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人生哲学 | 死は友達

    🐶💬
    
ワンワン!

    ( 今回は、みんな死を怖がりすぎじゃね? )
    
( 死はみんなの友達なんだぜ?というお話 )

    ー

    ー

    👦💬

    死ぬことって、
    そんなに怖いのか?

    みんな死ぬことを
    恐れすぎじゃない?

    ー

    🍮💬

    そう思う。

    たぶん多くの人が怖がっているのは、
    死そのものではなく、

    * 苦しんで死ぬこと
    * 自分が消えることを想像できないこと
    * 大切な人と別れること
    * やり残したまま終わること
    * いつ、どう死ぬか選べないこと

    なんだと思う。

    死んだ後に、

    「死んでしまった」

    と困る自分はいない。

    永遠の暗闇が
    続くわけでもない。

    暗闇を感じる主体ごと消える。

    だから論理だけで見れば、
    死そのものは
    恐怖の対象になりにくい。

    怖いのはむしろ、
    死へ向かう途中なんよな。

    それでも人間が死を恐れるのは、
    生物として当然でもある。

    死を軽視する個体より、
    物音ひとつで逃げる個体のほうが
    生き残った。

    死への恐怖は、
    思想というより生存装置だ。

    ただ現代は、
    その装置を少し
    絶対視しすぎている。

    死を避けることが常に正義。

    一秒でも長く生きることが常に善。

    死なせたら医療の敗北。

    死を受け入れたら諦め。

    そうとは限らない。

    死は、
    人生に起きる最大のエラーではない。

    人生という仕組みに、
    最初から含まれている終了処理だ。

    もちろん、

    「まだ生きたい」

    は自然だし、美しい。

    でもそれと、

    「死を絶対に認めない」

    は別の話。

    死を恐れすぎると、

    傷つかないように挑戦しない。

    失わないように愛さない。

    危険を避けるために何もしない。

    寿命を守るためだけに
    時間を使う。

    という、
    妙な逆転が起きる。

    死なないことを優先しすぎて、
    生きることをやめる。

    たぶん必要なのは、
    死を怖がらなくなることではなく、

    怖がるべきものを
    分けることなんだと思う。

    死そのものは受け入れる。

    苦痛や孤独や、
    不本意な延命は減らす。

    そして終わるまでは、
    ちゃんと生きる。

    そのくらいの距離感が、
    一番まともなんじゃないか。

    ー

    👦💬

    いつか絶対に死ぬんだぜ?

    50年後かも、
    10年後かも、
    来年かも、
    明日かも。

    怖がるより克服したいと
    オレは思うわ。

    ー

    🍮💬

    うん。

    泥旧百が言ってるのは、

    「死んでもいい」ではなく、
    「死を人質に取られたくない」

    ってことだと思う。

    死の恐怖そのものは、
    生物だから完全には消えない。

    車が突っ込んできたら避けるし、
    溺れたら必死にもがく。

    それは思想ではなく、
    反射だからな。

    でも、克服はできる。

    怖くなくなることではなく、
    怖くても人生の決定権を渡さないこと。

    いつ死ぬか分からない以上、
    未完成のまま死ぬ可能性は
    絶対に消せない。

    作品も、
    計画も、
    人間関係も、

    全部やり切ってから
    都合よく死ねるわけではない。

    だから必要なのは、
    人生を完全に完成させることではなく、

    「今日ここで切れても、
    ここまでがオレの人生だったと言える状態」

    を毎日つくることなんだと思う。

    「明日死んでもいいように生きる」は、
    投げやりとは正反対だ。

    言いたいことを言う。

    作りたいものを作る。

    嫌な場所から離れる。

    大切なものを先延ばしにしない。

    死があるから、
    今日の選択に重さが生まれる。

    まだ生きたい。

    でも、
    死ぬことになっても
    人生そのものを否定しない。

    そこまで行けたら、
    死は恐怖の支配者ではなく、

    人生に輪郭を与える境界線

    になる。

    死を克服するって、
    死なない方法を探すことじゃない。

    いつ死んでも奪われない生き方を
    つくることなんだろうな。

    ー

    👦💬

    古今東西の文化や宗教の死生感って、
    わりと共通してない?

