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ユングのいう「アニムス憑依」と、いわゆる「フェミニスト」にありがちな、頑なな態度との関係について

    この記事で概念だけさらりと使ってしまった「アニムス憑依」について、詳しく解説します。

    この概念、日本では検索ヒットしにくいので、よほど理解している人少ないのだろう。

    ホントみんな、ユング自身の本を「自力で」読んでないね💦


    ユングの言う「アニムス憑依(animus possession)」は、かなり面白い概念です。

    単に「女性の中の男性性」という意味ではなく、女性の自我が、無意識の中のアニムス(男性像・男性的精神機能)に乗っ取られたようになり、自分自身の考えだと思って、実はアニムスの声を語ってしまう状態を指します。

    ユングの『自我と無意識の関係』や『アイオーン』で展開される概念です。

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    『アイオーン』では、アニマ/アニムスは投影を生み出す強力な無意識的因子として扱われています。


    1.まず「アニムス」とは何か


    ユングの古典的なモデルでは、
    男性の無意識 → アニマ
    女性の無意識 → アニムス
    と対応させます。

    ただし、これは現在のジェンダー心理学から見るとかなり時代的制約のあるモデルです。

    ユング自身の理論体系の中では、
    アニマ/アニムスは「反対の性」の単純な人格ではなく、

    自我の<意識的>態度とは<対照的>な、<無意識>の<人格化>された構造

    として考えたほうが理解しやすいでしょう。

    特に重要なのは、
    アニムスがしばしば「意見」「判断」「確信」「言葉」として現れることです。


    2.「アニムス憑依」とは何なのか


    ここが核心です。

    例えば、フェミニストを「自称」するある女性が、

    「男というものは本質的にこういうものだ」
    「女はこう生きなければならない」
    「これは絶対に正しい。論理的に考えれば明らかだ」

    などと、非常に断定的な言い方をする。

    このときユングなら、

    「それは本当に彼女自身の判断なのか?」

    と問うわけです。

    もちろん、単に意見が強いだけならアニムス憑依ではありません。

    問題は、
    本人が「私が考えている」と思っているものが、
    実は「自律的な」無意識の人格=アニムスによって語られている
    という状態
    です。

    つまり、
    自我 → アニムス
    ではなく、
    アニムス → 自我
    になってしまう。

    だから「憑依」という強烈な表現になるわけです。


    3.ユングにとってアニムスは「意見を言う男たち」


    ユングの記述で非常に特徴的なのは、アニムスがしばしば複数の男性像として現れることです。

    アニマ
    が感情・情動・イメージの方向に現れやすいのに対して、
    アニムス
    は、
    意見・判断・原理・規則・論理・信念
    という形を取りやすい。

