」と言っていた。ぜひ実現してほしい。

     中学校の同級生にはギターもバンジョーも弾くような強者もいた。ビートルズはオンタイムではなくなり、ベイシティローラーズが人気だった。中学生になり、ちょっと大人になったように洋楽に触れていくのだ。私には、カーペンターズが耳馴染みがよく、大ファンになった。ただ、中学生男子の「カーペンターズ好き」はちょっと軟弱な目で見られていて、肩身は狭かった。レコードプレーヤー(コンポ、ステレオ)も無いのに、LPレコードを買い、眺めているだけで幸せだった。
     初めて買ったレコードは「緑の地平線(Horizon)」。

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    「緑の地平線」のジャケット写真

     プリーズ・ミスター・ポストマン、オンリー・イエスタディが収録されている。カーペンターズ推しはエスカレートしてベスト盤も買った。何とかステレオが手に入る日は来ないものかと。思案する日々だった。
     英文の歌詞に興味を持ち、「英語の歌詞は文法的に正しいのか」と、英語の先生似尋ねたことがあった。睨むように「何だそれ」と、素っ気なかった。

     NHKFMの「FMリクエストアワー」という番組も懐かしい。AMと比べてFMは音質が良く、各放送局が独自に番組を編成する貴重な番組だった。若手アナウンサーの登竜門のような意味合いもあり。福島放送局では、山本浩、伊藤博英アナなど、後にNHKの看板アナウンサーとなる若手が企画力を発揮していた。せっせとリクエスト葉書を書いた。組織票や匿名の是非など、賛否両論の投稿で盛り上がったこともあった。お気に入りをカセットテープに録音し、オリジナルのカセットテープも作った。先週○○がかかったんだよ、みたいな会話が週明けの学校での会話だった。
     そんな会話で思い出すのは、「あの素晴らしい愛をもう一度」「22歳の別れ」「我が良き友よ」の3曲。中学時代の私のお気に入りであった。

     
     

    T.Kato

     
     
    妻子と共に、生まれた地域に帰って30年が過ぎました。 同居している高齢両親のこと、農地や山林・休耕地のこと、自分や家族の健康、等々 考えなくてはいけないことが沢山あります。 好きなこと、何気ない日常も大切にしたいと思います。 日々の想いにおつきあいいただければ幸いです。

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