
「それ、外交じゃなくて『いじめ』の手口と同じです」〜政治パフォーマンスに見える陰湿さと、私たちが取り戻すべき品格〜
SNSで流れてくる外交のプロモーションビデオや、
誇らしげなパフォーマンス映像を見るたび、
胸の奥が不快なデジャブでザワつくことはないでしょうか。
「気に入らない特定の相手を孤立させるために、周りの子にプレゼントを配って味方につける」
「記念日や大切な日に、あえて別の友だちと仲良しアピールをして当てつける」
「『私たちは一心同体だよね』と過剰に束縛し合い、絆を誇示する」
そう。
大人の政治家たちが「高度な外交」と称してやっていることの多くは、
私たちが学校や職場、
人間関係の中で散々見てきた
「陰湿ないじめの手口」そのものです。
1. 「反省しない」という人間性の欠陥
いじめを主導する側に、
罪悪感はありません。
「私にはこんなに強い仲間がいる」
「あいつは排除されて当然の悪い奴だ」という歪んだ自己正当化に浸り、
むしろ優越感すら抱いています。
「反省していません」と開き直る態度は、
強さでも何でもなく、
他者の痛みを感じ取る感情や道徳心(情操)が壊れている証拠です。
国内に貧困や生きづらさを抱える人が大勢いるにもかかわらず、
外に向かってはパフォーマンスのために多額の資金(プレゼント)を撒き散らし、誰かをハブるための仲間づくりに奔走する。
そこにあるのは、
国や国民の未来を本気で憂う知性ではなく、
「自分が群れの中心で優位に立ちたい」
という極めて幼く浅はかな承認欲求でしかありません。
2. なぜ、この気味悪さに気づけない人がいるのか
この陰湿なアピールに対して「外交の成果だ」「頼もしい」と拍手を送ってしまう人がいるのはなぜでしょうか。
それは、自らが人をいじめる側で生きてきたか、
あるいは人の痛みを想像する練習(情操教育)をしてこなかったからです。特に「強い者に巻かれるのが当たり前」と思って生きてきた人にとっては、この排除のロジックが「賢い生き方」に見えてしまうのです。
反対に、いじめの理不尽さに苦しみ、
そこから必死に心を立て直してきた人や、
子どもの小さな心の揺れ動きに寄り添ってきた人には、
その手口の裏にある「自信のなさと意地悪さ」が透けて見えます。
「どちらが強いか」
「どちらが仲間が多いか」
でしか自分の価値を測れない大人たちの姿は、
政治として優れているどころか、
人間として極めて痛々しく、恥ずかしいものです。
3. 子どもたちに「排他する生き方」を引き継がせないために
いじめを肯定し、
罪悪感を持たないまま大人になった人は、
親になってもまた同じように
「誰かを排除することで身を守る方法」を
子どもに教えてしまいます。
政治家たちが
「誰かをハブり、味方を囲い込む」という手口を
「正義」として画面越しに振りかざす社会で、
私たちが子どもたちに伝えるべきことは何でしょうか。
それは、
群れて誰かを排除する「ニセモノの安心感」ではなく、
どんな相手であっても等しく尊厳を認め、
対等に向き合う「真の品格」です。
「強い者にならい、誰かを仲間外れにして笑う大人」になるのか。
「誰かの思惑に流されず、自分の足で立ち、一人ひとりを大切にする大人」になるのか。
政治のハデなパフォーマンスの陰に隠された「いじめの構造」を見抜き、
冷笑や排他的な空気に同調しないこと。
それこそが、私たちが我が子や次の世代に手渡せる、
本当の意味での「人間としての強さ」なのだと信じています。