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第7章 虹色の祝福 Ⅰ ザンブロスの灯

    1.

    リユニエ王国の南西――ルゼア地区の黒鉄の峡谷と活火山地帯に、一つの街――ザンブロスがある。

    燃え尽きたような赤茶の岩肌に囲まれ、火の息づかいが地面の下で眠らずに脈打っている。活火山を活用した温泉は街の名物で、湯気の匂いと硫黄の匂いが混じった空気が、旅人の喉を少しだけ荒らす。

    ザンブロスは炎の環フレイムリングの団長にして、賢者であるラオと、猪精霊イグニファの加護により守られている。

    三姉妹とエリシアは、石の門を抜け、その中心に立っていた。

    硫黄と溶岩の匂いが、思い出したように鼻の奥へ入り込む。アステリアの戦争の残滓――焼けた金属や煤の匂いは、ここでは感じられない。空気が、まだ生きている。

    「……帰ってきたんだね。」

    オルディナが、ぼそっと呟いた。

    エリシアは初めて訪れた土地に感心し、キョロキョロとあたりを見回している。岩肌の隙間から噴き上がる湯気、遠くで鳴る鍛冶場の金属音、夕暮れの光を受けて赤く沈む街の輪郭。

    “街が呼吸している”――そんなふうに見えた。

    「ここがザンブロス……流れてるルミナの種類がアステリアと全然違うわね」

    エリシアが不思議そうに言った。

    「ここは生命ルミナが主に流れてるからね。それに……アステリアと全然景色も違うでしょ?」

    オルディナがウインクしながら言う。

    「ほんとね……土や溶岩の匂いをこんなに間近に嗅いだのは初めてよ……まだまだ知らないことが多いわ~」

    エリシアは抜けたような声で言った。

    それを聞いて、三姉妹は笑い合う。ほんの短い時間だけ、肩の重みがほどけた気がした。

    「距離と移動速度から計算すると、ミカゲたちは既に到着しているはずよ。」

    ロゴスが冷静に分析する。

    「そうね……距離的に私たちが一番遠かったからね……」

    アクシオンが紫紺の瞳を炎の環フレイムリングのギルドへ向けながら言った。

    三姉妹らが目指しているのは、ザンブロス近くにある“目覚めの祠”だった。

    七ヶ月の眠りから目覚めた場所。

    あの夜からずっと、胸の奥に刺さったままの問いがある。

    ――取り戻した力の先に、何が待っているのか。

    行くなら、今だ。迷っている暇はない。だけど、独断で進めるのも違う。

    だからこそ、いま一度、皆で顔を合わせて言葉を揃える必要があった。

    三姉妹とエリシアは、ギルドのスイングドアを押して中に入った。

    酒場としても機能しているギルドは今夜も観光客と地元の住民で盛り上がりをみせており、笑い声と杯の音が天井の梁に跳ね返っている。火山の熱を引き込む暖炉の炎が揺れ、赤い光が人々の頬を照らす。

    ここは活気に溢れていた。

    同じリユニエの地に位置しているのに、戦争の被害を被り、多くの犠牲が出た地と、そうではなく平和で人の活気に溢れた地が同時に存在している。

    ――そのことが、アクシオンには少しだけ気まずかった。

    “生き延びた場所の笑い声”に、罪はない。けれど、笑い声の向こうで死んだ者たちが、急に遠い世界の出来事になってしまう気がして。

    アクシオンはそんなことを考えながら、エリシアの方をちらっと見やった。

    幸い、エリシアの表情は曇っていない。むしろ人の盛り上がりを見て、少し元気づいたようだった。

    ――それでも、時折、視線が遠くを見る瞬間がある。

    戦場の記憶が、まだ完全には消えていないのだろう。

    アクシオンはほっと胸を撫で下ろし、仲間たちを探した。

    「アク姐~!!こっち~!!」

    酒場の入って右側奥――

    酒を置いたカウンターに近いところに、十人ほどが座れる艶のある赤茶色の丸テーブルがある。まるでザンブロスを囲んでいる赤茶の岩肌のようだ。

    その丸テーブルから元気一杯に手を振っている褐色の少女がいた。

    ラオだ。

    ザンブロスに降り注ぐ陽光を浴びれば煌々と輝くブロンドの髪を肩まで伸ばし、毛先には桃色のアッシュが遊ぶ。白地に金の装飾を施した戦闘下着の下から健康的な褐色の肌が覗き、肩に羽織る赤茶のローブには黒いファーが縁取られている。若いのに、団長の重みだけはごまかせない――そんな格好だ。

    三姉妹らは盛り上がる人と人の間を慎重に通り、目的のテーブル席まで進んだ。

    丸テーブルの上には、ザンブロスの火山の溶岩を活用した石器料理が並んでいる。ザンガラシを絡めた石焼チャーハン、火山塩をまぶした燻製魚、ザンガラシと魚で出汁をとった辛い石鍋。湯気が立ち上り、辛味の匂いが鼻をくすぐった。

    「うわ~!美味しそう!!ラオ、これ食べていい??」

    オルディナが目を輝かせながら、涎を垂らす。

    「ちょっと……姉ちゃん……」

    ロゴスがそれを見て苦笑する。

    三姉妹とエリシアが空いていた席に着くと、向かい側に座る者たちが静かに視線を寄せた。

    「ご無事で何よりです……アクシオンさん、エリシアさん」

    目を見張るほどの銀色の長髪を流した少女が、くりっとした紅蓮の瞳をこちらへ向ける。黒生地の着物には赤と金の薔薇の紋様が咲き、細い指には黒い網目手袋。言葉の一つひとつが丁寧で、視線は揺れない。

