
【その剣、とこしえに國を護る礎となれ~宮簀媛~】⑩全12話
神話に刻まれなかった、ある妃の『拒絶』と『覚醒』の物語。本作は全12話の連載小説です。(毎日20時更新)
第10話 冬隣(ふゆどなり)に灯る
「さて。待たせたな」
宮簀媛は二人に向き直り、近づいた。
タエの父親は、見るからに浮足立っている。
ーー浅ましい。オオタカから伝え聞いていた通りのようじゃ。損得で動くつまらぬ男か。
「して、いかがでございましょうか」
宮簀媛はさらに鼻白んだ。
とたんに、持ち前の気の強さがこみ上げた。 いら、としたのだ。
宮簀媛は少しもったいつけたように、厳かな風を装った。
「そうよのう」
見ると、タエの手が小刻みに震えている。
それを認めると、宮簀媛はいくぶん心を直した。
「良いご縁のようじゃ。案ずるな」
宮簀媛はタエに向けて、努めて穏やかな声を出した。
「おお、それは、真でございましょうか!」
返したのは、父親だ。
宮簀媛は、きっと言い放った。
「真(まこと)と言って返すか! 控えよ。そなた、神を侮辱するつもりではあるまいな」
タエの父親は慌てて平伏した。
「め、滅相もございませぬ! 姉子様、ありがたきお言葉にございます!」
ーーまあ、この男にしてはこれが精一杯の言葉なのであろう。
「良い子にも恵まれよう。ただし」
宮簀媛の言葉に一喜一憂し、分かりやすいほど有頂天になったりするタエの父は、もはや滑稽だった。
ーーここか。
宮簀媛は二人を見下ろしたまま、言葉を続けた。
「よいか。これはただのご縁ではない。神がお認めくださった、尊きご縁である。よもやこのままオオタカの元に向かうとは思わぬが、念のため申し添える。
これより向こうひと月、しっかりとその身を清めよ。
身だけではない。
言の葉も行いも、すみずみまで気を配るのじゃ。
娘の縁は娘のもの。決してそなたの手柄などではない。縁談を通じて神の威を借りようなどとは、露ほども思わぬことじゃな」
タエの父親は、赤くなったり青くなったりしていた。
タエは恥ずかしそうに、その隣で頭を垂れている。
ふん、と鼻を微かにならすと、宮簀媛は二人の視界から外れていった。
「おい。縁談とはなんだ」
夕方になると、戸外から聞きなれた声が飛び込んできた。
「オオタカか」
ーー来たな。
宮簀媛はそのままの居住まいで声だけを向けた。
「何のことじゃ」
「俺の縁談の事だ。勝手に承諾したのか」
「耳が早いの。まさか、あの父親がすでにオオタカの元に行ったのではあるまいな」
「いや……すぐ、近くにおったものでな」
「聞いていたのだな。珍しい。今の刻までその場で動けなかったと申すか」
「茶化すな!」
オオタカは声を上げた。
が、なぜか次の言葉がでない。
オオタカも、タエを嫌っているわけではない。
勝手に縁談を進められている訳ではないことも、良く分かっている。
しかしどうしても、得も言われぬ怒りがある。
ーーその話の中に、俺はいるのか?