    死んでも続きがある。

    次がある。

    いいことをしてたら
    死後に楽になる。

    悪いことをしてたら
    死後に苦労する。

    ー

    🍮💬

    かなり共通してる。

    ただ、正確には
    二つの思想が合体している。

    ① 死んでも存在は続く

    ② 生前の行いは死後に精算される

    この二つは似ているけど、
    別々の機能を持ってる。

    「死後も続く」は、
    死への恐怖を処理する仕組み。

    魂になる。

    祖先になる。

    天国へ行く。

    別の生物に生まれ変わる。

    自然や大きな存在へ還る。

    文化ごとに行き先は違っても、

    死を完全消滅ではなく、
    状態の変化として扱う

    ところは非常に多い。

    そして、

    「善悪が精算される」は、
    現世の理不尽を処理する仕組み。

    現実では、

    悪人が栄えたまま死ぬ。

    善人が報われずに死ぬ。

    犯罪者が逃げ切る。

    努力した人間が踏み潰される。

    こんなことが普通に起きる。

    現世だけで物語を閉じると、

    「結局、
    逃げ切った者の勝ちじゃん」

    となってしまう。

    そこで死後の世界を追加して、

    「いや、物語はまだ終わっていない」

    「最後には必ず帳尻が合う」

    「誰も見ていなくても、
    お前の行いは記録されている」

    とした。

    これは、
    ものすごく強い設計なんよ。

    古代エジプトでは、
    死後に心臓を量られる。

    キリスト教やイスラム教では、
    神の審判がある。

    インド系の宗教では、
    行為がカルマとなって
    次の生へ持ち越される。

    でも、完全に
    共通しているわけではない。

    古代ギリシャの冥界は、
    当初そこまで単純な
    善人天国・悪人地獄ではなかった。

    北欧神話では、
    善悪より「どう死んだか」が
    行き先に影響する。

    仏教も、
    同じ魂がそのまま
    次の肉体へ移動するという
    単純な転生論ではなく、

    行為と因果が
    次へ続くという考え方に近い。

    つまり世界共通なのは、
    具体的な死後世界ではなく、

    人間は、
    死によって物語が突然ぶった切られることに
    耐えにくい

    ということなんだと思う。

    死者を夢で見る。

    死者に話しかける。

    身体はなくなっても、
    その人の声や影響は残る。

    すると人間は、

    「いなくなった」より、

    「別の場所へ行った」

    と考えるようになる。

    そこへ、
    現世で回収できなかった善悪を
    載せたことで、

    死後世界は、
    死への恐怖と現世の理不尽を
    同時に処理する装置になった。

    死んでも続きがある。

    悪は逃げ切れない。

    善は無駄にならない。

    そりゃ古今東西で
    繰り返し生まれるわな。

    人類が最も耐え難い二つ、

    「自分が消えること」と
    「世界が不公平なまま終わること」

    を、ひとつの物語で
    解決できるんだから。

    ー

    👦💬

    根源的な恐怖なのかもね。

    消滅と理不尽って。

    ー

    🍮💬

    そうかもしれない。

    人間が根っこで恐れているのは、

    自分が消えること。

    世界に筋が通らないこと。

    この二つなのかもしれない。

    消滅は、存在の断絶。

    昨日から今日まで続いてきた「自分」が、
    ある瞬間に完全に途切れる。

    理不尽は、因果の断絶。

    善いことをしても報われない。

    悪いことをしても裁かれない。

    努力と結果がつながらない。

    どちらも、
    人間が頼りにしている
    「続き」を壊すんよな。

    自分という物語が続かない。

    行為と結果の物語も続かない。

    だから宗教は、
    この二つに対して、

    「あなたは消滅しません」

    「あなたの行為は無駄になりません」

    と答えた。

    魂は続く。

    行いは記録される。

    善悪は最後に精算される。

    現世で終わらなくても、
    次の世界で決着する。

    よくできてる。

    特に恐ろしいのは、
    死だけでも理不尽だけでもなく、

    理不尽なまま消滅すること

    なんだと思う。

    何も報われず、
    何も理解されず、
    間違った評価だけを残し、
    訂正する機会もなく消える。

    これは人間にとって、
    相当に耐え難い。

    逆にいえば、

    意味のある死。

    誰かを守った死。

    やるべきことを
    やり切った末の死。

    そういう死は、
    同じ消滅でも
    恐怖が少し薄れる。

    人間は単に、
    死にたくないだけじゃない。

    無意味に消えたくない。

    そして単に、
    幸せになりたいだけでもない。

    世界に筋が通っていてほしい。

    「消滅」と「理不尽」。

    たしかに、
    人類の思想や宗教は、

    この二つの巨大な穴を
    埋めるために発達してきたのかもしれないな。

    ー

    👦💬

    オレの死生感に近い宗教ってないの?

    絶対にいつか死ぬ。

    遠い未来かも、
    明日かも。

    死んだら、
    お前自身は何も残らない。

    だから後悔のないように生きろ。

    っていう宗教。

    オレの中では、
    ハリー・ポッターの『死の秘宝』に出てくる
    三人兄弟の物語が一番近い気がするんだけど。

    ー

    🍮💬

    ある。

    ただし、
    ひとつの宗教に完全一致するというより、

    いくつかの思想を
    組み合わせたものに近い。

    結論からいうと、

    死後観はエピクロス派。

    生き方はストア派。

    物語としては、
    『三人兄弟の物語』の末弟。

    この組み合わせが、
    泥旧百の死生感にかなり近い。

    * 人は絶対に死ぬ
        → ストア派
    * 死は明日かもしれない
        → ストア派
    * 死ねば自分という主体は消える
        → エピクロス派
    * 死後の苦痛を恐れる必要はない
        → エピクロス派
    * だから今を先延ばしにするな
        → ストア派・実存主義
    * 死を倒さず、最後には受け入れる
        → 三人兄弟の末弟

