
定年おじさんの思い出(母の教え)
私の「書く習慣」は、母から始まった
振り返ってみると、私が「なぜ?」と考えたり、感じたことを文章にしたり、本を読んで自分なりの感想を持ったりする習慣は、ずっと昔から身についていた。その原点をたどると、母の存在がある。母から教えられたことは、当時の私には「勉強させられた」という記憶しかない。むしろ、かなり徹底的にしごかれた。しかし、定年を迎えた今になって振り返ると、あれは単なる勉強ではなかった。物事を自分の頭で考え、自分の言葉で表現するための訓練だったのだと思う。
「日記をつけなさい」
母から言われたことの一つが、「日記をつけなさい」だった。毎日、その日に何があったのかを書く。ただ出来事を並べるだけではいけない。「今日は○○があった」で終わらせず、そのとき自分はどう感じたのか、なぜそう思ったのかを書く。子どもの私にとっては、これが結構面倒だった。毎日そんなに書くことがあるわけでもない。それでも母は、「何もなかった日でも、何か感じたことはあるでしょう」と言った。今になって思えば、これはかなり本質的な教えだった。日記とは、出来事を記録するものだと思っていたが、本当は自分の頭と心を整理するためのものだったのだ。
「なぜ?」を大切にしなさい
母は、私が何かを言うと、「どうして?」と聞いた。「面白かった」と言えば、「どうして面白かったの?」「つまらなかった」と言えば、「どうしてつまらなかったの?」「この人は嫌い」と言えば、「どうして嫌いなの?」と聞いてくる。子どもの私は、そこまで聞かれると嫌になった。答えがすぐに出てこないからだ。しかし、母が教えたかったのは、正解だったのではないと思う。「なぜ?」と一度立ち止まって、自分の考えを掘り下げることだった。大人になって仕事をするようになると、この習慣が意外なところで役に立った。会社の仕事でも、問題が起きたときに「何が起きたか」だけを見るのではなく、「なぜ起きたのか」を考える。そして、その「なぜ」を何度か繰り返していく。今思えば、私は子どもの頃から、母に「考える癖」をつけられていたのだと思う。
「感じたままを書きなさい」
もう一つ、母から言われたことがある。「人の答えを写すのではなく、自分が感じたことを書きなさい」。これは読書感想文で特に厳しかった。本を読んで感想を書く。ところが、子どもの私には「良い感想文」というものが分からない。そこで、もっともらしいことを書く。すると母は、「それ、本当にあなたが思ったこと?」と聞いてくる。「みんなそう思うから」と答えると、「みんながどう思うかは関係ない。あなたはどう思ったの?」と言われる。こうなると逃げ道がない。そして、徹底的にしごかれた。
読書感想文は「正解」を書くものではなかった
今考えると、母が読書感想文を使って教えていたのは、作文の技術だけではなかった。本を読んだら、自分は何を感じたのか。なぜそう感じたのか。登場人物の行動をどう思ったのか。自分だったらどうするのか。つまり、「本に書いてあること」と「自分の考え」を区別する訓練だったのだ。当時の私は、そんなことを意識していない。ただ、「もっとちゃんと書きなさい」と言われて、何度も書き直した。しかし、その繰り返しが、今の私につながっている。
私のNOTEネタは、実は日記からの転載
そして、定年になった今、私はNOTEを書いている。中国での経験、会社員時代の思い出、本を読んで考えたこと、映画を観て感じたこと、歴史について考えたこと、日々のちょっとした出来事。実は、NOTEに書いているネタの多くは、私が以前からつけていた日記からの転載である。日記に書き残していた出来事や、そのとき感じたことを、もう一度読み返す。そして、「あのとき、なぜ自分はそう感じたのだろう」と考える。そこから一つのテーマが生まれる。つまり、私のNOTEは突然始まったものではない。昔から書いてきた日記の続きなのだ。
母の宿題が、何十年後にNOTEになった
考えてみれば、面白い話である。子どもの頃、母に「日記を書きなさい」と言われた。「なぜ?」を大切にしなさいと言われた。「感じたままを書きなさい」と言われた。読書感想文では、納得するまで何度も書き直させられた。当時は、ただ「厳しい母だな」と思っていた。ところが何十年も経った今、私は毎日のように文章を書いている。しかも、その材料になっているのは、昔から書き続けてきた日記である。母から出された宿題を、私は何十年もかけてやっているようなものだ。
学びは、あとから効いてくる
人生には、そのときには意味が分からないことがある。子どもの頃の日記も、読書感想文も、母からの「なぜ?」という問いも、そのときは面倒だった。しかし、何十年も経ってから、その意味が分かることがある。人は、学んだ瞬間に成長するとは限らない。学んだことが人生の中で何度も使われ、その経験が積み重なったあとで、「ああ、あのとき教えてもらったことは、こういうことだったのか」と気づくのかもしれない。
母からもらったもの
母からもらったものは、知識そのものではなかった。「日記をつけること」「なぜを大切にすること」「感じたままを書くこと」「自分の頭で考えること」。そして、「人の答えではなく、自分の答えを探すこと」。それは、学校の授業では教えてもらえなかった「学び方」だった。
私は今も、その続きを書いている
定年になった今、私は文章を書いている。日記を読み返し、昔の自分と会話をする。そして、そこからNOTEの記事を作っていく。そう考えると、私のNOTEは「定年後に始めた趣味」ではないのかもしれない。母に「日記をつけなさい」と言われた、あの日から始まっていたのだ。今は認知症が進み、穏やかな母になった。でも、あの頃は、ずいぶん厳しい母だった。日記を書け。なぜなのか考えろ。感じたことを自分の言葉で書け。読書感想文は、納得するまで何度でも書き直せ。子どもの私にとっては、かなり厳しい「しごき」だった。でも、今なら分かる。母は私に、勉強をさせていたのではない。「自分の頭で考えて、自分の言葉で生きていく力」を教えてくれていたのだ。そして、何十年も経った今、私はその教えの続きをやっている。日記に残した昔の出来事を読み返し、当時の自分は何を感じ、なぜそう思ったのかを考える。そして、それを文章にする。母に教えられた「日記を書くこと」が、今ではNOTEになっている。そう思うと、母からもらった宿題は、まだ終わっていない。私は今日も、その続きを書いている。