
大人(政治家)が約束を守らない社会で、子どもたちに何を教えるのか(内容追加)
子どもたちには、日々さまざまなことを教えている。
嘘をついてはいけない。
約束を守ろう。
間違えたら、きちんと認めよう。
自分の行動には責任を持とう。
どれも、社会で生きていくために大切なことだ。
私も、児童発達支援に携わる立場として、子どもたちにそうした力を身につけてほしいと思っている。
しかし、ふと疑問に感じることがある。
私たち大人は、本当に子どもたちに教えていることを実践できているのだろうか。
ニュースを見ていると、政治家の発言や行動に疑問を感じることがある。
国民には説明を求める。
国民にはルールを守るよう求める。
国民には負担をお願いする。
では、その言葉を発する政治家自身は、自分の言葉や行動にどこまで責任を持っているのだろうか。
今回は、そんな疑問について考えてみたい。
総理大臣の姿は、子どもたちにどう映るのか
国のトップである総理大臣。
その発言や行動は、日本国内だけでなく、海外からも注目される。
だからこそ、私は総理大臣には、特に高い説明責任が求められると思う。
例えば、国際会議への対応や、その後の行動について疑問が生じたとき。
国民が知りたいのは、単に説明があったかどうかではない。
なぜ、その判断をしたのか。
ほかに選択肢はなかったのか。
国を代表する立場として、その判断は適切だったのか。
そうした疑問に、国民が納得できるよう説明することが必要ではないだろうか。
もちろん、報道された内容だけで、すべてを判断することはできない。疑惑と確認された事実は分けて考えなければならない。
しかし、だからこそ、政治家には正確で分かりやすい説明を求めたい。
説明を聞いても疑問が残るのであれば、その疑問に向き合う必要がある。
立場が高いからこそ、説明する責任も重いはずだ。
子どもたちに、自分の行動には責任を持とうと教える社会であるなら、国のトップにも同じ姿勢を求めたい。
国民には厳しく、自分たちには甘くないか
もう一つ、気になることがある。
国の財源が厳しいと説明される。
物価高、社会保障、子育て支援、教育。
必要なお金は多く、国民の生活にも負担がかかっている。
その一方で、国会議員や閣僚の給与・待遇をめぐって引き上げの議論が起きると、疑問を感じる人もいるだろう。
もちろん、政治家の仕事には大きな責任があり、待遇について議論すること自体が悪いわけではない。
しかし、国民に負担をお願いするのであれば、政治家自身の待遇についても、十分な説明が必要ではないだろうか。
なぜ引き上げが必要なのか。
その判断には、どのような根拠があるのか。
国民の生活が厳しいとき、何を優先すべきなのか。
そうした説明がなければ、国民が不公平感を抱くのも無理はない。
国民には我慢を求めるのに、自分たちのことになると別の基準で判断しているように見える。
この印象を、政治家自身はどう受け止めているのだろうか。
子どもたちには、自分に都合が悪くてもルールを守ろうと教える。
それならば、大人の社会でも、立場によって基準が変わるようなことがあってはならないと思う。
「平均所得が上がっています」と言われても
ニュースでは、平均所得が上がっていると報じられることがある。
しかし、私自身の給与は、1年間で1,000円上がっただけだった。
もちろん、私一人の給与だけで、日本全体の所得を判断することはできない。
平均所得が上がったという報道が、間違いだと言いたいわけでもない。
それでも、物価が上がり、生活に必要なお金が増えている中で、自分の給与がほとんど変わらなければ、生活が豊かになったとは感じにくい。
平均という数字は、社会全体の動きを知るために必要だ。
しかし、平均が上がったからといって、すべての人の所得が上がったわけではない。
収入が増えても、物価の上昇によって生活が楽にならない場合もある。
だからこそ、数字を伝えるのであれば、その数字が何を表しているのかも知りたい。
平均所得だけでなく、実質賃金はどうなのか。
どのくらいの人の収入が増えているのか。
物価の上昇を考慮すると、生活は改善しているのか。
数字が上がったという事実と、国民の暮らしがよくなっているということは、必ずしも同じではない。
ニュースで伝えられる情報を、そのまま受け取るのではなく、その中身を考える必要があると思う。
そして、それは政治家の説明を聞くときにも、同じではないだろうか。
子どもには「嘘をつくな」と教える。では、大人は?
