
「キレイになりたい」は正義か?
女性とはいくつになっても綺麗でいたいものなのか。
それとも、綺麗でいなければならないと思い込まされているだけなのか。
そもそも、女性(男性も)は皆キレイになりたいと願っているのか?
まだ10代のお年頃の頃、見た目ばかり気にする私たちに
「外見なんか,ただの見せかけよ。そんなものを磨かず中身を磨いたら?私?私は自分の外見には全く興味ないし,着飾ったり,化粧する事は無駄だと思っているわ」と言い放った友人がいた。
あまりの潔さとキラーワードの強さに
一瞬,その場にいた女子達は、
やや俯き加減で返す言葉を失ったという事があった。
思い返せば、確かに当時は見た目ばかりに気を取られ、ブランドバッグを抱えて,
年齢に似合わぬハイヒールを履いて、
よたよたと歩く姿は確かに滑稽に見えなくはなかったかもだし、無理を承知で、
背伸びをしながら競い合ってるようなところがあったかもしれない。
世はバブル時代 真っ最中、
私たちは、女子大生ブームのど真ん中にいた。
ここで着飾ってチヤホヤされなきゃ、
次のモテ期など来る保障はないのだ。
その友人にそう言われても、こちらはその潔さは持ち合わせているはずもなく、やはり鏡を覗けば、自分の外見がなんやかやと気になる人生を送ってきた。
それでも当時から40年以上も経つと、ひとり、またひとりとあちら側のスタンスに回り込む友達もチラホラ見受けられるようになってきた。
いまさら「自然体」なとど言い出すのだから、反撃も出来ない。
女性が外見に気を使い、綺麗でいたいと願う気持ちにも消費期限があるのかもしれない。頑張っても寄る年波と闘うのが面倒になって
「もうやーめたっ!」とある日突然に鏡の中の自分に宣言するのかもしれない。
私だって気を抜くとすぐにでも、そちら側に行きそうな気分にもなり得る。
ところで最近、もうすぐ20代も最後の頃になってきた娘が急に綺麗になった。
親からすれば,もともと可愛くて、写真が送られて来たら,ちょっと人に自慢気に見せたりしたくなる程には、親バカな目で見ていたが、ここに来て少し様子が違う。
「きっと、恋をしているんだろうな。」
そう勘繰ってはいても、もうすっかり大人になった娘に直接,尋ねるのも躊躇われるので、実際のところはまだわからないが、
恋をすると女性は綺麗になるというのは、どうも本当らしい。
「誰かのために綺麗になりたい。」
こんな気持ちが、かつての私にも確かにあった。それはちゃんと覚えがある。
年頃になって、どんどん綺麗になっていく娘たちを見ていると眩しくて羨ましい。
それでも当人たちは、満足することはなく
鼻がどうの、目元がああだ、と私からしたら贅沢にも大層に悩んでいるようだ。
まあまあ美人に産んであげた方だと思うけどなぁ?
女は満足などしない生き物なのだな。きっと。
ところで、今年も私は旅行を多くした。
ハワイやギリシャの島のリゾート地の滞在もあって、紫外線をたっぷり浴びた顔は見事にくすみやシミや乾燥に見舞われているところだ。
これは老化の加速の原因になる。
クリニックに美肌レーザーの予約を
入れなくちゃ、、、。
パチパチと顔の上で弾ける様な軽い刺激を浴びながら、ふと思う。
60代も半ば近くになって,私は何故、
時間やお金を掛けてまで綺麗でいたいと思うのか。
シミやシワはあって当たり前の歳でないか。
夫もなく、今のところパートナーが欲しいという気持ちもない。
娘のようにまた恋をしたいとも思わない。
それでも私には鏡を見た時に、気になるところは数え切れない。
なんなら年々増えてくる。若いままでいたい、という気持ちに、
ダイエットという種目まで加わってくる始末だ。
誰かのためでなく、自分のためだけに
「若さ」やまだ残っているのかもわからない「美貌のかけら」に執着している。
「キレイになりたい。」
先出の友人なら、今でもこんな私を見て
浅ましいと言うかもしれない。
いい歳をしてみっともない、と言うのかな?
それでも私は今さら、
「女も外見じゃない。中身で勝負します。」
の側には回れないだろう。
ワインのように樽の中で静かに寝ていたわけではないが、
あの頃から40数年。多少は中身も熟成されたに違いない。
ならば、残っているかどうかも怪しい「美貌のかけら」で、
もうしばらく悪あがきを続けようか。