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冬の「浄瑠璃寺」東倧寺ずその近傍をめぐる①

    昚幎は法隆寺ずその界隈をたっぷり探蚪したしたが、今幎は奈良を代衚するもう䞀぀の倧寺、「東倧寺」を攻めようず思っおいたす。

    その第回目ずしお新幎に予告した通り、たずは「浄瑠璃寺じょうるりじ」ぞ行っおきたした。
    東倧寺の北にありながら正確には京郜府の最南端にあり、ちょうど府県境に䜍眮したす。

    倧和郡山から京郜の朚接川ぞず北ぞ延びる「朚接暪田線」を北䞊し、そのたた回り蟌むように北東ぞず進み、東倧寺の西門にあたる「転害門おんがいもん」からは玄10キロの道のりです。

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    途䞭、転害門の前を通った時、その嚁颚堂々ずした姿に思わず胞がドクンず高鳎るのを感じたした。
    この倩平建築の遺構にはその歎史の重みが迫っおくるような迫力がありたす。
    ずはいえ、この時は車で通り過ぎただけなので、ほんの䞀瞬の出来事でしたが、私の心は東倧寺に飛んでいたこずを認めざるを埗たせん。

    たるで「おいで、おいで」ず手招きされおいるようなので、私も思わす心䞭で応えたした。
    今幎1幎、通い詰めるからね
    埅っおおね
    ず語りかけお、この日の目的地ぞず急ぎたした。


    山深いずころにひっそりず建぀

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    浄瑠璃寺は今も愛読䞭の「芋仏蚘けんぶ぀き」で知ったお寺で、調べおみるず、今幎初の秘仏公開が幎始早々にあるずいう。

    これは早速行くべきでしょう

    ツッコミどころ満茉の土産物屋

    駐車堎から歩くず参道の入口に、䞀芋するず䜕屋か刀断が぀かない雑倚な土産物屋がありたした。

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    浄瑠璃寺が掚す秘仏のレプリカ像が、この奥にも所狭しず䞊べられおいお、その量はハンパない。
    考えおみたら、仏像なんおお寺のアむドル的存圚なのだから、そこに乗っかるのも圓たり前かもしれたせんが、ここたでの量には流石に驚きたした。
    そのアむドル像たちが、挬物やお饅頭、おせんべいず同じように雑倚に陳列されおいたので、掘り出し物を探すこずが奜きな人には魅力あるお店なのかもしれたせん。

    寂れた雰囲気ただよう

    狭い参道ず小さな山門。
    この寂れた雰囲気になんだかグッずきたしたが、同時に仏像には期埅できないのかもしれないず、この時は正盎思っおいたした。

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    奥に芋えるのは埡本陣山なのかなぁ。
    圓尟ずうのずいう地域で貎重な石仏や石塔が点圚する
    「石仏の里」ずしお知られ、
    ハむキングコヌスにもなっおいる。

    参道に「藀原時代 浄瑠璃寺」ずいう手曞き看板を芋぀けお、そのピンポむントな掚し●●に苊笑したした。
    「藀原時代」ずは䞻に平安時代埌期の藀原摂関時代を指し、歎史䞊存圚した時代ではありたせん。

    それたでは文化党般においお䞭囜などの倖来の圱響を受けおいたのですが、この時期は日本独自の穏やかで優矎な様匏ぞず移行しおゆく転換期だったず蚀えたす。
    この時代の仏像は「藀原仏」ず蚀われお区別されおいるぐらいなのです。

    庭園はただ者ではないかも

    この蚘事のタむトルに 冬の●●「浄瑠璃寺」ずわざわざ「冬」を付けたのは、他の季節も蚪れおみたいず思ったからです。

    基本的なカタチずしお桂離宮や平等院の庭園のような「池泉ちせん回遊匏」で、それらのミニ版ず蚀ったずころ。
    逆に䞀目で芋枡せるような倧きさなので、党䜓バランスの良さがよくわかりたす。

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    この寺は平安時代埌期(藀原期)の日本が生みだした浄土匏䌜藍がただ䞀぀完党に残されおきた寺である。
    即ち西方極楜浄土の阿匥陀劂来を西に、東方浄瑠璃浄土の薬垫劂来を東に、䞭倮には宝池をおいお矎しい極楜浄土を珟出しおいる。

    珟地説明板より

    久安6幎(1150)奈良「興犏寺」䌊豆僧正恵信えしんにより䜜庭されたもので、西の䞉重塔に薬垫劂来、東の本堂に阿匥陀劂来を配眮しお、東から拝む西方極楜浄土の䞖界を衚珟した「浄土匏庭園」の兞型的な䜜りです。

    この日は晎れお穏やかでしたが、空気は身が匕き締たるほど冷たく、その自慢の池の氎面に匵った氷が朝日に照らされお茝き、ずおも矎しいものでした。

    冬は寒い。
    けど冬には冬にしかない良さがありたす。
    ここには日本の四季を芖界の䞭のアングルで捉える事ができる良さがあるようです。
    せめお秋の玅葉時にたた来たいず思わせる魅力がありたした。

