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功徳と悪行、その対価はあまりにも不公平で無情すぎる

    この者は俺ではないか。

    俺は、どこの何に向かって怒ればよいのか。


    新之助(井之脇海)の口から出た言葉は、世の中の弱者の声を代表したものでしょう。
    罪を犯す者にも自分と同じ理由があり苦しいのは同じ。
    妻子を殺された恨みはあれど、自分とまったく同じ立場である貧しい犯人を思うと、やるせない気持ちになり「怒り」の矛先をどこに向けたらいいのかわからない。

    一方、自分の権力を保持するために暗躍してやりたい放題の一橋治済はるさだ(生田斗真)。
    不気味な言動が目立ち、生田さんの怪演ぶりが際立っているためか、腹立だしいことこの上ありません。
    史実的には彼に天罰が下る事はなく、権力を維持したまま天寿を全うすることになります。

    こんな理不尽で不公平な世に”無情”を感じずにはいられず、観ている私たちもこの怒りをどこにぶつけたらいいのでしょう。


    「因果応報」という仏教の教えからきた言葉があります。
    良い行いは良い結果、悪い行いは悪い結果をもたらすと説いているのです。
    見返りを求めずに功徳を積めば、必ず自分に返ってくるはずなのにそうはいかず、あまりにもショッキングな「善」と「悪」を見せつけられました。


    功徳を積んでも報われない

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    蔦重(横浜流星)のおかげで、ふく(小野花梨)たち夫婦は、周りの人々より恵まれた暮らしができていました。
    ふくもそのことを一番わかっていて、自分なりに出来る恩返しに積極的に取り組んでいたのです。

    困った時はお互い様

    蔦重からの支援の品はみんなに分ける事もできないので、隠すしかありません。
    そのおかげでなんとか栄養を摂取できたおふくはお乳も出ていました。
    それを近所の乳の出ない母親たちに代わって、それらの子にも飲ませてあげるのはふくとしては当然の好意だったのです。

    余談ですが、子供を産んだ経験のある人ならわかると思いますが、子供に授乳することは体力を非常に消耗します。
    我が子一人だけでいいところを、立て続けに複数人の子に乳を与える事はかなり身体にはキツイことなのです。

    乳をもらう側の母親もあまりに貧しいので背に腹は変えられない状態なのでしょうが、同じ立場のふくのした善意は、自分の身を削った行為でもありました。

    にもかかわらず、他所の子供に乳を与えてる時のふくの眼差しは、まるで女神のようでした。

    画期的な制度も理解されず

    「貸金会所令かしきんかんしょれい」とは、”田沼意次が幕府の財政再建と旗本・御家人の救済を目的として実施した政策”です。
    簡単にいえば、現代の銀行や国債のような制度で、大名に年利約7%で貸し付け、出資者には利息を付けて返済するというもの。

    実は非常に時代を先取りした政策で、今の私たちからみれば当たり前の制度ですが、この時に思いついたことは本当にすごい。

    しかし、田沼政治(幕府)が信用されていないのもあり、当時の人びとには全く理解されませんでした。

    幕府の財政難はずっと以前の5代将軍綱吉の代からの事で、これが幕末近くなると商人層の豪商からの借金はチャラにされてしまうのです。
    結局、これが庶民への「シワ寄せ」というものでした。

    初代の家康が慎重に考え抜いた幕府制度もとっくに瓦解していて、維持するにはすでに限界に達していました。
    初代の家康も戦のない時代の武士層がここまで「無用の長物」となり、経済の悪化を招くとは思ってもいなかったようです。

    ふくが見てきた浮世

    ふくは心がキレイなだけではなく、正しく現実を見る慧眼の持ち主でした。

    「私らみたいな地べたを這いつくばっている奴に結局はツケが回ってくる。それが私が見てきた浮世というやつなんだよ」

    幕府や大名たちだけの政策であると言ってのけ、蔦重のような商人層の人間とは完全に違う視点で捉えていたのです。
    要するに現時点で財産のあるものだけが潤う仕組みだと、ふくは見抜いていました。

    ずばり本質を突いた言葉に、吉原時代からよく知る蔦重だからこそ、反論ひとつできません。

    食うや食わずの貧乏の庶民層には関係のない話でもありました。

    苦労を重ねた情け深いふくが、同じ立場の人間から子供もろとも命を奪われた現実は、あまりにも切なすぎます。
    功徳を積んでも不幸者はやはり不幸ではないか。


    悪行を重ねても天罰は下らない

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    一方、将軍宗家に自分の嫡男・家斉(長尾翼)を養子に出した一橋治斉はるさだ(生田斗真)。
    利根川の氾濫時に、大雨の中なぜか不敵に笑いながら乱舞する姿が不気味でしたね。

    時が来た

    いよいよ自分の息子を将軍職につけるチャンス到来だと喜んでいる事は明らかです。
    だから今回の現将軍・家治(眞島秀和)の死も、治斉が関与しているということは間違いありません。