    古都クヅラハの当主――ミカゲだ。

    「お陰さまでね……クヅラハとナヤカの支援も本当に助かってるわ……ありがとう……ミカゲちゃん、カゲツちゃん」

    エリシアはぺこっと頭を下げた。

    ミカゲの隣にいた漆のごとく黒髪の女性も、短く口元を緩める。

    「礼には及ばないよ……エリシア……」

    青い生地の着物を着崩し、黒い下着が垣間見える。鍛えた筋肉の線が、隠しきれずに覗く。足を組んだ大腿が着物の裾から顔を出し、時折、酒場の男たちが視線を向ける。

    黒髪の女性――カゲツは、そんな視線を気にすることもなく、機械タバコの煙を天井へ吐いた。煙の上がり方まで、どこか冷静だった。

    「そっちの司祭が殺されたんだってね?」

    カゲツは鋭い眼差しでアクシオンとエリシアを見た。その顔は公安官のそれだった。

    「ええ……」

    エリシアは短く答えた。

    「それは、王国の大規模な軍事侵攻と関係あるの?」

    カゲツが青い瞳を細めながら尋ねる。

    「そうよ。リユニエ王国の目的は、アステリアの聖典を奪うことだった。」

    アクシオンは、セレノス王に謁見の間で話した内容を、できるだけ簡潔に説明した。

    “奪うために、殺すことを選んだ”

    ――その事実だけが、骨のように残る。

    「なるほど……それで司祭が犠牲になってしまったってことか……」

    カゲツは煙を吐きながら、天を仰いだ。

    その目は哀れみのような目をしている。冥福を祈っているのか、それとも――この国の仕組みそのものを見ているのか。

    「三姉妹の皆さんは……聖典を取り戻しに行かれるのですよね?」

    ミカゲが静かに尋ねた。

    「うん……そのつもりだよ」

    ロゴスが答える。

    「ザンブロスに集まったのは何か関係があるのですか?」

    ミカゲがさらに尋ねた。

    「うん……ザンブロス近くの祠を見に行こうと思って……」

    オルディナが答えた。

    「オル姐……それって……」

    ラオが不思議そうに聞いた。

    「うん……前にザンブロスに来たときに話した祠のことだよ。私たちがあの夜から目覚めた場所でもある……」

    オルディナはゆっくりと話した。

    「そこに何があるのですか?」

    落ち着いた声が割り込んだ。

    夜のように静かな黒のレースドレスを着た女性が、テーブルの端で背筋を伸ばしている。酒場の灯りに反射して、黒髪は赤紫に染まり、金のボタンと装飾が小さく煌めく。

    ルナエール中央図書館の大司書――モナだった。

    「石碑があるの……それも私たちに向けられたとしか考えられない碑文が刻まれてる」

    アクシオンが紫根の瞳をモナに向けた。

    「もう一度……石碑を調べてみようと思うの……目覚めたとき、私たち姉妹が見逃した文があるかもしれないし……」

    ロゴスが言った。

    「さすがは、伝説の三姉妹じゃな──」

    どこかで聞き覚えのある声が耳に入った。

    テーブルにいた者たちが、一斉にそちらへ目を向ける。

    いつの間にか、老女がそこに腰を下ろしていた。

    椅子が軋む音も、足音もない。

    ただ、暖炉の炎が一瞬だけ小さく縮み、酒場の喧騒が“遠のいた”気がした。

    銀白の髪を結い、金の翼の付いた髪留めを付けている。桃色の着物には薄桃色の桜の柄。笑うと目尻が柔らかく下がるのに、猫目の奥がどこか鋭い。

    大ババ様だった。

    「もぉ……ビックリした………大ババ様……いつも急に現れるね……」

    オルディナが顔を膨らませながら言う。

    「ふぉふぉふぉ……そう言うでない……」

    大ババ様は目を細めた。

    「お主ら……あの祠に行くのかい?」

    「はい……というのも……」

    アクシオンが説明を始めようとすると、大ババ様は手で制した。

    「みなまで言わなくてもわかっておる……影のものの復活は絶対に阻止しなくてはならん。」

    三姉妹は互いに顔を見合わせた。

    言葉の重さが、湯気の匂いより先に胸へ沈む。

    「前にイグニファを救いにここを訪れたときと比べて、随分見違えたな……三姉妹よ……各々、己の体に宿すルミナを取り戻している。」

    大ババ様の猫目が少し見開き、瑠璃色の目が顔を覗かせる。

    「頃合いだな……ここまでルミナも賢者も精霊も揃ったのなら……気は熟しただろう。」

    大ババ様は遠くを見つめながら言った。

    その視線の先が、祠なのか、あるいは――祠の“奥”なのか、アクシオンには分からない。

    「ババ様、それってどういう?」

    オルディナが疑問を口にした。

    「今はわからんでもよい……お主らはわしと祠にいけばわかるさ」

    大ババ様は言った。

    「え?ババ様も行くの?」

    ラオが目を見開いて言う。

    「そうじゃ……ここにおる者全員であの祠に行くことが重要なのだよ……」

    大ババ様の声は、さっきより少しだけ重い。

    「ババ様……わかりました……では、ぜひ私たちと同行してください……祠に着いたら、知ってること話してくれるんですよね?」

    アクシオンが紫紺の眼差しを向けた。

    大ババ様は無言で深く頷いた。

    アクシオンはぼんやりと酒場の方へ目を向けた。

    酒場は相変わらずうるさかった。笑い声も、杯の音も、焼けた香辛料の匂いも変わらない。

    でも、その喧騒が今は、気を紛らわせてくれそうで彼女はほっと胸を撫で下ろした。

    ――つづく


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