
文章を書くことは誰かに届けるためだけじゃなかった
反応が少ないことが怖くなった
2024年から始めたnote。
せっかく始めたのに
1年足らずで書くことをやめてしまいました。
最初は反応が少なくても
「始めたばかりだから。」
そう思えていました。
でも、投稿を重ねるたびに
「今日も反応が少なかった。」
「この文章を書いた意味はあったのかな。」
画面を閉じるたびに
少しずつ心が小さくなっていくようでした。
反応が少ないと
「私の存在ごと届かなかった」
そんな気持ちになってしまう…。
だから
書きたい想いがあっても
書くことが苦しくなってしまったのかもしれません。
「文章を書くことは癒しになる」

そんな私が参加した
末吉宏臣さんの出版記念講演会。
その中で
「文章を書くことは癒しになる。」
という言葉を聞きました。
さらに印象に残ったのは
AIに末吉さんのnoteを分析してもらったら
一番多く使われていた言葉が
「許可」だったというお話。
末吉さんは
「文章で許可を出しているようでいて
本当は、自分自身に許可を出していたのかもしれない。」
とおっしゃっていました。
その話を聞いた瞬間
「あ、私も同じだったかもしれない。」
そう思ったんです。
私は、誰かに届けるためだけに
書いていたわけじゃなかった。
書きながら
「あの頃の私は、こんな風に感じていたんだな。」
そんなふうに、自分の気持ちを受け取る時間でもあったんです。

私が本当に欲しかったもの。
誰かに共感されることを
求めていたけれど
もしかしたら
誰かに共感されることより先に
「私の言葉でいい。」
「感じたそのままを書いてもいい。」
そんな許可を
自分に出してあげたかったのかもしれません。
だから
もう一度noteを書いてみようと思ったんです。
今までは、誰かが私の言葉を受け取ってくれることで、自分の価値を確かめようとしていたのかもしれません。
でも、本当は
「あのときは、そんな風に感じていたんだ。」
そうやって、私自身が受け止めてあげることが先だった。
文章を書いていると
自分でも気づいていなかった気持ちに
出会うことがあります。
その気持ちを否定せずに
受け止められたとき、少し心が軽くなる。
だから私は
文章を書くことは
誰かに届けるためだけじゃなく
自分を癒す時間でもある。
そんなことを
改めて感じました。