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Photo by294pia_nobi

絶望と希望のあいだ②:望まれなかった命

    *このエッセイには、幼少期の記憶や家族との関係にまつわる重たい描写が含まれます。
    ご購入前に、心の状態に合わせて読めそうかどうか、そっとご確認いただけたら嬉しいです🕊️
    この語りは、自己開示の“最大級”かもしれません。
    すこし重ための記憶と向き合いながら綴ったので、誰にでも全開放というよりも──
    そっと半開きにして、足を止めてくださった方にだけ、お届けできたら嬉しいです🧺

    親が死んだら、私は泣くのだろうか──心のどこかで、ずっとそう思っていた。

    ちょうど1年前、2024年7月6日0時2分に父が他界した。

    家族に囲まれながら、父は病室で最期のときを迎えた。末期がんが判明してから、わずか1か月余。今思い返しても、特殊な色合いを持つ濃密な日々だった。

    真夜中の病室で、ベッドに横たわる父の亡骸を前に私の感情はまるで動かなかった。涙もろいはずの私なのに、ぜんぜん涙が出てこない。ただの一滴も。

    ▼シリーズ①「父の最期の言葉」はこちら

    私は、いわゆる機能不全家族で育った。厳格で神経質な父は過干渉で、自分の価値観(あるいは不機嫌)で他人をコントロールするような人だった。彼の愛情(それを“愛情”と呼ぶのなら)には、いつだってたくさんの条件が付いていたように思う。対外的には、父は有能なビジネスパーソンで、博識で話の面白い、温厚篤実な人…外面がよいことにかけては、ほんとうに天下一品だった。

    一方で母は、明るく朗らかで天真爛漫、活動的なタイプだが、がさつで人の気持ちに疎いところがあった。そして、残念なことに私にはまるで関心がなく、5歳下の弟を溺愛していた。ほぼ専業主婦だった母は、たえず父の顔色を気にしていて、家庭は常に緊張状態にあった。

    過剰適応せざるを得ない環境に生まれ育った私は、ごく小さな頃から、人の心の機微には敏感だった。

    今でも私は、自分に起きていること、ニーズや感じていることに対して、あまり意識が向かなかったり、そこから意識をそらす癖がある。基本的に自分の気持ちをひろいあげるまでにものすごく労力がかかるのだ。

    おそらくは、幼少期に常に緊張状態にあったことで「自分のからだの信号に耳を澄ます」よりも「全神経を研ぎ澄まして周囲の様子をつぶさに観察し、ありとあらゆることをできるだけ適時適切に対処すべく即座に判断する」ことが常態化していたことが影響しているのだろう。

    ネガティブな感情をいちいち感じていたら、とてもじゃないけど身が持たない。自分の心を守るために、特殊なサバイバル術が不可欠だったのだ。

    私は、「望まれない命」だった。

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    ワークライフアンバランス時代を経て、プロの事務屋(元公務員)からプロコーチに転身。活動まとめ👇 https://lit.link/coachryoko その方が向かう先の先に視線を向けながら、本質や持ち味を生かし、のびのび可能性を広げていってほしいという思いで伴走しています。

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