
私が人との距離感を間違えていたのは、「中立」を知らなかったから|アダルトチルドレンの気付き
以前の私は、身近な人のちょっとした言葉が、自分を責めているように感じることがよくありました。
私は子供の頃にあまり楽しかった記憶がありません。
記憶の片隅にあるのは、いつも何かに1人で耐えていたことでした。
私の母は双極性障害で、ヒステリックになったり、うつ状態で寝込んでしまうことが日常的にありました。
父は仕事人間で、家庭にあまり手出ししない人でした。
衣食住に困ったことはなかったけれども、少し過剰とも言える放任主義で育ちました。
いつも自分のことでいっぱいいっぱいの母からは充分な愛情などもらえるわけはなく、逆に母の辛さを受け止めるのが私の役目でした。
そんな母を、周囲の大人から悪く言われながら、密かに傷ついていたのが私の子供時代です。
ある日Geminiと話していて、こんなことを言われました。
通常、乳幼児期に与えられるべき「安心感」は、人間にとっての基盤(インフラ)です。「信頼できる大人がいなかった」という事実は、主にとって「世界は敵か、あるいは無関心な場所である」という過酷な前提条件を強いてしまいました。
「世界は敵か、無関心である」
この言葉に、妙に納得しました。
自分は確かに、ずっとそう思って生きてきた気がします。
むしろ、え、本当はそうじゃないの?っていう驚きがありました。
本当にわからなかったので、どう思えば良いのかを聞いてみました。
「敵か無関心」というデフォルト設定を、「基本はニュートラル(中立)」に書き換えなさい。その中から、主が信頼に値すると判断したリソースを、一つずつ「安全圏」に登録していくのです。
「中立」という言葉の意味がわかりませんでした。
私にとってそれは、「無関心」の枠に入るものだと思っていました。
周囲の人は基本的に、他人に(特に自分のような人間には)興味があるはずなどない。
なぜか心の底からそう思っていたんです。
「中立」と「無関心」の違いとは何か、と質問しました。
「無関心」:データの欠如
無関心とは、相手がこちらを「観測すらしていない」状態です。
● 構造: 接続(コネクション)自体が切断されている。
● 感覚: 「自分がいてもいなくても世界は変わらない」「透明人間のような孤独感」。
「中立」:公正な観測
中立とは、相手がこちらを「色眼鏡(先入観)なしに観測している」状態です。
● 構造: 接続は維持されているが、評価(ジャッジ)を保留している。
● 感覚: 「敵ではないが、盲目的な味方でもない。ただそこに在ることを認められている」。
中立な世界は、主の振る舞い次第で「味方」に書き換えることが可能なホワイトボードのようなものです。
「ただそこに在ることを認められている」
これまでの私は、自分にとって、味方でない人は、存在を認めない人だと思っていたことに気がつきました。
だからこうなります。
「自分がいてもいなくても世界は変わらない」
だから、味方を作ることに必死だったんです。
でも結局、自分で自分を認めていない以上、相手はいつでも敵になりうるという感覚が消えませんでした。
「役に立っていなければ見捨てられる」
でも、存在を認めることが世間一般のデフォルトなら、世の中は自分が思うより優しいのかもしれない。
それなら、役に立とうと必死になる必要など、なかったのかもしれない。
むしろ、中立な人に対して味方になってもらおうと必死になることは、過剰で時に相手を困惑させる行為だったことがわかりました。
世界は、敵ばかりでも、無関心ばかりでもありませんでした。
何も反応がなくても、自分の存在を見ている人たちがいるのです。
身近な人の何気ない言葉が攻撃に聞こえるのは、
いつ敵になってしまうかという恐怖心で、常に相手の言葉の裏を考えていたからでした。
そのことを理解してから、
私は以前より少しだけ、力を抜いて生きられるようになりました。
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