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理解されることを、前提にしなくなった日

    手渡した言葉が、
    そのままの形で相手に届く。

    そんな、
    奇跡のような「正解」ばかりを追い求めていた。

    迷路の出口を探すように、
    必死に声を紡いでいた。

    以前は、理解されることを前提にしていた。

    正しく説明すれば
    伝わるはずだと思っていたし、
    伝わらないのは、
    自分の説明が足りないからだと思っていた。

    だから、
    言葉を足して、
    例えを探して、
    角度を変えて、
    何度も説明した。

    それでも伝わらないときは、
    もっと分かりやすい言葉を探した。

    そうすれば、きっと届くと思っていた。

    でも、あるとき気づいた。

    理解されなかったからといって、
    それが存在しなかったことにはならない、
    ということに。

    海に浮かぶ氷山は、
    水面に出ている部分よりも、
    その下にある部分の方が、ずっと大きい。

    けれど、
    水面の上から見えるのは、
    ほんの一部だけだ。

    見えている部分だけで、
    その氷山のすべてを判断することはできない。

    それでも氷山は、
    見えていない部分を含めて、
    確かにそこにある。

    理解も、
    それに似ているのかもしれないと思った。

    言葉になった部分だけが、
    理解のすべてではない。

    説明できた部分だけが、
    存在のすべてでもない。

    見えていない部分は、
    消えているわけではなく、
    ただ、そこにある。

    以前は、見えている部分を広げようとしていた。

    もっと説明すればいい。
    もっと伝えればいい。

    そうすれば、
    見える部分が増えて、
    理解されると思っていた。

    でも、本当に必要だったのは、
    見えていない部分を
    無理に引き上げることではなく、
    そこにあることを、
    自分で知っていることだったのかもしれない。

    すべてが理解されるわけではない。
    すべてが言葉になるわけでもない。

    それでも、存在は消えない。

    見える人には見えるし、
    見えない人には
    見えないままかもしれない。

    それでも、それは、なくなったわけではない。

    理解されることを前提にしなくなったとき、
    不思議と、
    説明しなければならないという焦りも、
    少しずつ消えていった。

    伝わるかどうかよりも、
    そこにあることの方が、
    確かなものだと
    感じられるようになったからだと思う。

    水面の下にある部分は、
    見えなくても、
    形を失わない。

    理解されなくても、
    そこにあるものは、そこにある。


    そしてたぶん、それで十分なのだと思う。


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    働くこと|育てること|アニメ|note| 思考の余白から、生き方を見つめる。答えを出すより、あちこち寄り道しながら考えることが好き。 🌱だいたい思考途中🌱

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