    したがって、
    アニムスに憑依された状態では、

    「私はこう感じる」

    というより、

    「世の中とはこういうものだ」
    「人間とはこういうものだ」
    「当然こうすべきだ」

    という一般論・断定・理念が大量に出てくる。

    そして、それが非常に「もっともらしい」。

    ここが厄介
    です。

    ユングがアニマ/アニムスをシャドウよりも認識しにくいもの
    と考えた理由の一つもここにあります。

    アニムス/アニマの投影は、自分の内側から出ているものだと認識しにくい、とされています。


    4.「アニムス憑依」の典型的な構造


    図式化すると、かなり分かりやすくなります。

    現実の出来事
    ↓
    自分の感情・身体感覚
    ↓
    そこに本来なら、

    「私は今、何を感じているんだろう?」

    という内的な探索が起こる。

    ところがアニムスが前面に出ると、
    ↓
    「これは○○だからである」

    という即座の解釈・判断が入る。
    ↓
    さらに、
    「したがって○○すべきだ」
    となる。

    つまり、

    体験 → 感じる → 考える

    ではなく、

    体験 → アニムス的な判断 → 「絶対的な確信」
    になってしまう。


    5.だから「論理的なのに、なぜか頑固」という現象が起こる

    アニムス憑依は、必ずしも非論理的ではありません。

    むしろ、

    論理そのものは非常に整っている
    ことがある。

    しかし問題は、

    「そもそも、その<前提>をどこから持ってきたのか?」

    というところにある。 

    例えば、

    AだからBである。
    BだからCである。
    よってCである。

    という推論が完璧だったとしても、
    Aという大前提そのものが無意識的なアニムスから来ている

    可能性がある。

    だから本人にとっては、

    「私は感情ではなく、論理で考えている」

    という強い確信になる。

    ユング的には、むしろそこが危険
    なのです。


    6.そして「投影」が起こる


    さらに重要なのが投影(projection)です。

    アニムス
    を自分の内側のものとして認識できないと、それが外部の男性や社会に投影される。

    例えば、

    「あの男性は私を支配しようとしている」

    という経験があったとします。

    もちろん、本当に相手が支配的なのかもしれません。

    しかしユング的に問題になるのは、

    現実の相手の性質+自分の無意識的アニムス

    が混ざっている可能性です。

    その場合、相手は単なる「一人の男性」ではなく、

    「男性一般」
    「父親」
    「権威」
    「知性」
    「法律」
    「社会秩序」

    などを象徴する巨大な存在になってしまう。

    『アイオーン』
    でも、アニマ/アニムスの投影は非常に強力で、本人がそれを自分の精神の産物として認識しにくいものとして論じられています。


    7.「アニムスを消す」のが目標ではない


    ここはユング心理学では重要です。

    アニムス=悪者

    ではありません。

    アニムスには、本来、

    思考する力
    判断する力
    自分の意見を持つ力
    意味を求める力
    精神的な方向性
    自律性

    などの重要な機能があります。

    問題は、

    アニムスが自我を支配する
    こと。

    逆に言えば、
    「これは私の意見なのか?
    それとも私の中の『意見を言う男』が言っているのか?」
    と区別できるようになること
    が重要になります。

    これはユングのいう個性化(individuation)ともつながっています。

    アニムス/アニマの内容を意識化していくことは、無意識と自我との関係を再編成していく過程の一部です。


    8.そして、ここで私が関心を育んで来たフォーカシングとも接続できます


    これはかなり興味深いところです。

    アニムス憑依
    状態では、

    「私はこう思う」

    が非常に強い。

    しかし、

    その「思う」の下にある、

    「身体では実際にはどう感じているのか」

    が切断されている可能性
    があります。

    フォーカシング的に言えば、

    概念化された自己理解が、身体的なfelt senseを覆ってしまっている

    とも考えられる。

    例えば、

    「私は彼を許せない。
      なぜなら彼の行為は倫理的に間違っているからだ」

    と延々と論証している。

    そこで、

    「それはそれとして、
    そのことを今あなたの身体全体ではどんな感じとして感じている?」

    と戻してみる。

    すると、

    「……実は、怒りというより、怖い感じがある」
    「胸の奥が縮む感じがする」
    「本当は認めてもらいたかったのかもしれない」

    というものが出てくる。
    この瞬間、

    アニムスの「論理的な声」から、
    その人自身の身体的な経験へ戻ってくる

    ということが起こり得る。

    もちろん、これはユングとジェンドリンが直接同じことを言っているという意味ではありません。

    しかし、
    「無意識的な概念・判断に自我が〈同一化〉している状態」

    と

    「身体に直接尋ねる」

    というフォーカシングの実践を対照させると、非常に面白い比較ができます。

    ここで私が、以前述べた、

    「フェルトセンス=溶けた蝋溜まり」

    という比喩をここに置くと、かなり鮮明になると思います。

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    アニムス憑依 → 蝋溜まりからまだ十分に立ち上がっていないもの

    を、

    既成の
    「言葉・論理・判断」
    が先回りして固めてしまう。

    フォーカシング → その既成概念をいったん〈脇に置き〉、まだ言葉になっていない身体的な全体感に戻る。

    という対比です。

    そしてユング自身も、

    アニムス/アニマを「単に取り除く」のではなく、
    その自律性を認識し、
    自我との関係を変えていく
    ことを重視しています。


    9.終わりに

    なお、これはユングの歴史的理論を説明したものです。

    現代の臨床心理学で「アニムス憑依」が診断概念として使われているわけではありません。

    特に「女性=感情、男性=論理」というユングの時代のジェンダー図式は、そのまま現代心理学へ持ち込むべきものではありません。

    むしろ現代的に読み替えるなら、

    「自分の中の自律的な無意識的判断体系と自我が〈同一化〉し、それを『自分自身の考え』として絶対化する現象」

    として読むと、かなり普遍性のある概念になります。

    つまり、

    「アニムス憑依」的な<男性>だって、
    いくらでもいる


    わけですね(笑)

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