
悪に優しきこの国で −裁かれぬ悪と、救われる悪−【第16話】レンズ越しの加害者

「青山麻衣さん、元ご主人の雫石和也さんのお話しをお伺いできるでしょうか?」
ジャーナリストの稲村朱音は、離婚して実家に引っ越した元妻、旧姓・雫石麻衣のもとを訪れていた。
「稲村さん、何度も言っていますが、あなたのような有名な方に来られると困るんです……。それに、あれから三年が経ちました……。ようやく静かになったんです。今さらお話しすることはありません」
「私は、今回の事件について真実を知りたいんです。彼を悪く言う人がほとんどですが、彼の元部下や後輩たちは誰一人悪く言う人がいません。人間性を凄く讃える方もいらっしゃいました。そんな彼が逆恨みで人を殺すでしょうか?」
「……彼は、真面目で優しい人でした。それだけです。お願いです、もうお帰りください」
「青山さん。私、今度彼が収監されている刑務所を取材するんです。もし、雫石和也さんとお話しする機会があったら、何か伝えることはありますか?」
「……すみません。私たちにしか分からない事ですし、一言では表しきれませんので」
「分かりました。では、もし何かありましたら、いつでも連絡してください。それでは失礼します」
稲村は、麻衣の「一言では表しきれない」という言葉に、何か深い意味があると直感した。
雫石和也は、列車内で痴漢をし示談した。しかし、ネット上に個人情報が拡散され、会社を退職。そして離婚……原因となった新浜楓を逆恨みで殺害した。
本当なのだろうか?
確かに、殺害状況は惨たらしく、殺意もはっきりしている。
彼との手紙のやり取りでは、未だに感情が見えない。
被害者遺族の新浜剛さんは、雫石和也に対し憎しみの感情を露わにしている……が、この刑務所の映像が流れたらどう思うのだろうか?
人権を重んじ、受刑者に敬語すら使う状況に……。
私自身にも違和感がある。
それは、かつての岩間俊輔の事件を経験したからだ。
今回の刑務所の取材許可は簡単ではなかったが、「〇〇刑務所における人権尊重の取組と環境の現在」という社会・広報的なテーマで、法務省(矯正局)および該当の刑務所へ申請して無事許可が下りた。
また、受刑者への取材許可が取れたのは幸いだ。それが雫石和也になるかは不透明ではあるが……。
取材当日。

「横瀬刑務官。受刑者に『この刑務所における人権への配慮や、人権尊重に基づいた環境作りの取組』に対して感想を聞いてもよろしいですか?」
「個別事件への取材や個人的な会話をしないということであれば」
「……どなたかいらっしゃいますか? 出来れば重い罪で収監された方が良いのですが」
「……分かりました。数名呼んでみましょう」
呼ばれた受刑者の中に、雫石和也はいた。
未だに心を開かない雫石和也に、横瀬刑務官が取材を受けさせ、話させようとしたのだ。
「受刑者の皆さん、ご協力に感謝いたします。質問は流れの中で変わると思いますので、皆さんに同じ質問をするとは限りません。……それと、顔にはモザイク処理を施し、声もボイスチェンジャーにより変えますので、安心して発言してください」
受刑者たちは、殺人や強盗で長期間収監されている者、またこれから長い年月収監される者が入り混じっていた。
「それでは、最初に長くここに居られる方にお伺いしたいのですが……。名前など呼ばれ方や刑務官の対応はどう変わりましたか?」
「ああ……昔は『番号』で呼ばれてたし、何かと命令口調だったが、今は『名前』に『さん』付けになったな。命令口調もかなり減ったよ……。最近入った奴には分からんだろうがな」
「今は受刑者にも人権を求める声が世界的に高まり、日本もそれに倣い始めているところです」
「人権か。俺は助かるけどな」
「長井さん。質問には敬語で答えてください。この内容は放映されるのですから」
「……横瀬刑務官、失礼しました。以後、注意します」
「あの、今のところはカットしていただけないでしょうか?」
横瀬刑務官がディレクターに小声で囁いた。ディレクターはTake 2を要請してきた。
「……長井さん。すみません、もう一度やり直すことはできますか?」
「はい、大丈夫です。お願いします」
長井という受刑者の態度が一変した。横瀬刑務官は確かに敬語を使っているが、長井受刑者の雰囲気が変わったのは確かだ。それが長井受刑者の過去のトラウマなのか、横瀬刑務官に今も裏の顔や何かがあるのかは分からないが……。
「それでは、収監期間が一番短い方に伺いたいです。刑務官やこの刑務所はどんな風に感じているでしょうか?」

「……私は特に何も。人を殺し、無期懲役に服しているだけです」
「罪状については無理に答えないで結構です。刑務所の環境についてはどうですか?」
「……塀の外と変わらず、分刻みの生活をしています。何も変わらないですよ」
雫石和也は、新浜楓を殺してここにいる。彼は私が手紙の相手とは知らない。だが、私は彼を知っている。
彼は事件から数年経った今も心を閉ざし、なぜこんなにも淡々としているのだろうか?
「最後に、ご家族や被害者への思いはあるでしょうか?」
「もう20年も前ですから、家族は居ません。被害者の遺族の方に謝りたくても、その遺族すら亡くなりました。私は謝罪すらできなくなってしまいました」
「私は……妻と離婚しました。被害者には何もありません。私は生涯ここで過ごすだけです」
「雫石さん! ……稲村さん、今の発言は放映しないでいただけませんか。遺族の方の心情に良くないので」
ディレクターは小さく頷いた。
取材は終わった。
「変わりゆく刑務所」として、撮れ高は十分に確保できた。
放映された番組は、人権擁護の光と影を描いたものとして世論の激しい賛否を巻き起こした。
そして……。
青山麻衣から手紙が届き、新浜剛から怒りの電話が鳴り響いた。

ジャーナリスト・稲村朱音は、取材を進める中で、世間の「残虐な無差別殺人鬼」という評価とは異なる、雫石和也の静かな心の軌跡を辿り始めた。
本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
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