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【明治文豪、令和を歩く】第11回:サブスクを好く

    二人は再び明るい大通りから一本入った、静かな喫茶店「万茶亭」のような落ち着いた店に腰を落ち着けている。
    テーブルの上には、湯気の立つ熱い珈琲が二つ。

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    夏目漱石                                                                                                                       

    さて、ようやく人心地がついた。
    ところで荷風君、さっきのスマートフォンを持った若者たちの話の続きだがね。最近は「サブスクリプション」、略して「サブスク」というのが流行りらしいじゃないか。
    一定の金を払えば、音楽も映画も、あるいは洋服や車でさえも、使い放題になるというシステムだ。我々の時代で言えば、貸本屋の会員証が、生活のあらゆる局面に拡張されたようなものかね。

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                                                                                                                          永井荷風

    フフフ、サブスク、ですか。
    僕はその仕組み、案外嫌いじゃあないですよ。
    僕はかつて『偏奇館漫録(※)』にも書き残しましたが、世間の義理だの付き合いだのといったものには、一切金を払いたくない性分でしてね。同窓会の会費や、つまらん宴会の通知が来るたびに、その返信を出さずに切手代を貯め込み、それを貯金箱に入れて、自分の好きな玩具や春本を買う資金に充てていたものです。
    この「サブスク」とやらは、人間関係の煩わしい「義理」を抜きにして、金さえ払えば望む快楽だけを無言で提供してくれる。実に合理的で、僕のような偏屈な隠遁者にはお誂(あつら)え向きじゃあありませんか。

    (※)初出1920[大正9年]新小説
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    君は本当に、人間関係を貨幣価値に換算するのが好きだな。
    しかし、その「使い放題」という点が、僕にはどうも引っかかる。
    月額いくらかを払えば、何万冊もの本が読めるし、何万曲もの音楽が聴ける。一見、それは知の解放のように思えるが、逆に言えば「一つ一つの作品に対する執着」が希薄になるということではないか?
    自分の書棚に並べて、背表紙を眺めて悦に入る……そういう所有の喜びが欠落している。まるで中身のない、空気のような消費だよ。

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    所有の喜び、ねえ。
    先生、まだそんな古風なことを言っているのですか。
    僕は『濹東綺譚(※)』でも書きましたが、現代人は珈琲に氷を入れて冷やして飲むのを好む。本来、珈琲の命はその香気にあるのに、冷やせば香りは消えてしまう。それでも彼らは、喉越しの冷たさという瞬間的な刺激を求めて、本質を犠牲にするのです。
    サブスクも同じでしょう。作品を所有して、その奥底にある香気をじっくり味わうことよりも、次から次へと手軽に消費して、渇きを癒やすことだけを求めている。
    ……ですがね、僕はそれを嘆きはしませんよ。所詮、現代の芸術など、氷入りの珈琲のように薄っぺらなものが多い。ならば、わざわざ書棚に並べて所有するほどの価値もない。読み捨て、聴き捨てにするくらいが丁度いいのですよ。

    (※)初出1937[昭和12年]東京朝日新聞
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    君のその、現代文明への冷笑的な態度は相変わらず鋭いな。
    確かに、駄作を山ほど抱え込むよりは、借りて済ます方が賢明かもしれん。しかし、選択肢が無限にあるというのも、精神衛生上よろしくない。
    『草枕(※)』ではないが、人間は「非人情」に徹しようとしても、結局は迷いの中に生きている。何万もの映画のリストを前にして、結局どれを見るか決められず、ただ画面をスクロールして時間を浪費する……これは現代特有の新しい神経衰弱の形だよ。
    それに、もし支払いを止めたら、その瞬間に全てが手元から消えるんだぞ? 自分の教養が、月額料金という担保の上に成り立っているなんて、実に心許ない話だ。

    (※)初出1906[明治39年]新小説
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    フン、消えれば消えたで、それまでのものでしょう。
    『新帰朝者日記(※)』の頃、僕は日本の現状に絶望して、いっそこのまま改善されない方がいいとまで呪ったものです。反抗こそが僕の生きる力でしたからね。
    サブスクというシステムは、所有という「定住」を拒否し、常に借り物で済ませる「放浪」のスタイルとも言える。家を持たず、定職に就かず、ふらふらと世間を渡り歩く……僕が憧れたボヘミアンの生活が、皮肉にもデジタル空間で実現されているわけです。
    それに先生、考えてもみてください。我々の作品だって、今や「青空文庫」とやらで、サブスクどころか無料で読み放題だ。我々は現代人にとって、最も安上がりな暇つぶしの相手にされているのですよ。

    (※)初出1909[明治42年]中央公論
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    痛いところを突くなあ。
    まあ、僕の『こころ(※)』や『坊っちゃん(※※)』が、誰かのスマートフォンの画面の中で、通勤電車の退屈しのぎになっているのなら、それはそれで作家冥利に尽きる……と思うことにしようか。
    しかし荷風君、君のあのアイスクリーム嫌いは有名だが、もし「アイスクリーム食べ放題」のサブスクがあったらどうするね?

    (※)初出1914[大正3年]朝日新聞
    (※※)初出1906[明治39年]ホトトギス
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    御免蒙(こうむ)りますね。
    僕は銀座の裏通りで、熱い珈琲を啜りながら、過ぎ去った江戸の幻影を追うだけで十分です。
    ……おや、そろそろ店じまいの時間のようだ。現代のサブスク社会にも、まだ「閉店時間」という風情が残っていたとは、少し安心しましたよ。

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    異文化ライター / AI対戦会主催 / 年間マンガ500冊レビュー / SF短編小説家 / プロいく一期生 スターバックス勤務20年。ゲーム実況15年。シェアハウス10年。 ヘッダ画像はタプローム遺跡(本人撮影)。木の根が寺院を包み込む様子が神秘的。 amazonアソシエイト参加