    今後その詳細が明かされるのかどうかはわかりませんが、このウラ事情はフィクションであり、実際にどうだったかは不明です。
    しかし、この時期に一気に権力の構造が変わったのも事実で、このあたりは絶妙な脚本ですね。

    あやつは天になりたいのよ

    家治の最期もまた哀れでした。

    「よいか、天は見ておるぞ。」
    死の間際、治斉はるさだに釘を指すような言葉を遺して息を引き取ったシーンを見ると、家治は全てお見通しだという事です。

    嫡男・家基(奥智哉)や松平武元(石坂浩二)の死の真相も全て含めて、実は気付いていたのか。

    側室の知保の方(高梨臨)の手作りと聞き、疑いながらも口にした「醍醐」という高級菓子はやはりいけなかった。
    それを献上するよう勧めたのは大奥御年寄の大崎(映美くらら)で、彼女は紛れもない一橋家出身の次期将軍・家斉の乳母でもあります。
    確実に治斉はるさだ(生田斗真)がウラで糸を引いていることは間違いありません。

    天罰よ、下っておくれ!

    冒頭で触れたように、一橋治斉はるさだに天罰が下る事は史実にはありません。
    それどころか、この治斉はるさだの血が徳川宗家を席巻し、文字通り乗っ取るカタチになるのが口惜しいばかりです。

    それはまた別の話なので、機会があればまた書きます。

    しかし、森下さんの脚本の流れでいうと、これは後々の展開の大きなネタブリだと思いたい。
    きっと史実のウラを上手く捉えて、「天罰」的なネタを用意していると願って止まないのです。

    それが後日訪れる松平定信(井上祐貴)との対立の時でしょうか?

    今後も続く治斉はるさだの暴虐ぶりに、視聴者の一人である私はどこかで「天罰」を切望しているのですが…。


    絵師にしか見えないもの

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    いよいよ喜多川歌麿(染谷将太)が絵師として本格的に始動したようです。
    ここまで長かった!
    そろそろ歌麿さんに有名になっていただかないと、後に続く写楽や北斎も語れませんから。

    そもそも「べらぼう」は蔦屋重三郎という版元が主役なので、こちらの話がメインで、幕府や市井の話の方こそがウラ話のようなものです。

    人まね歌麿

    蔦重に絵師の北尾重政(橋本淳)が、歌麿が「人まね歌麿」と噂されていると言った時、私はてっきり怒るのではないかと思ったのですが、意外にも「時が来たか」とニンマリしながら言ったのには驚きました。

    「人まね歌麿」とは、どう聞いてもマイナスイメージの言葉だと捉えられるものですが、蔦重はプラスと取ったのです。
    どこまでもポジティブに捉えるのは蔦重が個人的にズレているのか、それとも絵師と版元との感覚に大きなズレがあるのでしょうか。

    蔦重はどんなマイナスな噂でも、人の口の端に乗るようになったのなら結構なことだとあくまでも前向きでした。

    そして蔦重が歌麿に勧めたのが「春画」でした。
    現代のエロ本みないなものかもしれませんが、当時は子孫繁栄のための性教育本としての意味があり、婚礼道具のひとつになっていたほどでした。

    いわゆる「枕絵」とも言われ、8代吉宗の時代の「出版統制令」で取り締まられて以来、表立って店先に並べられることは無くなりましたが、かえってその水面下で独自に進化してきました。

    どこまでも鈍感な蔦重

    「どんな女と何処で何をしたい?」などど、興味を煽るように、その春画を描くよう勧めるのですが、歌麿は戸惑うばかり。

    だって歌麿は蔦重が好きなのですから。
    なのに蔦重はまるっきり気付いていない。
    女心もからっきしなら、男心もまるでわかっていない。

    それでも蔦重の期待に応えようと挑戦してみるのですが、まるで筆が進みません。
    それどころか、かえって毒母(向里祐香)を思い出し、精神的にやられてしまい苦しむばかりでした。

    その目に見えるものだけを写せばいい

    蔦重に恩返ししたいと思いながらも、どうしても描く事ができなかった歌麿は、子供時代の恩師、鳥山石燕せきえん(片岡鶴太郎)と再会します。

    「その目にしか見えぬものがあろう。絵師はそれを写すだけでいい。」
    その一言で、子供の頃は描くこと楽しんでいたことを思い出し、心が洗われたように目が覚めます。

    そしてその場で石燕に弟子入りし、思いのままに描いている歌麿を見て、正直ホッとしました。

    それにしても、蔦重の寿命は短いので、この後の史実的な展開を思うと、怒涛の勢いとなるのは目に見えています。
    やっと商売が軌道に乗ってきた耕書堂ですが、すぐそこに試練が迫っている上、蔦重による新たな絵師の発掘はまだこれから。
    ますます楽しみにしつつ、これからのストーリーを見守りたいものです。


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    エッセイスト (主に読書、歴史に関して書いています。 1961年生まれ大阪府出身。読書好き。歴史好き。ハンドメイド好き。妄想好き。 著書「レキジョークル奥の枝道」シリーズ7冊目をただいま執筆中。<https://amzn.to/3vgIGz9>

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