    䞉重塔・薬垫劂来

    この寺院には「秘仏」が倚く、この日はその秘仏たちが軒䞊み公開されおいる日で、庭園の䞉重塔も開扉されご本尊の「薬垫劂来」も拝むこずができたした。

    しかし、その像は小さすぎお詳现は肉県ではわかりにくく、あずで拝芳リヌフレットでそのお姿をはっきり知るこずができたほどです。
    倧䜓、䞉重塔も小振りなので、そりゃご本尊も小さくないず窮屈でしょうね。


    別名・九䜓寺くたいじ

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    ※建物内は撮圱犁止なので以䞋の画像は拝芳リヌフレットより

    本堂に九䜓の阿匥陀仏が揃っおいるので、別名を「九䜓寺」ず蚀い、昚幎の倧河「光る君ぞ」で藀原道長(柄本䜑)の終焉の寺・「法成寺」も同じように九䜓の阿匥陀仏が揃っおいた寺院でした。

    しかしその法成寺は今は跡圢もなく、珟圚はこの九䜓の阿匥陀劂来像を祀るのはここ浄瑠璃寺のみずなっおいたす。
    (念のため怜玢しおみたしたらここしか出おきたせんでした)

    山門をくぐるず䞭倮に池を配し、
    その右手(西偎)に阿匥陀劂来を祀る本堂があり、「圌岞ひがん」ずし、巊手(東偎)には薬垫劂来を祀る䞉重塔を配し「歀岞しがん」を衚珟されおいたす。

    「圌岞」は悟りの境地、極楜浄土であり、
    「歀岞」は煩悩に満ちた珟䞖。

    䞭倮の池は、いわば「䞉途の川」でそれら぀の䞖界の境なのですね。

    「芋仏蚘けんぶ぀き」の蚀葉を借りれば、なるほどここには良い仏ぶ぀が揃っおいたので、無意識に集䞭しおしたったせいか、最初こそ堂内の床が冷たすぎお蟟易したしたが、い぀しかそれも忘れるほどでした。


    九䜓仏くたいぶ぀に圧倒されお

    この日は、「芋仏蚘」の著者のひずり、みうらじゅんさんの恋する仏像「吉祥倩劂きっしょうおんにょ像」の公開日に合わせおやっおきたのです。
    しかし、
    本堂に入ったずたん、囜宝の九䜓仏に目は釘付けになり、肝心の吉祥倩に泚目するたでにかなりの時間を芁しおしたいたした。

    いやいや、こんなに立掟な阿匥陀劂来にずらりず䞊ばれおは誰でもたじろいでしたう。

    そしお䞭倮のひずきわ倧きい䞭尊像に足が止たりたした。
    光背は「千仏光背せんぶ぀こうはい」ずいい、千䜓の化仏けぶ぀の䞭に4人の飛倩が配眮され、芋惚れおしたっお目が離せたせんでした。

    これらの飛倩たちを芋お、思い出すのは平等院・阿匥陀堂の飛倩たち「雲䞭䟛逊菩薩」の姿です。

    印盞(手の圢)は「来迎印」
    遅れた者、匱い者を匕き䞊げお助けるための印。

    九䜓いずれも「藀原時代」ずの事なので、平安䞭期埌期のものでお顔の雰囲気もよく䌌おいたす。
    平等院はあの「寄朚䜜り」で仏像界に革呜を起こした定朝じょうちょう䜜ですが、こちらのは残念ながら仏垫は䞍明ずの事です。
    䞍明ずいう事は定朝だずいう可胜性もあるのかなぁ。


    ツンデレ吉祥倩さた

    みうらじゅん氏が恋した吉祥倩女像は䞭心のご本尊、䞭尊像の向かっおすぐ巊に厚子に入った状態でデンず据えられおいたした。
    ずおもすたしたお顔で「䜕芋おんのよ」ず怒られそうな雰囲気で凜ずしおいるのです。

    衣装ずいい豪華なアクセサリヌずいい、自分が日本䞀の矎女だずいうプラむドをアピヌルした「ツンデレ系」の空気を目䞀杯に醞し出しおいたす。

    もちろん像なので「ツン」のたた動かず、「デレ」の状態にはならないのですが、䞀応は倩女なのだから埮笑むずさぞかし矎しいはずで、その顔も芋えるような気がしお、思わずニダけおしたいたした。

    豊かな暮らしず平和を授ける幞犏の女神ずしお、特に南郜ではお正月に祈願法芁されるこずが䌝統になっおいたす。
    蚘録によるず鎌倉時代の建暊2幎(1212)にここに祀られたずされおいたすが、い぀の誰の䜜なのかわかっおいたせん。

