
能登フィールドワーク(前編) 震災から2年。能登の水産業と食の今
2026年1月。北陸の厳しい冬風が吹く能登半島に、日本を代表するトップシェフたちが集結しました。 一般社団法人Chefs for the Blue(以下C-Blue)の2026年最初の活動となる今回のフィールドワーク。その目的は、震災や高齢化、そして温暖化の荒波に直面する能登の漁業の「今」を学び、この能登から新たな一歩を踏み出すことです。
案内人は、石川県七尾市にあるオーベルジュ「ヴィラ・デラ・パーチェ」の平田明珠シェフです。平田シェフは東京都に生まれ育ち、全国の生産地を巡る中で能登の魅力に惹かれ、七尾へ移住した料理人。以来、能登の生産者と広く深く信頼関係を築き、令和6年の震災時は地域住民に向けて、避難所での炊き出しを精力的に行いました。そしてその際、平田シェフらのSOSに応じ、食材保管用の冷凍冷蔵庫3台を現地に届けるなど、C-Blueにとっても、能登は以前から特別な思いを寄せてきた土地だったのです。
「被災した地域の郷土料理や食文化が、目に見えて失われつつある。そういったものを次の世代へとつないでいけるような料理を作りたい」と語る平田シェフ。今回は彼の信頼する水産事業者を訪れ、能登の資源や土地、食文化の現状について学び、同じく能登で活動するシェフたちと交流しました。時間にしてわずか24時間のフィールドワークでしたが、現場にはこれまでにない濃密な時間が流れ、能登の生産者とシェフたちの間に、新たなつながりが生まれました。
【七尾・宮本水産(牡蠣)】汽水域を持たない海で、逆境を「価値」に変える
金沢駅から車で最初に向かったのは、能登半島の波穏やかな七尾湾。その入り江に位置するのが、1980年から牡蠣の養殖を営む「宮本水産」です。山や里からのミネラルを運ぶ大きな河川がなく、牡蠣を太らせやすい「汽水域」を持たないこの海は、かつて養殖には不向きとされてきました。しかし、宮本水産はその逆境を「海水だけで育つ贅沢」へと転換しました。

「海水だけで育つ」という贅沢
「川がないからこそ雑味がなく、旨味が濃い」 宮本さんは、あえて海水濃度の高いこの七尾湾で2年の歳月をかけ牡蠣を育てます。4分の1が死滅するリスクを負い、1年牡蠣と比べてコストは4倍に膨らみますが、その先に待っているのは、旨味が凝縮された黄金の一粒です。この品質を守るため、市場を通さず飲食店などとの直接取引に絞り、自ら価格を決める道を選びました。

山から海へ、見えない栄養をつなぐ
「川がないのに、なぜ牡蠣が育つのか」。その鍵は、「山」と「海」にあります。 落ち葉の栄養が地中を通じ、海底湧水として川の代わりに海へ注ぐ。この山から注ぐミネラルによって、牡蠣が成長し、旨みを蓄えてゆくのです。かつて山の荒廃で海が貧しくなった経験から、宮本さんは20年前より広葉樹の植林と下草刈りを続けています。しかし、山の管理を担う世代の交代まで、残された時間はあと10年ほどです。宮本さんの眼差しには、海だけを見ていては守れない食の未来への危機感が宿っていました。

料理人のための「選別」と「掃除」
宮本さんの仕事の真髄は、徹底した「選別」と「掃除」にありました。 「美味い牡蠣を作るには、選別が重要」と語る宮本さん。一度剥けば戻せないからこそ、重さや勘で身入りの良さを一つずつ見極めます。さらに、料理人がすぐに調理できるよう、殻に付着したフジツボや汚れを一つずつ取り除き、磨き上げます。この使い手への深い配慮が、多くのトップシェフを惹きつける理由です。

牡蠣のピークは4月
「牡蠣のピークは、実は4月なんです」と語る宮本さん。1ヶ月ごとに表情を変える牡蠣の味は、雪による海水循環を経て完成するといいます。牡蠣といえば、冬の鍋というイメージが思い浮かびますが、これは冬の牡蠣の需要を上げるための全国的なブランディング戦略の影響が大きいそうです。桜の時期の「春牡蠣」、平田シェフも太鼓判を押すその味を味わってみたい、と、訪れたシェフたちは興味津々でした。



【能登島・タコ漁】データと持続性への「美学」が導く、次世代の漁師像
次に一行が訪れたのは、能登島の鰀目漁港(えのめぎょこう)です。そこで迎えてくれたのは、タコ漁師の平山泰之さんです。「能登島タコ研究所」というたこ焼き屋のキッチンカーも手がける平山さんは、10万地点ものGPSデータを駆使した科学的な視点と、資源管理に対する独自の美学を持って海に向き合っています。

