
定年おじさんの経営者考(習近平社長)
事実とは異なります。ノークレーム・ノーリターンでお願いします
オーナー企業の二代目社長
習近平という男を見ていると、ふと、オーナー企業の二代目社長を思い出す。先代が築いた会社を引き継ぎ、会社をさらに大きくしようとする。ところが、いつの間にか、先代や先輩たちが積み上げてきた実績まで、自分の手柄のように語り始める。そして、自分こそが会社の歴史を変えた偉大な経営者として、後世に名を残したいと考える。国家の運営と企業経営には、権力を持つ人間が陥りやすい共通の落とし穴がある。
偉大なる中国、そして偉大なる自分
習近平が掲げるのは「中華民族の偉大なる復興」である。アヘン戦争以来の屈辱を乗り越え、中国を世界の中心的な大国へ押し上げる。その目標は、中国人の愛国心や民族的な誇りに強く訴えかける。経済成長を実現し、国際社会における中国の地位を高めてきたことも、習近平政権の実績として評価されている。一方で、国家の偉大さと指導者個人の偉大さが、次第に重なって見える政治のあり方には注意が必要だ。中国を強くすることと、自分自身を歴史上の偉大な指導者にすること。その二つは、本来、別の話である。
腐敗撲滅とライバルの排除
習近平政権の大きな柱の一つが、腐敗撲滅である。大物幹部であろうと、軍の高官であろうと、調査や処分の対象になる。腐敗に対する国民の不満に応えるという意味では、一定の支持を得る理由もある。しかし、反腐敗運動は、党内の権力構造を変える手段にもなってきた。ここで問題になるのは、腐敗をなくすことと、政治的なライバルを排除することの境界である。個々の処分がどのような動機で行われたのかは、それぞれの事実に即して判断しなければならない。ただ、権力が一人に集中するほど、誰が正しいことを言ったのかより、誰がトップに忠実なのかが重視される危険性は高まる。
経営は、命令だけでは動かない
習近平政権は、国家主導で産業や技術を育成する一方、民間企業への統制や政治的な規律を強めてきた。国家安全保障や格差是正を重視する政策には、それぞれの目的がある。しかし、経済は政治の号令だけでは動かない。企業が安心して投資できるか。若者が将来に希望を持てるか。消費者が自分の暮らしに自信を持てるか。こうした要素は、上からの命令だけでは解決できない。経営学では、トップに権力が集中するほど、誤った判断を修正する仕組み、コーポレートガバナンス機能が重要になる。企業経営に必要なのは、強い指導者であること以上に、現場の声を聞き、間違いを認め、軌道修正できる仕組みではないだろうか。
台湾統一への執念
習近平政権にとって、台湾統一は重要な政治課題である。中国政府は台湾を自国の一部と位置づけ、国家統一を目指している。一方、台湾では独自の政治制度と社会が形成されており、台湾の将来をめぐる考え方も一様ではない。台湾問題は、中国の主権認識、国内政治、安全保障、米中関係が複雑に絡み合う問題だ。習近平が歴史的な成果として統一を意識している可能性は論じられるが、本人の動機を断定することはできない。それでも、台湾統一が指導者個人の歴史的評価と結びつくほど、妥協や対話が難しくなるのではないかという懸念は残る。歴史に名を残すことより、戦争を避け、人々の暮らしを守ることを優先してほしい。これは日本人としても、隣国の未来を考える一人としても、切実な願いである。
優秀な部下に囲まれた裸の王様
中国には、優秀な官僚も、優れた研究者も、世界を知る実務家もいる。巨大な国家を動かすための人材も知識もある。ところが、トップの意向に逆らうことが難しくなれば、何が起きるのか。部下は正しいと思うことより、トップが望むことを優先する。悪い情報は上がりにくくなり、政策の問題点を指摘することにも慎重になる。優秀な人材が周囲にいることと、トップに正しい情報が届いていることは別なのだ。権力を集中させれば、決断は速くなるかもしれない。しかし、異論を封じれば、誤りを発見する機会まで失ってしまう。裸の王様の怖さは、本人が裸であることより、周囲の誰もそれを指摘できなくなることにある。
歴史に名を残したい男
中国の歴史には、国家の運命を大きく変えた指導者が何人も登場する。習近平もまた、自らの時代を中国史に刻もうとしているように見える。権力を集中させ、党の指導を強化し、自らの思想を党の指導理念に深く組み込む。その政治手法は、改革開放以降の指導者たちとは異なる特徴を持つ。国家の統一や復興という大きな目標を掲げる一方、指導者個人の権威が過度に強まれば、国家の利益と個人の歴史的評価が混同される危険がある。歴史に名を残すことと、歴史から正当に評価されることは違う。後世の評価は、本人がどれほど偉大さを演出したかではなく、国民に何をもたらしたかによって決まるのではないだろうか。
中国人民が望むもの
私は、中国が発展することを心から望んでいる。中国の人々が豊かになり、安心して暮らし、自由にものを考え、自分の人生を選べる社会になってほしいと思う。中国で働き、暮らした経験があるからこそ、中国政府への評価と中国の人々への思いは分けて考えたい。愛国心を持つことは悪いことではない。自国の歴史や文化に誇りを持つことも自然なことだ。しかし、国家を愛することと、指導者を崇拝することは違う。共産党の功績を認めることと、党の判断をすべて正しいと信じることも違う。中国人民にとって本当に大切なのは、指導者が偉大であることなのか。それとも、指導者が誰であっても、安心して豊かに暮らせる社会が続くことなのか。私は後者であってほしいと思う。
最後に一言(言葉のお遊び)
偉大なる中国を目指す指導者。国家の威信を高め、国民の愛国心を鼓舞し、自らの思想を後世に伝えようとする。歴史に名を残すことは、指導者にとって大きな魅力なのかもしれない。しかし、国民が求めているのは、偉大な指導者の記念碑だろうか。それとも、安心して暮らせる毎日だろうか。
かって中国には、人民服に身を包み、ふさふさの髪をなびかせた偉大な社長さんがいた。「毛たくさん!」おっと、失礼。「もうたくさん!」