
定年おじさんの記憶2(江川事件)
事件には、いつの間にか主人公と悪役が生まれる
江川事件を振り返って、私が今考えてしまうのは、メディアは事件を伝えるだけなのか、それとも、そこに「主人公」と「悪役」という物語をつくってしまうのか、ということである。1978年の「空白の一日」から始まった江川卓氏の巨人入団騒動は、単なるドラフト制度をめぐる問題ではなかった。新聞、週刊誌、テレビは連日のようにこの問題を取り上げ、江川卓氏、巨人、阪神、そして小林繁氏という人物たちが、いつしか一つの大きな物語の登場人物になっていった。私自身も当時、その報道を見ながら、いつの間にか「江川事件」という一つのイメージを持っていた。
「空白の一日」が始まった
1978年11月21日、翌日にドラフト会議を控えた日に、巨人は江川卓氏との契約を発表した。前年のドラフトでクラウンライターから1位指名を受けた江川氏は入団を拒否して米国に渡っていた。巨人側は、クラウンの交渉権がドラフト前々日に失効し、ドラフト前日の11月21日は江川氏が自由な立場になるという野球協約の解釈を主張した。これが「空白の一日」と呼ばれることになった。セ・リーグ側は巨人の選手登録申請を認めず、巨人は翌日のドラフト会議をボイコットした。
そして江川氏は「悪者」になった
この事件をリアルタイムで見ていた私の記憶では、江川卓氏という投手は、いつの間にか「怪物投手」から「わがままな男」へとイメージが変わっていった。もちろん、これは私自身が当時の報道から受け取った印象である。江川氏本人が何を考えていたのか、どこまで巨人との契約を理解していたのか、当時の私は詳しく知ることができなかった。ただ、新聞やテレビを通して毎日のように事件を見ていると、「江川=悪者」という図式が自然と出来上がっていった。
「正義の味方」は誰だったのか
一方で、江川事件には分かりやすい「正義の側」に見える存在もいた。江川氏の交渉権を獲得した阪神、そして何より、後に彼とのトレードで阪神へ移籍することになった小林繁氏である。1979年1月31日、巨人は江川氏を阪神へ渡した後、小林氏との交換トレードを成立させた。その後、コミッショナーの裁定によって形はさらに変更され、最終的に江川氏は巨人へ、小林氏は阪神へ移ることになった。
小林氏という「もう一人の主人公」
ここで印象的なのが小林氏である。最初から小林氏が主役だったわけではない。江川氏をめぐる巨人と阪神の対立の中で、突然、その渦中に放り込まれた。報道陣に追われながら球団事務所へ向かい、巨人から阪神への移籍を告げられる。本人にとっては人生を左右する出来事だった。しかし、新聞やテレビにとっては、江川事件をさらに劇的にする「もう一人の主人公」になった。
私たちは「人間」を見ていたのか
ここが、ロス疑惑と江川事件に共通するところだと思う。私たちはテレビ画面を通して、一人の人間を見ている。しかし実際には、その人間のすべてを見ているわけではない。記者会見、インタビュー、新聞の見出し、週刊誌の記事、テレビで繰り返される映像。そこから編集された「人物像」を見ている。江川氏も小林氏も、本人たちの人生そのものではなく、「江川事件」という物語の中の登場人物として、私たちの記憶に残っていったのではないだろうか。
「怪物」と「悲劇の男」
江川氏には「怪物」という言葉がついて回った。高校時代から注目を集め、法政大学でも活躍した超大型投手だった。その才能への期待が大きかったからこそ、巨人入団をめぐる騒動も大きく報じられた。一方、小林氏には「巨人から突然放り出された悲劇の投手」という物語が重なっていった。二人とも、その後は野球選手として長い人生を歩んでいる。それでも私たちの記憶に強く残っているのは、1978年から79年にかけての「事件の中の二人」なのかもしれない。
40年以上たって見えてくるもの
当時の私は、新聞を読み、テレビを見て、「これはひどい話だ」と思ったり、「小林氏がかわいそうだ」と思ったりした。おそらく多くの人が似たような感情を持ったのではないだろうか。しかし、40年以上たって振り返ると、少し違うことも考えるようになった。江川氏にも事情があり、小林氏にも人生がある。巨人にも巨人なりの論理があり、阪神にも阪神の事情がある。ところが「事件」という形になると、そうした複雑な事情は削ぎ落とされ、「誰が悪いのか」という分かりやすい構図になりやすい。
江川氏本人の言葉を聞いてみる
そして最近、江川氏本人が「空白の一日」について語ったインタビューを読む機会があった。江川氏によれば、当時アメリカにいた彼は父親から「日本に帰ってこい」と突然電話を受け、巨人に入れる可能性があることを知らされて帰国したという。記者会見の場では、「これ、もめないんですか?」と確認したとも振り返っている。また、テレビで流れた「興奮しないでやりましょう」という一言についても、その前には激しい罵声が飛び交っていたが、その部分は放送されなかったと語っている。
一つの映像が人物をつくる
この話を聞くと、私は改めて「テレビで見たものは、その場で起きたことの全部ではない」と思う。もちろん、江川氏本人の現在の証言だけですべてを判断することもできない。しかし、テレビに映った数秒の映像が、その人間の印象を大きく左右することはある。何を映すのか、何を映さないのか。どの言葉を見出しにするのか。その小さな選択の積み重ねが、「この人はこういう人だ」というイメージをつくっていく。
「定年おじさん」の記憶
私は今、定年を迎えて、昔のニュースやスポーツを振り返ることが増えた。当時はテレビの影響力が圧倒的に大きかった。新聞を読んで、夜のニュースを見て、翌日の新聞を読む。同じ事件を何度も目にするうちに、知らず知らずのうちに自分の中に人物像が出来上がっていく。江川事件は、私にとってまさにそんな時代の記憶である。
あの時、私たちは何を見ていたのか
江川事件は、野球協約の解釈をめぐる問題であり、ドラフト制度をめぐる問題であり、巨人と阪神という人気球団の対立でもあった。しかし、それだけではない。私にとっては、メディアが複雑な出来事を一つの物語として伝えていく過程を象徴する出来事でもある。その物語の中では、江川氏が「悪者」に見え、小林氏が「悲劇の主人公」に見える。けれども、現実の二人は、そんな単純な役割だけで生きていたわけではない。
今だからこそ、もう一度見直したい
ロス疑惑も江川事件も、私が若い頃にテレビで見ていた出来事である。当時は、報道されたものを見て、自分なりに「こういう事件なのだ」と理解していた。しかし、定年を迎えた今、少し距離を置いて振り返ると、別の景色が見えてくる。メディアは事実を伝える。同時に、事実の並べ方によって物語も生まれる。そして私たちは、その物語を見ながら、一人の人間を好きになったり、嫌いになったりする。だから私は、昔のニュースを振り返るとき、「あの人は本当に悪かったのか」と問う前に、「私は当時、何を見せられ、何を信じたのだろう」と自分自身に問い直してみたいと思う。