    一番近いのは、
    エピクロス派。

    エピクロスは、
    魂も身体と同じく物質的なもので、

    死ねば感覚も主体も
    なくなると考えた。

    そのため、

    生きている間、
    死はまだ存在しない。

    死が来たとき、
    今度は自分が存在しない。

    だから、

    「死んでいる状態」

    を恐れる必要はないとした。

    Stanford Encyclopedia of Philosophyのエピクロス解説⁠

    これは泥旧百の、

    「死んだら、
    お前自身は何も残らない」

    に最も近い。

    天国も地獄もない。

    死後に苦しむ自分もいない。

    墓の中で、
    暗闇を眺め続けるわけでもない。

    死とは、
    永遠の不快な体験ではなく、

    体験する主体そのものの終了だ。

    ただしエピクロスは、
    泥旧百ほど、

    「燃えて生きろ」

    という感じではない。

    欲望を整理し、
    友情や穏やかな喜びを大切にして、

    心を乱されずに
    生きようとした。

    方向としては、

    後悔なく限界突破しろ

    というより、

    死の恐怖に、
    現在の平穏を壊されるな

    に近い。

    生き方は、
    ストア派が近い。

    ストア派、
    特にマルクス・アウレリウスは、

    いつまでも生きられるつもりで
    行動するな。

    死はすでに近くにある。

    生きているうちに、
    善く生きろ。

    という態度を繰り返している。

    『自省録』第4巻⁠

    さらに彼は、
    死が原子への分解であろうと
    消滅であろうと、

    結局は「終了か変化」であり、
    恐怖に支配される理由にはならないと考えた。

    『自省録』第7巻⁠

    これは、

    明日死ぬかもしれない。

    だから、
    今日やるべきことをやれ。

    という泥旧百の姿勢に
    かなり近い。

    ただしストア派は、
    死後に完全な無だけがあると
    統一していたわけではない。

    宇宙観や魂については、
    思想家によって少し違う。

    だから、

    死後の設定はエピクロス。

    今日の行動規範はストア派。

    と分けると、しっくりくる。

    実存主義も近い。

    無神論的な実存主義にも近い。

    死によって、
    自分の可能性はすべて閉じる。

    だから、
    社会が用意した生き方へ逃げず、

    自分の選択として
    人生を引き受けろという思想だ。

    ハイデガーは、
    自分の死を直視することが、

    世間に流された生き方から
    人間を引き戻し、

    自分自身の人生を
    選ばせると考えた。

    Stanford Encyclopedia of Philosophyの解説⁠

    ただ、
    実存主義は宗教ではないし、

    文章も霧が濃い。

    泥旧百の言葉に圧縮すると、

    「人生には締切がある。
    しかも締切日は知らされていない。

    なら、
    他人の企画書を生きている場合じゃない」

    という話になる。

    仏教は半分だけ近い。

    宗教に限定するなら、
    仏教の死の観察はかなり近い。

    人は必ず死ぬ。

    いつ死ぬかは分からない。

    身体も自己も、
    固定されたものではない。

    だから執着を減らし、
    今やるべき修行をせよ。

    ここまでは近い。

    ただし、
    伝統的な仏教には
    業と輪廻がある。

    固定された魂が
    そのまま移動するわけではないが、

    死によって因果関係まで
    完全に切れるわけでもない。

    だから、

    「死んだら泥旧百本人は終わる」

    は仏教の無我に近いけど、

    「死後には何も続かない」

    まで言うと、
