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清須会議で見せた、豊臣兄弟の”人たらし”ぶり

    今年の大河では、しばしば過去の定説とは違う描かれ方がみられます。
    今回も、秀吉の口から、その場にいた織田家の重臣4人で協力して、信長の嫡孫・三法師の後見人を務めるという提案が出てきたのも、そのひとつだと言えます。

    おや?これは調子の良いことを言っている…

    とは思いつつ、今作は豊臣家をキレイに描いているので、どう落とし前を付けるのだろうかとわからなくなってきました。

    過去の清須会議通り定番の顛末ではないかもと、ある意味の期待が湧いてきたのです。

    しかし。

    秀吉はやはり秀吉。
    秀長はその弟だということを納得せずにはいられない結果でした。

    いくらキレイに描こうにも、豊臣兄弟の狡猾さは避けては通れない展開のようです。


    豊臣家の女性たちは本当に仲良し?

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    それにしても羽柴家(豊臣)の女性たちのチームワークの良さは素晴らしい。
    実の姉妹や嫁、姑までが、何か事あるごとに見せる”一致団結”ぶりには目をみはるものがあります。
    今回も三法師の晴れ着を協力して仕上げていました。

    これはやはり、元々が農民であり家自体に変なプライドがないためで、他所から来た嫁たちをフランクに受け入れることができたからでしょう。

    あの小栗信長でさえも丸め込んでしまうほどの、幸せオーラを放ってしまうのですから、真の「人たらし」一家です。

    それを確実に引き継いでいるのが秀吉なのですから、人たらしぶりは本物です。

    なかと慶よしが春日大社へ参拝した?

    春日大社の社務記録によると、大政所と秀長正室が一緒に参拝した記録があるようです。
    明確な名指しではないものの、これはおそらくなか(坂井真紀)と慶(吉岡里帆)だと想像できます。

    現在だと大阪から春日大社まで、電車や車で1時間もあれば着きますが、当時だと10時間近くかかったはず。
    高齢のなかを連れていくには往復と現地での所要時間を考えると、最低3日はかかったと想定されます。
    嫁と姑が仲良くないと、なかなかできることではありません。

    多額の玉串料や奉納品を納め、付き添った女房たちも拝殿へと上がり祈祷してもらったようなのです。
    よほど盛大だったのか前代未聞と記されているのです。

    少しネタバレになりますが史実の範囲で言いますと、秀吉は今後、血族を無情なまでに利用します。

    そのうちの一つ、妹の朝日(倉沢杏菜)も現在の夫と無理やり離縁させられ、長年空席だった家康の正室として送り込むのです。

    まさしくこのころ、妹の朝日が家康のもとへ輿入れしており、実の娘や義妹の今後の「幸」を、心から祈願したのかもしれません。
    だとしたら、本物の家族として出来上がっていたのではないかと想像してしまいます。

    清須会議に滝川一益かずますは邪魔だった?

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    信長は生前、長男・信忠の直系が引き継ぐと明言しており、三法師が継ぐ事はすでに決まっていました。
    ただ、三法師はまだ数え年3歳で、家中を取り仕切るのは無理であり、清須会議はその後見人を誰にするかを決めるものでした。

    本来なら次男の信雄(山脇辰哉)か三男の信孝(結木滉星)が妥当なところなのですが、2人は全面的に争うばかりで一歩も先に進まない。
    このままでどちらかが継げば、後に争いとなる事が明らかな状態でした。

    正直なところ、どちらかがもっと抜け目なく立ち回れていたら、事はややこしい方向へはいかなかったと思います。

    滝川一益は無視された?

    清須会議に参加した主な重臣たちは、秀吉(池松壮亮)のほか柴田勝家(山口馬木也)、丹羽長秀(池田鉄洋)、池田恒興(堀井新太)。

    母が信長の乳母であり乳兄弟だったとはいえ、格下の池田恒興がメンバーに入っているのも不自然です。

    これもまた秀吉による作戦だと思われますが、これまで一番と言っていいほどの実績を上げてきた滝川一益(猪塚健太)がいないのは、明らかにおかしい。

    彼は「桶狭間の戦い」以前から織田家に仕え、朝倉家に対しての一連の合戦でも大きく貢献し、勝頼を自刃に追い込み武田家を滅亡させ、主に東国経営などを実現させてきた信長肝いりの重臣でした。

    しかし、当日は北条氏の侵攻に遭い、進むに進めず会議に間に合わなかったのです。

    どうして滝川が戻るまで待てなかったのでしょうか?

