
1万分の1はキラキラしてて、でも、100分の1が尊い。
今日は自分の ライフ を棚卸して、 リグレット について少々書いてみよう。
子供の頃から将来は小説家になりたいと言ってきた。どうしてかというと、小学生の頃に新井素子さんの自身の経験を元にした小説がドラマ化されていて(結婚物語)、沢口靖子さん演じる女主人公がパジャマで仕事をしていたからです。
へー、小説家って出勤しないでいいんだ。
子供の頃の自分ときたら、学校に行くのが嫌でたまらず、出産が痛いと聞いて出産はしないと決めていて、ついでに、パジャマで家にいても怒られない小説家になりたいなと思ってました。夢を持つのはいいことだ。
それで、大学の学部を選ぶときに文学部に行った。英米文学専攻だと、教職課程が取れたが、使わないだろうと思って取らなかった。先生になろうとなんて思ってないし。私は小説家になるんですからね!
……この、教職課程が取れたのに取らなかったことを後悔しています。
大学に入ってから海外に目覚め、日本を離れて就職しようと思って、卒業後に東京で派遣社員しながらわざわざ日本語教師養成講座へ通った。(この学費は自分で稼ぎました!)
日本語専門の院卒ではない身で日本語教師で海外で給料をもらおうと思ったら、欧米圏にはいけなかったので、アジア圏で仕事を探し、中国へ来た。
その後、日本語教師を10年くらいやりました。
縁あって中国で結婚した後、勤めていた学校がなくなってしまい、妊娠中に無職になりました。主人は中国人ですからね。日本人男性ほどの収入もないじゃないですか。
生活どうしよう?
日本語教えた経験から、自分が教師に向いているのはわかってました。この時にもし教職があれば、日本人学校の現地採用枠にトライできた可能性があったんだよね。
20代の頃は、教職なんて使わないだろうと思ってた。同じ人が、30代になると、大きいお腹抱えて、旦那は中国人で、
ああっ!大学の時に教職を取っておけばよかったぁああ!
なんて、後悔するわけです。ちなみに日本語教師も素敵な仕事なんですが、当時の私には日本人学校の先生の方が安定した選択肢に思えた。先生をやりながら、その傍、小説を書くなんて素敵な人生じゃないですか。現実的なプランですよね?私、子供も大好きだし。
若い頃って、たとえば教員資格とか、自分にとってレアなものではなかったのだよな。1万分の1を目指して、100分の1をおろそかにするようなところが若い頃の自分にはあった気がするんですよ。
小説家って誰でもなれるものじゃないじゃないですか。学生時代は、そういうものだけが目に入っていた。でも、レアなものを目指しつつ、確実なプランBを抱える器用さがあっても、本当は良かったんだよな。
バカだったよなぁって社会人になってから反省しました。
自分でお金を稼いで生活するようになるまで、お金を稼ぐことの大変さとかわかってなくて、100分の1の尊さを分かってなかった。だから、頑張れば取れた教職を取らなかったんだよ。
お父さん、お母さん、ごめんねー!
日本に向かって敬礼!
お父さんは大学行ってないし、お母さんは短大しか行ってない。
にも関わらず、二人で働いたお金で大学へ行かせてくれた。
それなのに、行かせてもらった大学で、もっと色々できたのに頑張らなかったよ。ごめんね。
そして、ありがとう。長生きしてください。
汪海妹
2026.09.14
蛇足
子供海妹の計画では、痛いので子供は産まない。パジャマで生活し、出勤しないはずだったのだが、鼻の穴からスイカを出すような出産もしましたし、パジャマを脱いで服に着替えて、毎日通勤もしています。
でもね、子供の皆さん!夢を持つのは自由なんですよ!叶うかどうかはまた別の話ですが!!