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【短歌エッセイ】きよし夜に

     28年前の話になる。
     毒親育ちの私は、多くの歪んだ認知を抱え、生きづらさに苦しんでいた。
     歪んだ基盤の上で何とかバランスを取って生きる感覚を身に着け、自転車操業のように日々ギリギリのところで本来ならしなくていい苦労をしてエネルギーを絞り出し、神経をすり減らしていた。
     自身がそういう状態にあるということを認識した私は、歪んだ安定感の上で生き続けることに限界を感じた。歪みを修正するために、自身が変わることが必要だった。
     そのために多くの書物を読んだ。身近に安心できる味方を作るために趣味の社会人サークルにも入った。現在のパートナーはここで知り合った人だ。
     抗うつ薬と抗不安薬を飲みながらハラスメントに満ちた職場で働く日々に死を望んだ私は、死ぬくらいなら、と退職した。
     死ぬことに比べたら、仕事を辞めることなど些細なことだ。こんなくだらない人達のためにくれてやる命ではない、と思ったのだ。
     インターネットで自身の状況を話せる人を探し、パートナーを含めたネット上の自助グループを作った。支えてくれるメンバーとの交流の中で、日々自身の感じ方や生き方を見直した。
     長年蓄積されたものが一朝一夕に変わるわけではない。全ては、身を削るような苦しい闘いだった。
     それでも、吐露する思いにかけられる言葉が、私を癒し、多くの気づきをもたらし、気づきを実践するための力となった。

    聖し夜 空より舞い降る銀六花
            見上ぐる我を静かに満たす

     上記は25年前、多くの悩みと迷いを抱え、力の無さを痛感させられ、苦しみながら自身と闘って生きる私に、ひとときの静かな平安をもたらすクリスマスイブを詠んだ短歌だ。


     それから24年が過ぎた。
     この時に至るまでに、一言では言い尽くせない様々なことがあった。
     人付き合いが上手かと問われたらそうではないと答える。それは変わらない。
     それでも、自分のことを生きているだけで価値のある存在だと思えるし、大事に思う人に愛と感謝を伝えるために、まず自分自身が心身共に健やかでありたいと思い、そのために自分を大事にすることができるようになった。
     世界は悪意に満ちた緊張を強いられる危険だらけの場所とは思わなくなったし、人生は報われない苦しみばかりの虚しいものとも思わなくなった。
     それは、本当に幸いなことだ。
     パートナーとの付き合いも24年と10ヶ月を過ぎていた。
     一緒に暮らす中で、クリスマスプレゼントを何にしようかと考えたり、経済的に厳しい時には短歌を添えたカードのみを贈る年もあった。
     しかし年月が過ぎる中で、それもいつしかなくなり、クリスマスイブの晩にチキンとケーキを食べるくらいの、あまり特別感のないイベントへと変わっていた。

    寄り添って微笑み交わすだけでいい
             過ごす聖夜も日々の延長

     これは、昨年noteに投稿した記事中の1首だ。

     日々の延長と化しても、日頃お互いへの愛と感謝を伝え合う私達には、充分に平穏な幸せを感じられる近年のクリスマスだ。
     おそらく今年もまた、同じように。



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