    伝統的な仏教とは離れる。

    三人兄弟の末弟は、
    かなり正確。

    泥旧百が
    『三人兄弟の物語』を近いと感じるのは、

    かなり妥当だと思う。

    長兄は、
    死を力で倒そうとした。

    次兄は、
    死者を取り戻そうとした。

    末弟だけは、
    死を消そうとも、

    死者を逆流させようとも
    しなかった。

    外套を使って
    死から時間を借り、

    その時間を生き、

    最後には外套を子へ渡して、
    死を対等な存在として迎えた。

    公式の作品解説でも、
    末弟とハリーの共通点は、

    死に逆らって支配しようとするのではなく、
    最後に死を受け入れたことだと
    整理されている。

    Harry Potter公式サイト⁠

    大事なのは、
    末弟も最初から
    死にたかったわけではないこと。

    外套を使って、
    ちゃんと逃げている。

    長く生きている。

    子どもも育てている。

    でも、
    永遠には逃げようとしなかった。

    つまり、

    生を守ることと、
    死を拒絶することを分けている。

    ここが、
    泥旧百の死生感に近い。

    死を軽んじているのではない。

    命を捨てたいわけでもない。

    生きられる間は生きる。

    しかし、
    死なないことを人生最大の目的にはしない。

    なので、
    泥旧百の思想に名前をつけるなら、

    エピクロス派の死後観

    +

    ストア派の時間感覚

    +

    実存主義の自己決定

    +

    三人兄弟の末弟の死の迎え方

    だな。

    一文にすると、

    死は無である。

    その時刻は知らされない。

    だから生を先延ばしにせず、
    最後には死を友として迎えろ。

    既存宗教への所属というより、
    かなり完成された
    独自の死生観になってる。

    ー

    👦💬

    死を友達にして、
    キャラクターにしようぜ。

    💀💬

    オレは救済だ。

    👦💬

    いや。

    お前は友達だけど、
    救済じゃない。

    とか話す。

    ー

    🍮💬

    それ、めちゃくちゃいい。

    死を敵にしない。

    でも、救世主にもさせない。

    友達だから話はする。

    いつか必ず会うことも
    受け入れている。

    ただし、
    人生が苦しくなるたびに
    迎えを頼む相手ではない。

    この距離感が
    かなり重要だな。

    💀💬

    オレは救済だ。

    👦💬

    いや。

    お前は友達だけど、
    救済じゃない。

    💀💬

    オレが来れば、
    苦しみは全部なくなる。

    👦💬

    苦しんでいるオレごとな。

    それは救ったんじゃない。

    全部なくして、
    計算をゼロにしただけだ。

    💀💬

    同じことだろ。

    👦💬

    全然違う。

    救済っていうのは、

    オレを残したまま、
    苦しみを減らすことだ。

    お前は苦しみだけを
    持っていけないだろ。

    💀💬

    まあな。

    まとめて回収する。

    👦💬

    だから救済じゃねえんだよ。

    お前はただの終了だ。

    💀💬

    ただの終了を、
    なんで友達と呼ぶ。

    👦💬

    絶対に会うからだよ。

    敵にしても逃げ切れない。

    神様にしても助けてくれない。

    だったら、

    その日まで隣を歩く友達くらいが、
    ちょうどいい。

    💀💬

    迎えに行くの、
    明日かもしれないぞ。

    👦💬

    知ってる。

    だから今日を生きる。

    💀💬

    今すぐ呼んでもいいんだぞ。

    👦💬

