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自分の創作物は良く見えてしまうという病

    久しぶりにこれだという言葉を見つけた気がします。

    自分の手塩にかけたモノはとかく良く見えてしまうものです。自分が関わった。それだけで客観性なんて吹き飛んでしまいます。

    自分の子供は目に入れても痛くない程かわいいものですし、自分が関わったプロジェクトはどんなものよりも完璧だと思ってしまうわけです。

    まあ現実は違うとは少しは分かってはいつつも、それでも少し差し引いてこのくらいだろうと高い評価の想定してしまうものです。

    自分のモノはえこひいきしてしまう

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    それがnoteやTwitterで発信すると、ここまで自分はイケていないかと落胆するわけです。凄く良いと思って出した発信ほど、全く刺さらない。

    一方で「ナゼコレガ?」と思う程に意外な高評価を受ける発信があったりなどもして、世の中良く分からないと思ってしまうものではないでしょうか。

    最近この事象を的確に表現した言葉に出会えまして、なんて言い得て妙な言葉なんだろうと思った次第です。 

    子どもの質問で、「唾は口にあるときには汚くないのに、口の外に出るとどうして汚いの」っていうのがあったんですよ。これは、自分の身体をえこひいきしているわけですよね。だから一旦外にでると、えこひいきの分だけマイナスがつくんです。

    『バカの壁』で有名な、養老孟司さんの言葉でして、いやぁなるほどなぁと唸ってしまいました。

    自分のモノだと思うと、それだけで自然とえこひいきしてしまうということなのですよね。分かります。

    そして、その考えで言えば、創作物がまだ自分に帰属していると思っているので、えこひいきの感覚になってしまうのだと理解出来ました。

    記事が非常に示唆に富んでおりますので、noteの最後にリンクを貼っております。お時間宜しければ是非ご覧ください。このnoteを読んだ後でね!笑

    自分の外に出して、雨風に当てる

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    ということで、創作物を客観的に見るためには、自分と徹底して切り離さないといけない、ということなのです。

    自分との関わりが残っている限り、客観的に見ることはできません。そのために、出来ることは大きく二つ。他の人の目に当てることと、時間を置くことです。

    他の人の目に当てることは、雨風にさらすことと同じです。自分という家の中で大切に育てていたモノを、外の世界に出していくということです。 

    そうすることで、耳目の洗礼を浴びて、本質が晒されることになります。望まずとも。良くも悪くも。

    もう一つは時間です。創った直後は冷静にモノを見ることなどできないものです。頭がカッカッと熱い状態ですからね。

    そのため時間を置くのです。そうすることで、どんどん頭が冷めていき、昔の自分を他人として見ることができるようになります。

    自分が創ったものが稚拙で恥ずかしく感じるようになったら、それは成長であり、昔の自分を客観視できるようになったということなのです。

    そんな、雨風時間に晒された創作物は、やはり本質的な価値だけが残っていくものです。古典が名作なのは、それに耐えたからです。

    欲とプライドは創作の源泉

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    一方、創る段階から客観的に・批判的に見られれば良いかというと、そんなことはないとも思っています。創作をするためには、 欲とプライドが必要なのです。

    欲は、創作の源泉です。良いものを創りたい。それを通じて社会に訴えたい。その結果として富と名声を得たい。全てが創作意欲の源泉となります。

    貪欲でないと、創作なんてする気すら起こらないのです。逆に言えば、創作をしたいと思ったならば、何かしら欲があるということでもあります。

    そんな根源的な欲求を、しっかりと見つめることが、創作活動の礎になるのではないでしょうか。

    また、プライドも必須の条件だと思います。自分が創ったモノが一番良いと思わずに、まともなモノを創られるでしょうか。

    私もよくプライドが高いと言われていまして、そんなことないのになぁと思いつつも、まぁ確かにそんなこともあるとも思っています。どっちだ。

    ただ、自分が携わることに関しては、最低限の品質を担保したいという、それだけなのです。

    この自分が満足する線引きを決めるのがプライドでして、これがあまりに低いと創作物の品質も低くなってしまうのものだと感じます。

    ということで良くないモノの代名詞な欲とプライドですが、それが無いと創作なんてとてもできないだろうなぁと思うのです。

    評価は自分が下すものではない

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    と、意欲とプライドを褒めた後にもう一度落とすのですが、結局自分の創作物が良いかどうかを決めるのは、それを受け取った受け手の判断です。

    創った人がどんなに良いと主張しても、受け手がその良さを感じなかったらそれでおしまい。受け手の印象が評価の全てなのです。それが現実。

    なので、やはり創作は自分一人では完結しないのです。評価を恐れずに、耳目にさらし続けることでしか、創作物の品質を高めることはできません。

    結局、自分がどんなに愛していても、付き合ってもらえるかどうかは、相手次第なのです。あれ、最後の最後で創作からズレてしまいました。

    ですが、これまた適確に言い表した言葉がありまして。そちらで締めようと思います。

    ドラマで、仮に付き合い始めた主人公の女の子とその彼氏の仲に、中村倫也さんの役が割り込んでいき、仮彼氏から非難された後に返した一言。

    「決めるのは、彼女だ」
    この恋あたためますか

    イケメン。

    ではでは。


    <養老孟司さんの記事>

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    <関連する本かも>

    タイトルは刺激的ですが、中身は超一流の認識学の本です。昔読んだ時は、ああ、世界がこんな風に見えている人もいるのかと感心したものでした。人間は、結局分かることしか分からない、という主張が全編に渡るテーマでしす。そして、人間の認識はそういうものなのだと思います。

    <このnoteを書いたしょこらはこんな人です>

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    アイディアが浮かばなくなったら、何でも良いので紙に書く。これはガチですね。何故こんなに効くのだろうと思っていたのですが「自分のものは、ひいきして見てしまう」という言葉で納得。判断のためには、とにかく自分の外に吐き出して、ひいきをやめること。これがリバースエンジニアリングか…(違う

    — しょこら (@130KoFF) May 12, 2021


     
     
    元(コンサル/会計士/外資事業部長)。毎日を少しハッピーにするお仕事術と発信術を書いてます。800+スキの記事経験アリ。歩くような速さで一歩ずつ。モノゴトが良くなる過程が好きで、コーヒーはもっと好きです。

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