
山本由伸を世界一にした「矢田修」という恩人――オリックス1年目からワールドシリーズMVPまで、8年間の二人三脚
2025年ワールドシリーズ第7戦。敵地トロントで延長11回、ドジャースが逆転優勝を決めた瞬間、マウンドにいたのは前日に96球を投げたばかりの山本由伸だった。中0日。常識ではあり得ない登板。その体を8年近く見続けてきた人物が、クラブハウスにいた。柔道整復師でパーソナルトレーナーの矢田修氏(1959年生まれ、香川県出身)である。
山本はMVPインタビューでも、まず師の名を出した。「何年も練習してきた体のおかげで投げられた」。本稿では、誤認されやすいエピソードを整理しつつ、二人の関係と「BCトータルバランスシステム」の考え方を、一般の読者にも使える形で敷衍する。
誰が「矢田先生」なのか
矢田修は1980年に大阪で接骨院を開業し、1988年には教育・研究の場「キネティックフォーラム」を立ち上げた。国家資格は柔道整復師。表舞台に出ないタイプだが、山本の渡米後はドジャース側もその必要性を認め、スタッフとして帯同する異例の形になった。
本人は「60過ぎのじいさん」と笑う。だが指導の核は一貫している。手足の動かし方ばかり教えるのは、木でいえば枝葉をいじることだ。大事なのは幹と根。空洞の幹は強風で折れる――いわゆる「木の幹理論」である。外から矯正するより、選手自身が身体の感覚に気づくことを重視する。
ブログや講話では「他力本願と自力本願の両方を大切にする」とも語る。締めの定型句は「今日も良い一日を。子どもの頃の心を忘れず、夢を追い続けよう」。スピリチュアルに聞こえるが、現場では検査・呼吸・姿勢・回復まで含めた実務家だ。
出会い――2017年春、18歳のフルモデルチェンジ
山本は2016年ドラフト4位でオリックスに入団した。都城高時代から右肘の痛みがあり、野手転向の話も出たほどだった。入団1年目の春、知人を介して大阪の接骨院を訪ねる。
矢田は細かいフォーム矯正を先にしなかった。「どんな球を投げたい?」と聞き、山本が「150キロのフォーク」と答えたエピソードが複数の取材で残っている。体を見た矢田は、現状の延長では届かないと告げ、投球フォームから身体の使い方まで作り直す必要があると伝えた。山本は「じゃあそうします」と即答した。
ここで重要なのは、成果を「来月」ではなく「2年後」に置く長期設計だったことだ。球速やスタミナを一気に求めず、段階的に体を変える。山本は取材で成長要因を問われると「周りの人に恵まれた」と答え、支援者の筆頭に矢田を置く。矢田の側は「純粋で素直。60過ぎのじいさんの言うことにも耳を傾ける」と評する。 complementaryな関係だ。
ウエイトをしない理由――BCエクササイズと「5B」
山本が「筋トレは一切ない」と公言してきた背景が、矢田の「BCトータルバランスシステム」である。キーワードは柔軟性、バランス、効率的な力発揮。狙いを一言にすると「全身の連動」だ。
よく知られるメニューは次のようなものだ。
ジャベリン(やり投げ)や極めて軽いやり。小さなボールだと腕だけで投げ、癖がつく。全身で投げる感覚を残すための道具として使う。フォームが崩れると途中で失速するため、バランスのフィードバックにもなる。
ブリッジ、逆立ち歩き。体全体で支える。当初は周囲から反対されたが、山本自身が効果を感じて続けた。
握ったミニボールを投げるなど、一見奇抜なドリル。
「5B」――Breath(呼吸)、Bar(バー)、Bowl(ボウル)、Board(ボード)、Bridge(ブリッジ)。組み合わせは300種以上とされる。インナーマッスルと自然な動きを引き出すのが目的。
矢田が米メディアなどに語った比喩が分かりやすい。「1つの筋肉に100%出すのは簡単だ。山本がやろうとしているのは、600の筋肉をそれぞれ10%ずつ使うこと」。同時に600のことを考えるのは不可能だから、動きの優先順位を身体で覚える。力まない状態から爆発力を出す、という表現も山本本人から繰り返し出ている。
起点は「正しく立つこと」。立てなければ歩けず、歩けなければ走れず、正しく投げられない。ゴルフなど他競技の指導者が関心を持つ理由もここにある。力ずくの体性神経ではなく、自律神経側の調整を上げていく、という説明も矢田自身がしている。
一般読者への実務的な含意はシンプルだ。重いバーベルが正義とは限らない。立つ・呼吸する・連動する、という基礎が崩れたまま負荷を積むと、故障と非効率が増える。山本の場合、高校以来の肘痛がエクササイズ継続の過程で消えていった、と本人が語っている。
オリックス時代に積み上げた「翌日も投げられる体」
2年目、19歳の山本は先発後に腕が張り、10日近く投げられない状態に陥った。若い投手にはよくある蓄積疲労だが、矢田は「どうでもいい試合でも翌日ビュンビュン投げられる体にならなければダメだ」と厳しく言った。目標は連投耐性そのものだった。
NPB時代には、先発勝利の2日後にリリーフを志願したこともある。登板はなかったが、肘の張りがほとんど残っていなかった。山本は「こういう試合で投げられるよう何年も練習してきた」と後に振り返る。2025年の第7戦は、突然の奇跡ではなく、長い準備の延長線上にある。
成績面では、2019年に防御率1.95で最優秀防御率。2021年から3年連続で投手四冠に近づく、あるいは到達する支配的なシーズンが続いた。ドラフト4位の細身の右腕が日本のエースになった過程で、メソッドは「非常識」から「結果が出た例外」へ評価が変わっていく。
山本は練習内容を詳しく語らなくなった時期がある。「企業秘密です」と笑うのは、メソッドへの信頼と、自分の体は自分で育てるという責任感の両面だろう。