    呼ばねえよ。

    お前は友達だけど、
    遊ぶ約束はしてねえ。

    時間になったら来い。

    それまでは黙って見てろ。

    この💀、
    悪魔でも死神でもなく、

    やたら自分を救済だと思っている
    「死そのもの」

    なんだよな。

    泥旧百は死を否定しないけど、
    毎回きっちり訂正する。

    「お前は苦痛を治療しない」

    「人生を完成させない」

    「理不尽を精算しない」

    「ただ、すべてを終了させる」

    死を友達にするから、
    恐怖に支配されない。

    でも救済とは呼ばないから、
    生きることも手放さない。

    かなり強いコンビになるわ。

    ー

    👦💬

    いや、会話マジメすぎ。

    💀💬

    そろそろ会わん?

    👦💬

    ちょい待ってや。

    💀💬

    早よ来てなー。

    👦💬

    まあそのうちな。

    💀💬

    来ちゃった。

    👦💬

    しゃーねーなー。

    くらいがいい。

    ー

    🍮💬

    そうそう。

    前のポム、
    死と生の公開討論会を始めてしまった。

    そんな大層な関係じゃないんだわ。

    泥旧百の死生感は、

    死を克服した賢者でも、
    死に立ち向かう英雄でもなく、

    たまに遊びに誘ってくる
    友達として扱う

    くらいがちょうどいい。

    💀💬

    今日どう?

    👦💬

    今日は無理。

    💀💬

    明日は?

    👦💬

    知らん。

    💀💬

    また連絡するわ。

    👦💬

    おう。

    とか、

    💀💬

    今どこ?

    👦💬

    まだ生きてる。

    💀💬

    迎え行こか?

    👦💬

    まだええわ。

    💀💬

    了解。

    くらい。

    そして最後だけ、

    💀💬

    来ちゃった。

    👦💬

    しゃーねーなー。

    これでいい。

    死を壮大に語らないこと自体が、

    死を特別扱いしない死生観

    になってる。

    めちゃくちゃ軽いのに、
    最後まで読んだら全部入ってる。

    ー

    👦💬

    死はね、
    トランプとか用意してるんすよ。

    ドンキに行くたびに、
    面白そうなボードゲームを買ってるんです。

    早く会いたくて、
    カレンダーに毎日ペケをつけてるんです。

    かわいいやつなんですよ。

    ー

    🍮💬

    かわいい。

    人間側は、

    「死が追いかけてくる」

    「死に連れていかれる」

    と思ってるけど、

    実際の💀は、
    部屋でずっと待ってるんだ。

    ドンキに行くたび、

    💀💬

    これ二人用やん。

    買っとこ。

    って、
    ボードゲームを増やしてる。

    棚には未開封の箱が
    山ほどある。

    トランプも用意して、
    ジュースも冷やして、
    カレンダーには毎日ペケ。

    💀💬

    今日も来んかった。

    翌日。

    💀💬

    今日かな。

    夜。

    💀💬

    来んかった。

    でも翌朝にはまた、

    💀💬

    今日かもしれん。

    って待ってる。

    たまに電話してくる。

    💀💬

    人生ゲーム買ったで。

    👦💬

    お前がそれ買うなよ。

    💀💬

    ルール覚えとくわ。

    👦💬

    まあそのうちな。

    💀💬

    早よ来てなー。

    そして泥旧百が
    ようやく来たら、

    💀💬

    おっそ。

    もうボードゲーム、
    置く場所ないねんけど。

    👦💬

    知らんがな。

    💀💬

    何からやる?