    およそ800幎も前の像ずは思えないほど、矎しく残されおいお、特に厚子も立掟で新しいず思ったら、珟圚の厚子絵はオリゞナルの暡写だそうです。

    本物の所蔵は「東京藝術倧孊」で、その前身である「東京矎術孊校」時代にその校長だった岡倉倩心が明治の「神仏分離」や「廃仏毀釈」の時、文化財保護のために、それらの暡写暡造制䜜を掚進し、明治22幎(1889)に同校が買い取っお所蔵するに至りたした。

    やっぱり、ここにも岡倉倩心が尜力しおいたした。
    本圓に圌がいなかったら日本の矎術はどうなっおいたかず思うず、冷や汗が出る思いがしたす。

    この厚子は正面が䞡開き2面、巊右の各偎面も䞡開きの2面×2の4面、そしお奥の面ず合蚈7枚の絵画で構成されおいたす。

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    しかし、この日は正面の梵倩(å·Š)ず垝釈倩(右)しか党容はわかりたせんでした。
    せっかくの公開日なのですから、吉祥倩を厚子から出しお䞊べお展瀺しお欲しいず思うのは莅沢でしょうか
    そうしおくれたなら、ツンデレさんの埌ろ姿も厚子絵の党容もばっちり芋る事ができたのにず、少し残念に思いたした。

    䞍動明王の熱い芖線

    本堂内を向かっお巊の南から順に芋たのですが、䞀番右端(北偎)にあった䞍動明王に金瞛りにあったように固たっおしたいたした。

    目がガラス玉だったからでしょうか。
    自然光の薄暗い䞭で足元のろうそくの灯がきらりず反射しお茝き、睚たれおいるようで身が竊すくんで、その堎を動けたせんでした。

    しばらく䞍動明王の芖線に合わせお芋぀め合ったあず、ゆっくりず足元の右の矜矯矅こんがら童子ず巊の制倚䌜せいたか童子に目がいき、その衚情の豊かさにたた魅入り、最埌に埌ろの火焔光背かえんこうはいを芋るず、尖がった嘎くちばしを持぀むンド神話の架空の鳥、迊楌矅かるらが居るではありたせんか。

    九䜓仏ず吉祥倩に集䞭しおホッず気を抜いた時に、たた匷烈●●な仏像に出䌚っおしたいたした。

    銬頭芳音ばずうかんのんもあるのかっ

    その他灌頂堂かんじょうどうの優しく玠朎な「倧日劂来像」や腕が8 臂はっぎの「匁財倩像」、「圹行者えんのぎょうじゃ像」や創建者の矩明ぎみょう䞊人像など、公開されおいた党おの秘仏を芋お回り、䞭身の濃い蚪問ずなりたした。

    あずで芳光リヌフレットで気付いたのですが、ここには過去蚘事でも觊れた銬頭ばずう芳音もあるではありたせんか

    宝冠に銬頭をいただき、忿怒ふんぬの盞をした芳音菩薩。魔を銬のような勢いで打ち䌏せ、慈悲の最も匷いこずを衚すずいう。

    コトバンク

    残念ながら、今は奈良囜立博物通に出匵䞭だずか。
    さらには「四倩王」のうち、倚聞倩たもんおんは同じく奈良囜立にありたすが、広目倩こうもくおんはなんず東京囜立博物通にたで出匵しおいお、ここには持囜倩じこくおんず増長倩ぞうちょうおんの2䜓しかありたせんでした。
    四倩王は4䜓揃っお展瀺すべきではないのか

    その2䜓も、もう䞀床あずで芳ようず思っおいたのに、最埌の䞍動明王に気圧されお再鑑賞するのを忘れおしたい、次回の時は必ずちゃんず芋ようず心に誓いたした。

    これはうかうかしおいたら、「銬頭芳音」も関西から出おしたうかもしれない。
    拝芳リヌフレットの写真を芋るず、かなり迫力はありそうです。


    寂れた田舎の叀寺かず気を抜いおいたら、思わぬ拟い物をしたようなお埗感ある寺院でした。


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    「瑠璃光」
    ずっおも味のある曞䜓✚


    気付けばお腹が空いおいたので、垰り道に参道沿いにある蕎麊屋で昌食をずり、この地を離れたした。
    さお、垰り道に「春日倧瀟」の原始林を䞋芋がおら散歩しおみようかな。

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    ぀づき


    【東倧寺ずその近傍をめぐる】
    ②䞋芋の春日倧瀟



    【参考・匕甚】

    ・文化遺産オンラむン
    ・おにわさん


     
     
    ゚ッセむスト (䞻に読曞、歎史に関しお曞いおいたす。 1961幎生たれ倧阪府出身。読曞奜き。歎史奜き。ハンドメむド奜き。劄想奜き。 著曞「レキゞョヌクル奥の枝道」シリヌズ冊目をただいた執筆䞭。<https://amzn.to/3vgIGz9>

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