海底を「可視化」する科学データ
現在、全国的にタコが激減する中で、平山さんの漁獲成績は、他の地域に比べ高い水準を維持しています。その鍵は、GPSに蓄積された膨大なデータです。 「水深、地形、天気、水温、そして釣果。すべてを地図に落とし込んでいます」と語る平山さん。 海水温が35℃を超え、アマモ場が消失するなど、能登の海は大きく変化するなか、伝統的なカゴ漁やツボ漁を支えるのは、勘に頼りすぎない地道なデータの蓄積による、科学的な裏付けでした。
600グラムの境界線
しかし、シェフたちが最も感銘を受けたのは、その科学的データの裏にある「美学」です。平山さんは、自主的に「600〜700グラム以下のタコは未成熟なので、すべて再放流する」という厳しいルールをつくり、自らに課しています。 「もし他の漁師が根こそぎ獲ってしまったら、自分が逃がしたタコが他で獲られてしまうかもしれない。正直モヤモヤしますが、自分が納得できる仕事をしたいんです」と、漁師として資源と向き合う想いを口にしました。

彼のカゴには小型のタコが逃げ出せる細工が施されており、使用後は高圧洗浄機で徹底的に洗われます。その手間は大きく、ここまで丁寧に洗浄を行う漁師は、平山さんだけだといいます。「タコは綺麗好き。カゴを洗うだけで入る確率は上がる」という合理的な工夫を、彼は淡々と積み重ねています。

「あなたから買いたい」と言われるために
流通においても、平山さんは独自の道を切り拓いています。高い手数料や、実質の目方から一定割合を差し引いて買価計算される市場の商慣習に疑問を抱き、飲食店への直販や自ら調理・提供するスタイルを選びました。
「味がいいのはもちろん、『あなたから買いたい』と言われる関係を築きたい」と、 神経締めで鮮度を保ち、その先の一皿を想像する平山さん。その姿勢に、シェフたちからは処理や配送の最適解など、専門的な質問が次々と飛び交いました。生産地の漁業者と、消費地のシェフが直接交流し、互いの領域を高め合う。この笑顔と活気に満ちた対話こそが、今回の視察の真骨頂でした。


【輪島漁協・海女】大きく変わった海で紡ぐ、400年の歴史
能登半島をさらに北上した一行が訪れたのは、輪島です。ここには、日本最多とも言われる約160名の海女たちが守り続けてきた、400年の歴史が息づいています。しかしその伝統は今、震災による物理的な破壊と制度の狭間で揺れています。

隆起した港、沈黙した施設
港に立つシェフたちの目に飛び込んできたのは、隆起し、障壁に阻まれた漁港の姿です。震災後の浚渫(しゅんせつ)によって船は出せるようになりましたが、水揚げインフラは破壊されたままです。 「水揚げがすべてベルトコンベア方式になり、非効率で大渋滞しています」と、職員は現場を語ります。
「滅菌用の海水施設も壊れ、支える職員も去りました。その影響でナマコや牡蠣の漁は止まったままです。建物だけでなく、漁業を支えていた日常そのものが断ち切られています」
「共に生き残る」ための新しい秩序
海女漁は一隻の船に6〜10人が乗り込み、ウェットスーツ姿の身一つで潜り、獲る漁です。アワビやサザエの最盛期である夏を中心に、季節ごとに獲物を変えながら漁を続けます。
かつては船ごとで漁獲量を競い合い、収入の差もありましたが、震災後、彼女たちは大きな決断を下しました。 一人当たりの漁獲制限を設けたのです。獲りすぎになりがちな競争を避け、資源を守り、みんなで共に生き残るために、 合議制で決まったこの新ルール。この新たなルールによって日々の水揚げ量に乱高下がなくなり、漁獲物の単価は安定しました。しかし、震災による施設の損壊や磯焼けの影響により漁獲量は戻っておらず、収入は依然として厳しい状況が続いています。

変わりゆく海と、守るべき伝統
海の中も激変しています。温暖化による「磯焼け」が進み、亜熱帯の魚種が入り込み、海藻が減少しています。また、海藻の光合成を阻害してしまう藻が、海中に蔓延しているそうです。「海藻が減っているから、自分たちで藻を取り除いています。できることをやるしかないから」 と語る海女さん。
10センチ以下のアワビは放流するという厳格なルール、そして閉鎖的な漁業権の壁。現在高齢化が進み担い手は減少し、最高齢はなんと86歳。震災後は新規参入も途絶えてしまっているそうです。それでも彼女たちは冷たい海へ向かいます。困難な状況にあっても、彼女たちは伝統の火を絶やさぬよう踏ん張っています。

【能登フィールドワークレポート(後編)】に続きます。
文 藤野佑一朗