言いかけたが、言えなかった。
歯に衣着せぬはずのオオタカが、だ。
宮簀媛は、たしなめるように言った。
「……オオタカ。勘違いするでない。神がそうだと言うのじゃ。
若子が伝えてくる話を、好みで都合よく変えるような卑怯なことを、我(われ)がするとでも思うてか」
オオタカに、もはや次に続く言葉が見当たらなかった。
「神が良きご縁じゃと語られたから、我も、良きご縁と答えたまで。 焦るでない。そなたに話がゆくまでは、軽くひと月はかかるしの。 のう、オオタカ。そなたの気持ちが、分からぬ我と思うのか?」
オオタカは宮簀媛に顔を向けた。
ーーいや。
宮簀媛は、日本武尊の縁談の使者を撥ねつけていた。
何度も、何度でも。
「同じであろう、あの頃の我と。人が決めた縁など、何の意味があろうかと我も思っておったぞ」
確かにその通りだった。
「オオタカと剣の縁も、正(まさ)しくそうであったと思うがの。だが」
宮簀媛は、オオタカに向き合った。
「神はな、おわしますぞ」
辺りの草木を枯らし始めた風が、物寂しく吹き始めていた。
日暮れの早い季節である。
この頃には誰もが、厚手の衣を纏っている。
宮簀媛にとって時の移り変わりを容赦なく感じる、もう戻りたくない切ない季節であった。
宮簀媛の視線はオオタカを遥かに超え、遠くを見ている。
オオタカは言葉を飲み込むと向けようのない怒りを堪えたまま、踵を返した。
数日後。
タエが一人、社を訪ねてきた。
「今度はなんじゃ……。まだひと月も経ってはおらぬ」
「さて。なんでございましょうなあ」
気が進まない様子の宮簀媛であったが、白菊はいつも通りに身支度を整えている。
「気は紛れるが、こうして当てにされるのも、ちと疲れるな」
「そのお気持ちだけ察しておきまするが。聞いてみなければ分からぬこともございましょう」
「それもそうか」
おなごの語らいとやらをしてからというもの、白菊とより近くなった気がする。
ふ、と笑うと、宮簀媛はタエの待つところに向かった。
タエは、慎み深く平伏していた。
「此度はいかがされた」
タエは、伺うように肩を少し動かして答えた。
ーーほう。この娘は父親のように我先にと口を開かぬようじゃな。
宮簀媛が再び問うた後、タエはようやく静かに答えた。
「はい、先日の縁談についてでございます」
「して、いかがされた」
「……一度、なかったことにしていただきたく思いまして、こうして伺った次第にございます」
「オオタカが断ったというか?」
「いえ、あの。そうではなく……」
タエはよほどの事を言おうとしているのだろう。
御簾の向こうから、優しい音が聞こえてきた。
ーー若子。聞いてやれと言うか。
面倒だとざわめいた心が、次第に落ち着いてきた。
宮簀媛は、タエに悟られないように静かに息を整えた。
「良い、申してみよ。ここには白菊しかおらぬでな。さては、おなごの話しか」
「いえ! あの! え、と……はい」
「タエ。一体どっちと言うのじゃ」
宮簀媛は思わず噴き出した。
なんとも可愛らしいこと。
宮簀媛の心がふと、軽くなった。
にこ、と笑うと、宮簀媛はタエのそばに近寄った。
「さあて。タエ、安心せい。誰にも言わぬ。それともなにか、もしや、我は信用ならなかったか」
タエはようやく頭を上げた。
「とんでもございません!
姉子様。こうした時の礼儀など存じませぬため、無礼がありましたらどうぞお教えくださいませ。
父はあれから身を清め、私の縁談を進めるために毎日懸命でございます。
あの……身内のことを申し上げるのは顔から火が出る思いがいたしますが、娘の私から見ましても、父は、尊敬とは少し違うところにおりました。
その父が!」
タエは一度、息をついた。
「懸命なのです、姉子様!」
ーーなに。
宮簀媛はまるで珍しいものを見るように、タエを見た。
「喜ばしいこととは思います。あの父が、これほど変わろうとしてくれているなんて、本当に喜ばしいことと思うのです。
……でも、それが、タエにはとても、重いのです」
「どういうことじゃ」
ーー変わろうとしておると。あの父親が。
「はい。思い切って申し上げます。タエは、かねてよりオオタカ様をお慕いしておりました」
「おお、なんとそうであったか。ではなぜ、この度の話をなかったことにしたいと申す」
「……先日のお告げを伺い、タエは心から嬉しく思いました。それはもう、飛び上がるほどでございました」