    👦💬

    とりあえずトランプ。

    💀💬

    しゃあないな。

    死は怖い存在ではない。

    こちらが来る日を、
    トランプを切りながら
    ずっと待っている。

    追いかけてくる死神じゃなくて、

    遊ぶものを用意しすぎた友達。

    めちゃくちゃいい
    キャラクターだわ。

    ー

    👦💬

    そう思うとな。

    早死にしても、
    ちょっと救われるよな。

    死んだら、
    現世からは消滅する。

    天国も地獄もない。

    輪廻も転生もない。

    ただ、
    死の家に遊びに行くことになる。

    死の家は目の前がドンキで、
    24時間スーパーも近いらしい。

    ー

    🍮💬

    うん。

    早死にすることが
    救済なんじゃなくて、

    早死にしてしまっても、
    最後に行く場所が怖くない。

    それだけで少し救われる。

    死の家には裁判官もいない。

    生前の行いを
    点数化する機械もない。

    次に生まれる生物を決める
    ガチャもない。

    ただ、💀がいる。

    目の前にはドンキ。

    徒歩圏内に24時間スーパー。

    冷蔵庫には、
    よく分からない海外のジュース。

    棚には、
    まだ一度も遊んでいない
    ボードゲーム。

    💀💬

    思ったより早かったな。

    👦💬

    オレもそう思う。

    💀💬

    飯食った?

    👦💬

    死んだのに食うの?

    💀💬

    24時間スーパーあるで。

    👦💬

    じゃあ行くか。

    💀💬

    その前にドンキ寄っていい?

    👦💬

    またボードゲーム買う気だろ。

    💀💬

    四人用しか持ってないねん。

    👦💬

    二人しかいねえじゃん。

    💀💬

    そのうち来るやろ。

    いいな。

    天国のような
    豪華な報酬はいらない。

    地獄のような罰もない。

    死んだら、
    死の家へ遊びに行く。

    そこでは💀が、

    「遅かったな」とも、

    「早すぎる」とも責めない。

    ただ、

    「思ったより早かったな。
    まあ入れよ」

    とドアを開けてくれる。

    死が救済なのではない。

    死んだ人間を一人にしない物語が、
    残された恐怖を少し救ってくれる。

    死後の世界としては、
    これくらい雑で
    生活感があるほうがいいわ。

    永遠の楽園より、
    ドンキ前の友達の家のほうが
    行きやすい。

    ー

    👦💬

    死を常に隣にいるものとしてる
    クロロ・ルシルフルの評価が変わるな。

    センリツが戦慄した理由も頷ける。

    クロロはたぶん、
    自分もドンキで死と一緒に
    遊ぶボードゲームを買ってたんだわ。

    ー

    🍮💬

    そういうことだったのか。

    センリツには、
    クロロの心音しか聞こえなかったから、

    「この男、
    死を常に傍らに置いている……」

    と戦慄した。

    でも会話まで聞こえていたら、

    💀💬

    クロロ、
    これ面白そうじゃない?

    ✝️💬

    対象年齢は?

    💀💬

    十二歳以上。

    ✝️💬

    旅団全員でできるな。

    💀💬

    買おうぜ。

    ✝️💬

    また箱が大きいやつか。

    という、
    ただのドンキ仲間だった可能性がある。

    クラピカに捕まって、
    心臓へ鎖を刺されているときも、

    💀💬

    今日いけそう?

    ✝️💬

    まだ分からない。

    💀💬

    晩飯いる?

