
1月11日|塩の日「塩を送るにこめられた思いのお話と、誰かのために戦う姿を描いた一冊」
【今日は何の日】1月11日 / 塩の日
【記念日本棚】塩の街 / 有川ひろさん


「敵に塩を送る」
戦国時代に生きた二人の武将から、学んだことがあります。
上杉謙信と武田信玄
武田信玄は当時、今川氏や北条氏から経済封鎖を受け、生活に欠かせない塩が手に入らないという、深刻な状況に陥ったといわれています。
このことを知った宿敵・上杉謙信が、「戦いは兵火で決するべきであり、民を苦しめるのは本意ではない」として、永禄12年1月11日(旧暦)、武田の領地へ塩を送ったと伝えられています。
史料によって細かなところは諸説ありますが、このお話は「敵に塩を送る」ということわざの由来として、今も語り継がれています。
さらに調べてみると、謙信は無償で塩を与えたわけではなく、商人に、普段通りの値で売らせたとする説もあるのだと知りました。
最初は、なぜタダではなく「売った」のだろう?と、不思議に思いました。
けれどそこには、一時的な施しではなく、相手の国が自立して生きていけるように、という配慮があったのではないか。
相手を弱らせ屈服させるのではなく、一人の対等なライバルとして、再び戦の場に立てる状態を整える。
謙信が送ったのは、単なる「塩」という物資ではなく、日常を取り戻すための仕組みであり、結果として多くの人を、長く救うことにつながったのではないか。
謙信の「義」とは、こうした深謀遠慮を伴う、優しさだったのだと気づきました。
その後、二人が直接決着をつけることはついにありませんでしたが、謙信は信玄の死を知った際、食事中であったにもかかわらず箸を止め、「好敵手を失った」と涙を流して惜しんだというエピソードも残されています。
敵でありながら、相手を思いやる。
だからこそ「敵に塩を送る」という言葉は、現代まで生き続けているのかもしれません。
史実として断定できるものではありませんが、認め合っていた二人の武将に心惹かれるものがあります。

※作品の内容に触れていますので、ご留意いただけますと幸いです。
塩の街 有川ひろ(有川浩)さん
角川文庫 2010年発行
塩が世界を埋めつくす塩害の時代、塩は着々と街を飲み込み、 社会を崩壊させようとしていた。その崩壊寸前の東京で暮らす男と少女、秋庭と真奈。世界の片隅で生きる2人の前には、 様々な人が現れ、消えていく。 だが―ー「世界とか、救ってみたくない?」。ある日、そそのかすように囁く者が運命を連れてやってくる。「空の中」「海の底」と並ぶ3部作の第1作にして、有川浩のデビュー作! 番外編も完全収録!!

ズンと重い世界の中で
人が人でいられるよう
互いに相手を思いやる
絶望の中の希望のお話
力強く生き抜く人々の
誰かのために戦う姿は
未来に安寧をもたらす
故にあまねく彼の人へ
微光を繋ぐ姿に光風を

本文では触れませんでしたが、信玄が亡くなる直前、息子の勝頼に遺したとされる言葉があります。
「私が死んだ後、もし困ったことがあれば、上杉謙信を頼れ。謙信は義理堅い男だ。決して卑怯な真似はせず、お前を見捨てないだろう」
これも後世の創作である可能性はありますが、長年の宿敵を「自分の死後、息子を任せられるほど信頼できる相手」として認めていたと言う、究極のリスペクト・エピソードであることがわかります。
塩は、ある時は命を救う「義」の象徴となり、ある時は世界を覆う「絶望」になる。
けれど、その中心にはいつも、思いやりと、人との繋がりがあるのだと教わりました。