「ふむ。なれば、いよいよ分からぬ。どれ、我に分かるよう今少し話してみよ」
タエはようやく、心の支度が出来たようだった。
「はい。オオタカ様は、いつも間違ってなどおりませんでした。無骨者で、馬鹿にされていた事ももちろん知っています。でもタエは、かねてよりオオタカ様は真っすぐで嘘がない方だと思っておりました」
宮簀媛の顔が綻んだ。
「その通りじゃよ、タエ。そなた、分かってくれるか」
「はい。ですがこの度、オオタカ様がお館様のお目に留まりましてから、港の女子たちがにわかに……」
ーーなるほど。
ある日を境に、黒が白になったというわけか。
「父が突然お社を訪ねたのは、その女子たちに先立って、わが家がオオタカ様と縁を結ばねばならぬと息巻いたからにございます。お恥ずかしゅうございます」
タエは声を震わせた。
「姉子様は、父に身を清めろと仰せになってくださりました。
父は変わりました。 あの、あれほど好んでいたお酒も神棚にすべてお上げして、一滴も口にいたしません。
そればかりか、夜明けから井戸の冷たい水を被って身を清め、慣れない掃除まで手を出すほどです。
あんなに節くれだった手で、不器用に屋敷を磨くのです」
「なんと……」
「はい。私のために懸命な父を見て、タエは苦しくて……。
先日、父が姉子様の元に伺ったのも、タエが、迂闊なことを申したからです! 姉子様には、先を見ることが出来る不思議なお力がおありだと」
ーー合点がいった。
なるほど。若子が聞いてやれと言うわけじゃ。
「本当に申し訳ございません。 タエだけ、このまま何もせずにいて良いはずがございませぬ。何より、オオタカ様のお気持ちも置き去りにして、タエだけが安堵しては……」
ーータエ。よくそのような気持ちを持ってくれたものよ。
同時に、タエの父親の優しさを労った。
欲にまみれた滑稽な男だと切り捨てていたが、その不器用なまでの必死さは、紛れもなく娘を思う親の「真(まこと)」である。
宮簀媛は目を閉じた。
この親子の姿を、もう一度探った。
背中の方角にある御簾の向こうで、若子が再び優しげな光を放ったように思えた。宮簀媛の胸に、温かな気持ちがこみ上げた。
ーーなんとも温(ぬく)い親子の心よ。
二人の思い、神にきっと届けよう。
「のうタエ。早い話、抜け駆けはいやだと申すのだな」
「はい! あ、いいえ!」
「だからの、どちらなのだと聞いておるのに」
こらえきれず、宮簀媛は笑った。
久方ぶりにこんなに笑った。
宮簀媛が悩み続けた問いに答えるものが、ここにいるではないか。
ーー愉快じゃ。ほんに、ほんに愉快じゃ。
「姉子様? 姉子様。後生でございます。それ以上お笑いにならないで下さいまし」
「いやはや、タエよ」
くっくっと、まだ笑い足りないのを我慢して宮簀媛は向き直った。
タエは、耳まで真っ赤になっている。
タエ、と宮簀媛は優しく語りかけた。
「いずれ、オオタカも気が付くであろう。 神がひと月待てというのは、もしかすると、そなたの父の事だけではなかったのかもしれぬな。
その懸命な姿を見て、タエもこうして、底にある心に気が付いた。
次は、オオタカの番じゃ。いよいよ己の心と向き合うことになろう」
「姉子様……」
「こればかりは、人などが抗えるものではない。時じゃ。時を待つがよいぞ」
宮簀媛にとって、待つことは戦いだった。
けれど、この娘の道は違う。
宮簀媛はもう一度、添えるようにタエに伝えた。
「安堵して、な」
「はい。あの、一つだけ伺ってもよろしいでしょうか」
「いかがした?」
「先ほど、得も言われぬ心地よさを感じましてございます。これが……神様の、え、と……」
タエは少し考えて、やがて続けた。
「これが、神様のお傍にいるという心持ちなのでございましょうか」
宮簀媛は答えず、ただ目を細めた。
心の曇りが溶けてゆくのを感じた。
目の前で赤くなっているこの娘の、あまりに素直で真っすぐな温もりが、宮簀媛の心に小さな灯りをともした。
冬に向かう厳しい季節の中で、この小さな社には春の陽だまりのような温さがにじんでいた。
タエは何度も頭を下げている。
ぽつり、またぽつり。
温い心が灯って、揺れた。
それはまるで、蛍のように。
宮簀媛は愛おしそうに、この灯りに手を伸ばした。
ーー人も、なかなかに良きものじゃ。
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