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エッセイ|赤い靴

    昼休みに外に出たら、車通りの少ない道を保育園児たちが列をなして歩いているのに出くわした。保育士さんたちに引率され、散歩をしているようだ。園児同士2人1組で手をつないでいる。ふと、最後尾を歩く男の子に目がとまった。一見してダウン症児だということがわかる。ひとりの保育士さんがぴったりと寄り添うように手を引いていた。

    小学4年の頃、同じクラスにダウン症の子がいた。せめて小学校くらいは普通学級に通わせたいというご両親のたっての希望で、養護学校ではなく公立の小学校に入学したのだという。

    Aちゃんというその女の子は重度のダウン症で、身体機能面、知的面とも発達の遅れが著しく、普通に歩くことすらままならない状態だった。いつも歩行を補助するための重い靴を履いていた。彼女が発する言葉といえば、叫び声や泣き声ばかり。意思の疎通はできないに等しく、そんな彼女とどう触れ合っていいものやら、クラスの子はみな一様に戸惑っていた。

    ある日、40数人の児童を前に担任の先生が言った。「このクラスでAにきちんと接しているのは、Bと○○(私)だけだ」と。私は、思いがけないその言葉に心底驚いた。3年のときもAちゃんと同じクラスだったBちゃんは、Aちゃんのことをいつも気にかけていた。音楽室まで連れて行ってあげたり、外に出るために靴を履かせてあげたり、慣れた調子でAちゃんの世話をやいていた。そんな心優しいBちゃんと自分が同列に扱われたという事実が信じられなかった。

    確かに私は、Aちゃんに対して親切だったかもしれない。クラスの他の子たちのように、嫌な顔をしたりするようなこともなかったかもしれない。でも、Bちゃんと同じように評価されることなど、おこがましいことだと感じた。私はただセオリーどおりに行動しただけだから。「こんなときはこうすべき」という、子どもなりの道徳観に従っていただけ。ほんとうのことを言えば私だって、たびたび感情を暴発させ奇声をあげるAちゃんがちょっとだけ怖かった。

    私の優しさ(そう呼んでいいのかもわからないけど)が理性に由来するものだとすれば、Bちゃんのそれは、もっとずっと深いところからきているように私には思えた。ごく自然にAちゃんを思いやるBちゃんのことを、子ども心に尊敬していた。だからあのとき、先生にほめられた私は恥じ入った。それは違う。かいかぶりだ。私はそんなに立派な人間じゃない。そう思った。

    幼き日の遠い記憶はこうして、何かの拍子に鮮やかによみがえる。Aちゃんのあの紐靴は赤い色をしていた。びっくりするくらい重たかった。

    * 2001/10/11記(2025/4/27公開)


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    ワークライフアンバランス時代を経て、プロの事務屋(元公務員)からプロコーチに転身。活動まとめ👇 https://lit.link/coachryoko その方が向かう先の先に視線を向けながら、本質や持ち味を生かし、のびのび可能性を広げていってほしいという思いで伴走しています。

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