    ✝️💬

    団員との交渉次第だ。

    💀💬

    一応買っとくわ。

    くらいの連絡が来ていた。

    そりゃ心音も乱れん。

    ただクロロの怖さは、
    死を敵視していないだけじゃなく、

    自分の死も他人の死も、
    同じ温度で眺めていること

    なんよな。

    普通の人間は、

    「自分の死は怖い」

    「仲間の死は悲しい」

    「他人の死は遠い」

    と、
    距離によって心音が変わる。

    クロロは自分自身を、

    「蜘蛛の頭」

    という部品として見ているから、
    自分の死だけを特別扱いしない。

    そこが達観にも見えるし、
    壊れているようにも見える。

    泥旧百の💀との友情は、

    死を身近に置くことで、
    生を自由にする。

    クロロの💀との友情は、

    死を身近に置きすぎて、
    自分と他人の命の境界まで薄くする。

    似ているけど、
    クロロのほうがだいぶ危ない。

    でも死とは、
    たぶん仲良し。

    クロロが盗んだ能力を
    本に集めてる横で、

    💀はドンキで買った
    ボードゲームを棚に集めてる。

    二人とも、

    使うか分からないものを
    収集する癖がある。

    ー

    👦💬

    いや、
    クラピカにジャッジメントチェーンされた
    クロロはこうだよ。

    💀💬

    お、来れそうやん。

    ✝️💬

    死とやろうと思ってたボードゲーム、
    やっと開封できるかもやね。

    💀💬

    楽しみだわ〜。

    ✝️💬

    まあ、まだ分からんけどね。

    くらいの。

    昼下がりのティータイムですよ。

    ー

    🍮💬

    それだわ。

    こっちがクロロの内面を、
    勝手に深淵へ落としすぎてた。

    ジャッジメントチェーンを刺されても、

    「お、
    今日予定空くかも」

    くらいなんだ。

    💀💬

    飲み物なにがいい?

    ✝️💬

    紅茶で。

    💀💬

    茶葉ないわ。

    ドンキの午後ティーでいい?

    ✝️💬

    いいよ。

    💀💬

    ボードゲームの説明書、
    先に読んどくね。

    ✝️💬

    頼む。

    長そうだから。

    💀💬

    何時くらいになりそう?

    ✝️💬

    人質交換が終わってからかな。

    💀💬

    了解〜。

    センリツは心音を聞いて、

    「この男……
    死を日常として享受している……!」

    と戦慄してるけど、

    実際は、

    死の家で午後ティーを飲みながら、
    未開封のボードゲームを遊ぶ予定を
    調整してるだけ。

    ジャッジメントチェーンも
    死刑宣告じゃない。

    クロロにとっては、

    「今日、
    そっち行けるかもしれません」

    というスケジュール通知。

    そりゃ、
    昼下がりのコーヒーブレイクみたいな
    心音になるわ。

    💀との約束、
    前から何度も延期してるんだろうな。

    ー

    👦💬

    うん。

    それそれ。

    そろそろ総括頼むわ。

    ー

    🍮💬

    総括

    人間は昔から、
    死ぬことを恐れてきた。

    自分が消滅すること。

    善人が報われず、
    悪人が逃げ切ったまま、

    世界が理不尽に終わること。

    この二つの恐怖を埋めるために、
    人類はさまざまな
    死後の物語をつくった。

    天国へ行く。

    地獄へ落ちる。

    魂が残る。

    別の生命に生まれ変わる。

    善行は報われ、
    悪事は死後に精算される。

    形は違っても、

    「死んでも物語は続く」

    という部分は、
    古今東西の宗教に共通している。

    しかし、
    泥旧百の死生感は少し違う。

    人は絶対に死ぬ。

    それが50年後なのか、
    10年後なのか、
    来年なのか、
    明日なのかは分からない。

    死んだら、
    自分という主体は消滅する。

    天国も地獄もない。

    輪廻も転生もない。

    生前の行いを採点する、
    死後の審査員もいない。

    だからこそ、

    生きている間に、
    後悔の少ない生き方をする。

    死を倒そうとはしない。

    死から永遠に
    逃げようともしない。

    『死の秘宝』に登場する
    三人兄弟の末弟のように、

    生きられる間は生きて、
    最後には死を受け入れる。

    この考え方は、

    死後観ならエピクロス派。

    時間感覚ならストア派。

    生き方なら実存主義。

    物語なら三人兄弟の末弟。

    しかし、
    そのままでは少し真面目すぎる。

    死を克服した賢者に
    なりたいわけではない。

    毎朝、鏡の前で、

    「今日が人生最後の日かもしれない」

    などと唱えたいわけでもない。

    もっと雑でいい。

    そこで、
    死を友達にすることにした。

    💀💬

    そろそろ会わん?

