
障害受容ができていると思っていた。それでも、我が子のこととなると難しかった
次男には発達特性があり、療育に通っている。
これまで発達検査を受けたり、日々の様子を見たりしながら、次男にはどんな環境が合っているのか、どんな支援が必要なのかを考えてきた。
来年はいよいよ小学校入学。
次男は変化が苦手なところがあるため、私は支援級で学ぶことを希望していた。
慣れない環境、新しい人間関係、初めての勉強。
たくさんの変化がある小学校生活だからこそ、少しでも安心できる環境で過ごしてほしいと思ったからだ。
そして先日、発達検査の結果を踏まえ、支援級が望ましいという判定が出たと聞いた。
私が希望していた結果だった。
次男に合った環境で学べるかもしれない。
そう思うと、安心する気持ちもあった。
でも、不思議なことに、少しだけ悲しくなった。
分かっているつもりだったのに
長男にもADHDがある。
発達特性について学ぶ機会もあったし、子どもたちの苦手なことや、必要な支援についても考えてきた。
私は、子供の障害受容ができているつもりだった。
発達特性があることは悪いことではない。
その子に合った環境や支援があればいい。
頭では、ちゃんと分かっている。
それなのに、いざ次男に支援級が望ましいという判定が出ると、心のどこかが少しだけ痛んだ。
「やっぱり、そうなんだ」
そんな気持ちだったのかもしれない。
自分では理解していたつもりでも、第三者から正式に判定されることで、改めて現実を突きつけられたような気持ちになった。
支援級に入れたいと希望していたのは、自分なのに。
希望どおりの判定が出たことに安心しているのに。
それでも、少し悲しい。
そんな自分に気づいた。
知識があっても、親としての気持ちは別だった
私はリハビリの仕事をしている。
人の身体や発達、できることと難しいこと、その人に合った支援について考える仕事だ。
だからこそ、発達特性についても、必要な支援についても、知識として理解している部分はあると思う。
でも、知識があることと、自分の子どものことを気持ちの面ですべて受け入れられることは、別なんだと感じた。
専門的な知識があっても、我が子のこととなれば戸惑う。頭では理解できても、気持ちが追いつかないこともある。
きっと、これは私だけではないのだと思う。
医療や福祉に携わっている人でも、発達について学んできた人でも、我が子のことになると悩んだり、悲しくなったりすることはあるのではないだろうか。
知識があるから、すぐに受け入れられるわけではない。
親だからこそ、簡単には割り切れない気持ちもある。
そんな自分を、無理に否定しなくてもいいのかもしれない。
それでも、私の考えは間違っていなかった
今回、支援級が望ましいという判定が出たことで、もうひとつ感じたことがある。
私が考えてきたことは、間違っていなかったのかもしれない、ということ。
次男の苦手なことや、変化への弱さ。
これまでの様子を見ながら、小学校で困ることが少しでも減るように、安心して過ごせる環境を用意してあげたいと思ってきた。
その気持ちが、今回の判定につながったのかもしれない。
もちろん、判定が出たから正解というわけではない。
大切なのは、次男にとってどんな環境が合っているのかを考えること。
支援級に入ることがゴールではなく、次男が安心して学び、自分らしく成長していけることが私の願いだ。
だから、これからも次男の様子を見ながら、そのときに必要な支援を考えていきたい。
障害受容は、一度できたら終わりではない
障害受容ができていると思っていた。
でも、今回のことで、まだ気持ちが揺れる自分がいることに気づいた。
それは、今まで受け入れてきたことが間違いだったということではないと思う。
理解していることと、気持ちが追いつくことは違う。
何かをきっかけに、また戸惑ったり、悲しくなったりすることもある。
それでもいいのだと思う。
親だって、いつも前向きでいられるわけではない。
子どものために最善の選択をしたいと思いながらも、心のどこかで寂しさを感じることだってある。
そんな気持ちを抱えている自分も、認めてあげたい。
今はまだ、少しだけ悲しい。
でも、次男が安心して過ごせる環境を選べることは、よかったと思っている。
このふたつの気持ちは、きっと一緒にあってもいいのだと思う。
発達特性のある子どもを育てていると、いろいろな場面で気持ちが揺れることがある。
もし、同じように戸惑ったり、受け入れられない自分に悩んだりしている人がいたら、伝えたい。
すぐに受け入れられなくてもいい。
悲しくなってもいい。
頭では分かっているのに、気持ちが追いつかない日があってもいい。
それでも、子どものことを考えて悩んでいる。
その気持ちまで、否定しなくていいのだと思う。