    ドラマ中にもあった通り、
    「合議する人間が一人でも減った方が都合がよい」というのは、秀吉だけでなく、他の重臣たちにとってもそうだったのでしょうか?
    特に柴田勝家はそういうタイプではないように思えるのですが、どうでしょうか。

    実績もあり、信長からの信頼も篤かった滝川はいない方が良いと一番強く思ったのは、秀吉だったはずです。

    今後の実権を握るには、滝川は邪魔だと考えたのでしょう。

    結局滝川は、三法師の後見人にもなれなかったばかりか、信長や信忠、明智光秀の所領の分配も受けることができませんでした。

    一番肝心な席に参加できなかったことで、それまで積み上げてきた功績さえも、なかったことのように扱われてしまったのです。

    私の妄想に過ぎませんが、本来なら歴史の表舞台にもっと登場していいはずの人間が、秀吉の意図で引きずり降ろされたのではないかと思えてしまいます。

    「4人で協力」は殺し文句だった

    秀吉が上手いのは、会議の前日に先に意向を確認したいとし、あらかじめ会議前の会議を開いたことでした。
    その席で昔のことを思い出させて情に訴えます。
    その上で今後も4人の良いところを引き出し、補い合いながら協力しようという言葉に、他の3人を胸アツにさせてしまいました。

    皆が気持ちよく翌日の会議に臨んでみたら、秀吉は仮病を使って欠席と偽り、シレっと自分一人が後見人という体で上座に登場しました。
    一同、呆気に取られますが後の祭りです。
    まったく、この手際のよい詐欺っぷりは見事としか言いようがありません。

    秀吉の「4人で協力」というキーワードは、他の宿老の同意を得るには十分な殺し文句でした。

    さて、この三法師。
    清洲会議で織田家の後継者とされたのですが、成長後は織田秀信と名乗り、岐阜城主や中納言となりはしましたが、関ヶ原の戦いで西軍についたため敗北し、領地を失い1605年に26歳で病死してしまいました。 

    織田家の嫡子として生まれながら、幼くして秀吉の権力争いに巻き込まれ、その後も歴史の大きなうねりに翻弄された三法師。
    その生涯を思うと、不憫すぎます。

    お市の「やらねばならぬこと」とは

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    お市は兄の信長を失って以来、めっきりふさぎ込んでいました。
    豊臣兄弟がお気に入りだったお市は、勝家より先に秀吉に面会します。

    そこで、
    「上様の天下統一を成し遂げるため、わしに力をお貸しください!」と言ったことが気に障ったのでしょうか。

    もしかしたらこの言葉の裏に、秀吉の腹黒さを察知したのかもしれません。
    それまで従順な家臣だと思っていた秀吉の本性を目の当たりにしたとしか思えません。

    「やらねばならぬことができた。勝家、私を娶れ。」

    急に態度を180度変えるような言動のシーンがありました。
    このことが、これから「賤ケ岳の戦い」へと進むきっかけとなるようです。
    過去作品ではなかったほど、信長を心から慕うお市の姿も、全てこのための伏線だったとさえ思えます。

    これから秀吉と秀長の狡猾な「天下取り」が始まります。
    そして、狡猾さでは引けを取らない徳川家康(松下洸平)との騙し合いにも注目したいところです。

    今回、露見した秀吉のやり口を見ると、真っ当な正義だけでは生き残れない事が、つくづくわかりました。

    そして、「人たらし」とは、単に人に好かれるという事ではなく、人の心をつかみ、自分の思い通りに動かす才能なのだと気づかされました。




    先日、大阪歴史博物館で開催中の「豊臣兄弟」を鑑賞してきました。
    数々の合戦の屏風絵から兄弟が出世へと昇り詰める様子や彼らの絆の深さを示すものが展示されていました。

    2人が愛した能楽や茶の湯の逸品もあり、華やかな文化を育んだことがわかるものでした。
    これから千利休との関りも描かれることでしょう。
    なんと、キャストは吉岡秀隆さんとのことなので、これもまた楽しみです。

    個人的に驚いたのは、織田信長の口髭のない肖像画があり、その顔は次男の信雄と同じ顔ではないかと思うほどそっくりだったこと。
    外見だけ●●はしっかり父の遺伝子を受け継いでいたのだと妙に納得させられました。

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    豊臣兄弟と記念写真
     
     
    エッセイスト (主に読書、歴史に関して書いています。 1961年生まれ大阪府出身。読書好き。歴史好き。ハンドメイド好き。妄想好き。 著書「レキジョークル奥の枝道」シリーズ7冊目をただいま執筆中。<https://amzn.to/3vgIGz9>

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