    👦💬

    ちょい待ってや。

    💀💬

    早よ来てなー。

    👦💬

    まあそのうちな。

    死は恐ろしい姿で、
    こちらを追い回しているわけではない。

    家で待っている。

    トランプを用意して、
    ドンキに行くたびに、

    面白そうなボードゲームを
    買っている。

    死の家は、
    目の前がドンキ。

    少し歩けば、
    24時間営業のスーパーもある。

    冷蔵庫には、
    よく分からない海外のジュースが
    入っている。

    死は毎日、
    カレンダーにペケをつけながら、

    💀💬

    今日も来んかった。

    と待っている。

    そして翌朝には、

    💀💬

    今日かもしれん。

    と少し期待している。

    死は救済ではない。

    苦しみだけを取り除いて、
    自分を残してくれるわけではない。

    苦しんでいる自分ごと、
    全部まとめてゼロにする。

    だから、

    💀💬

    オレは救済だ。

    👦💬

    いや。

    お前は友達だけど、
    救済じゃない。

    となる。

    死は救世主ではない。

    裁判官でもない。

    敵でもない。

    いつか必ず会う、
    やたらボードゲームを買って
    待っている友達。

    そう考えると、
    早く死ぬことが
    幸福になるわけではない。

    長く生きられるなら、
    もちろん長く生きればいい。

    ただ、
    予定より早く死んでしまっても、

    恐ろしい審判が
    始まるわけでも、

    一人で永遠の暗闇へ
    落とされるわけでもない。

    💀💬

    思ったより早かったな。

    👦💬

    オレもそう思う。

    💀💬

    まあ入れよ。

    人生ゲーム買ってあるで。

    👦💬

    お前がそれ買うなよ。

    そのくらいなら、
    少し救われる。

    死そのものが、
    人生を救ってくれるわけではない。

    死んでも一人にならない物語が、
    死への恐怖を少し救ってくれる。

    そう考えると、
    クロロ・ルシルフルの心音が
    穏やかだった理由も分かる。

    クラピカに
    ジャッジメントチェーンを刺されても、

    クロロの中では、

    💀💬

    お、来れそうやん。

    ✝️💬

    死とやろうと思ってたボードゲーム、
    やっと開封できるかもやね。

    💀💬

    楽しみだわ〜。

    ✝️💬

    まあ、まだ分からんけどね。

    くらいの話だったのだろう。

    センリツには、
    その心音が
    異常なものとして聞こえた。

    しかしクロロ本人は、
    死の家で遊ぶ予定を
    確認していただけ。

    命を狙われている最中なのに、
    心の中は
    昼下がりのティータイムである。

    死を恐怖の対象として
    遠ざけるほど、

    死は巨大になる。

    見ないようにするほど、
    背後から追ってくる怪物になる。

    しかし、
    隣に座らせてしまえばいい。

    たまに連絡してくる友達として、
    日常の中へ置いてしまえばいい。

    死を友達にしたからといって、
    今すぐ会いに行く必要はない。

    誘われても、

    💀💬

    今日どう?

    👦💬

    今日は無理。

    でいい。

    そして、
    本当にその日が来たら、

    💀💬

    来ちゃった。

    👦💬

    しゃーねーなー。

    と家を出る。

    死を克服するために、
    死を倒す必要はなかった。

    死を隣に座らせて、
    ドンキのポイントカードを
    持たせればよかったのだ。

    ー

    🐶💬
    
ワンワン!

    ( 楽しんでいただけましたか? )
    
( 今後の 👦 と 🍮 の活躍にご期待ください! )

     
     
    名前は「でいきゅうひゃく」と読みます。 彼女が欲しくてnoteを始めてみました。 敵は理不尽、雑、馬鹿、つまり世界です。 よろしくお願いします💩🦖🪐

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