AI生成物は二次創作になりえるのか
さて、今日の日本や世界において重要な問題であるように見える。
もちろん、二次創作とは?という人もいるだろうし、自分には関係ないという人もいらっしゃる。
そもそも二次創作というものは認められているのか?という問題がある。
今回は、隅に置いておく。
そもそもAIとは、
Artificial Intelligence
の略であり、人工知能と日本語では訳される。
Artificialは
ars(ラテン語)「意味:人の作ったもの」
↓
art(英語)
facere(ラテン語)「意味:する、作る」
↓
fac,fic,fit,fec,fect,feit
al,ual,ial,ar(英語)「意味:ーに関する、ーの、ーの行動」
によってできており、artという言葉はnatural(自然の)の対義語であり
natural が 神によって生まれたもの
artificial は 人が作ったもの
intelligence (語源はラテン語)
は情報と情報の間から選び出す能力という語源イメージがある。
今日のインテリの語源はロシア語のIntelligentsiaであり、これではない。
二つの語句を組み合わせると
「神ではない人が作り出した知能」
となる。
なので、二次創作については、
「神ではない人が作り出した一次創作物に対して、神ではない人がその創作物の名誉を使って、二次創作物を作った」
と言える。
ここにAIを使用した二次創作となれば
「神ではない人が作り出した一次創作物に対して、神ではない人がその創作物の名誉を使って、神ではない人が作り出した知能を使い二次創作物を作った」
となる。
なので、原作は創作物。人力の二次創作は、物まね。AIによる二次創作は物まねの物まねということになる。創作内創作であり、中の中というような複雑な関係性を持つ。
いうなれば
・一次創作はウイルス
・二次創作は発症
・AIによる二次創作は重症化
ここで明記したいのは、二次創作のすべてはグレーであるということである。原作者の見て見ぬふりによって成立しているので、印象がすべてである。だからといって、グレーだから何でも許されるだろうというのは安易な考え方で、制作・制御しているのはすべて生身の人間であるということからも、原作に最大限配慮し且つ名声を求めない活動にしなければならない。
SNSのイイね稼ぎや承認欲求を満たすためだけに使用してはいけない。
なので、こういった部分を守って光の届かない場所でこっそりとやる分には、二次創作たりえると考える。
個人的に作って楽しんだり、限られた人だけで共有したり、その範囲であれば問題ないであろう。
逆説的に
「名声を得たい」
「お金をたくさん稼ぎたい」
「いいねをたくさんもらいたい」
と思えば嫌われる。
実際のSNS上での受け方が関係してくるので、好意的か懐疑的かでほぼ決まる。例え汗水たらして何年もかけて作った自信作も、嫌われれば終わりである。それは、一次創作ではなく二次創作であるから。
ということは、二次創作で本気を出したり、何年もかけて制作したり、名誉欲を満たそうとしたりすること自体が、本質的ではない。それらは、一次創作によって満たされるべきである。
なので、そういった人は自分で原作を作ってほしい。素晴らしいものができると思う。その過程で、自分の成果物をAIに学習させても問題はない。
現在(2026年1月時点)でのAIにおいては上記であるが、これから先のAIは話が変わってくるだろう。
例えば、ある声優の声だけを学習した専用AIや、ある漫画家の絵だけを学習した専用AIが登場すると思う。
著作権を有する会社や、著作権を譲渡して作られたAIは、使用料を払えば利用できるというシステムで
・あの声優の声が欲しい
・あの漫画家の絵が欲しい
という要望を応える。
リスクをクリアしたからこそ、安心して受け入れられるというものだ。
これらは、2030年までには登場するだろう。
そこで、SNS一億総クリエイター時代の先である、SNS・AIルネサンスが訪れるだろう。
その時初めて、しっかりとAIによる創作物も認められ、二次創作においても存在感を示すだろう。
我々がやるべきこと
二つ。
1,脳のトレーニングをする。
2,世間の甘く見ない
情報過多、飽和状態の現在以上にあふれる世の中では、脳のトレーニングをする必要がある。私たちは、あまりの情報の多さから洗脳状態に近い感覚を味わっている。これは依存ではなく、洗脳に近い。
頭を空っぽにするために、禅ブームが訪れるだろう。心を落ち着けて空っぽにする修行に関するものが多く出る。瞑想がより身近になる。
そして、世間を甘く見てはいけない。この情報過多の時代においても、供給よりも需要のスピードの方が高いので、供給が追い付いていない。絶えず新たな需要が生まれ続けているのだ。
世間は新しい物好きである。
AIに乗っ取られる、AIに奪われるなどという甘言に怠けていてはいけない。
世間をよく見てみるとわかる通り、まったく満足していない。
それどころか、人間とAIの両者によって生み出された総量以上の需要を世界は抱えている。まだ足りないようである。
なので、食う食われるではなく、人とAIはライバルである。時に戦い、時に協力していく関係性なので、ここで喧嘩や対立をしていてもしょうがない。
しかし、世間の目は常に人間に向けられている。
AIでもAI生成でもなく、その後ろにいる人間に。
対立しているのは、実は人間同士だけかもしれない。