私たちは、子どもに正直であることを求める。
嘘をついてはいけない。
間違えたら認めよう。
約束を守ろう。
自分の行動に責任を持とう。
しかし、子どもたちは大人の言葉だけを見ているわけではない。
大人がどのように行動するのかも見ている。
自分の間違いを認めない大人。
説明を求められても、納得できる答えを示さない大人。
自分に都合が悪くなると、約束やルールを曖昧にする大人。
そんな姿を見たとき、子どもたちは何を学ぶのだろう。
「正直にしなさい」と言われても、大人が正直さを大切にしているように見えなかったら。
「間違えたら謝りなさい」と言われても、大人が自分の間違いを認めなかったら。
子どもたちは、教えられた言葉よりも、目の前の大人の行動を信じるのではないだろうか。
もちろん、政治家一人の行動だけで、社会全体を判断することはできない。
大人にも事情があるし、誰にでも間違いはある。
大切なのは、間違えないことではなく、間違えたときにどう向き合うかだと思う。
事実を確かめる。
間違いがあれば認める。
必要な説明をする。
そして、次にどう改善するかを考える。
そうした姿こそ、子どもたちに見せたいものではないだろうか。
何でも信じるな、ではなく、自分で考えられる子に
では、こうした社会の中で、子どもたちに何を伝えればよいのだろう。
私は、誰かの言葉を何でも信じなさいとは教えたくない。
だからといって、誰の言葉も信じるなとも教えたくない。
大切なのは、情報を確かめ、自分で考える力を身につけることだと思う。
「それは本当なのかな?」
「何を根拠にしているのかな?」
「違う考え方はないのかな?」
そうやって、一度立ち止まって考える。
分からないことは、分からないと言える。
自分の考えが間違っていたら、認めて修正できる。
そして、相手の意見が自分と違っていても、すぐに否定するのではなく、理由を考えてみる。
こうした力は、ニュースを見るときだけでなく、友達との関係や、学校生活、将来社会に出たときにも必要になるはずだ。
児童発達支援の現場でも、子どもに答えを教えるだけでなく、なぜそう考えたのかを聞き、一緒に考える時間を大切にしたい。
もちろん、危険なことや、人を傷つけることについては、大人が明確に伝えなければならない。
その一方で、正解が一つとは限らない問題については、子ども自身が考える機会をつくりたい。
大人も一緒に考え、分からないことは調べ、間違いがあれば学び直す。
そんな姿を見せることも、子どもたちへの大切な支援になると思う。
最後に
総理大臣も、国会議員も、私たち大人も、完璧ではない。
間違えることもあるし、判断に迷うこともある。
しかし、立場があるからこそ、求められる責任がある。
国民に説明を求めるのであれば、自分も説明する。
国民にルールを求めるのであれば、自分もルールに従う。
子どもに正直であることを教えるのであれば、自分も正直であろうとする。
私は、そんな当たり前のことが、当たり前に大切にされる社会であってほしい。
そして、子どもたちには、誰かの肩書きや言葉だけで判断するのではなく、事実を確かめ、自分の頭で考えられる人になってほしい。
社会に矛盾があるからといって、子どもたちに希望を持つなとは言いたくない。
むしろ、矛盾に気づき、疑問を持ち、よりよい方向へ変えていける人になってほしい。
そのためにも、まずは私たち大人が、自分の言葉と行動に責任を持つ必要があるのではないだろうか。
大人が約束を守らない社会で、子どもたちに何を教えるのか。
この問いは、政治家だけに向けたものではない。
私自身を含め、子どもたちに関わるすべての大人が、考え続けるべき問いだと思う。

10月28日追加

ミスは誰だってしますが、その後の対応も酷い‥‥
日本のために真剣に働いてくれる人が総理大臣になってほしいな。