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(短編小説)国家は、なぜ人々に儀式を繰り返させるのか

    祐一は、会社の課長になってから、人生の大半が儀式でできていることに気づいた。

    朝の挨拶。

    会議での礼。

    入学式と卒業式。

    結婚式と葬儀。

    そして、毎朝、同じ時間に出勤すること。


    四十六歳の祐一は、都内の金融機関に勤めていた。

    妻と中学生の息子がいる。 郊外にマイホームを買い、住宅ローンを返済している。

    傍目には、順調な人生だった。

    けれど最近、彼は考えるようになった。

    「自分は、いつからこの人生を望んでいたのだろう。」と。


    きっかけは、休日に立ち寄った図書館だった。

    仕事の資料を探していたわけではない。

    何気なく手に取った近代日本史の本に、戦前の学校教育について書かれていた。

    教育勅語。

    学校儀式。

    天皇を中心とする国家観。


    祐一はページをめくる手を止めた。

    国家は、法律で国民を統治するだけではなかった。

    学校という場所で、子供たちに同じ言葉を聞かせ、同じ作法を教え、同じ価値観を繰り返し伝えていた。

    儀式は、単なる形式ではなかったのだ。

    もちろん、すべての教育が国家への忠誠を目的としていたわけではない。

    それでも、学校教育が国家の理念を浸透させる役割を担っていたことは、歴史的に確認できる。


    祐一は、自分の小学校時代を思い出した。

    入学式。

    卒業式。

    整列。

    礼。

    起立。

    なぜ、そうするのかを、

    深く考えた記憶はなかった。

    みんながそうしていたから、自分もそうした。

    それだけだった。


    帰宅した祐一は、さらに調べた。

    国旗と国歌についての法律。

    学校の入学式や卒業式をめぐる議論。

    教職員が国歌斉唱の際に起立することを求められ、裁判にまで発展した事例。

    国家の象徴は、ただ掲げられているだけではなかった。

    教育制度や公的な儀式のなかで、具体的な行為と結びついていた。


    祐一は、椅子の背にもたれた。

    国家が、国民に同じ象徴を見せる。

    同じ言葉を歌わせる。

    同じ場面で立たせる。

    そこには、国民としての一体感を育てる働きがあるのだろう。


    ただし、それだけで、人々の内心まで国家が支配しようとしていると断定することはできない。

    法律を制定した目的と、その制度が社会で果たす機能は、必ずしも同じではないからだ。

    祐一は、ノートに書いた。

    「国家の意図と、制度がもたらす効果は、分けて考える」


    自分が金融機関で学んできたことに似ていた。

    融資を実行する担当者の意図と、融資制度が社会全体にもたらす影響は違う。

    個々の行為は善意から生まれても、全体として別の仕組みを支えることがある。


    翌週、祐一は会社の会議に出席していた。

    部下が説明を終える。

    「以上です」

    祐一は頷いた。

    「ありがとう。では、次に進みましょう」

    会議が終わると、全員が資料を片づけ、決められた順番で退室した。

    誰も命令されなくても、誰もが自分の役割を理解していた。

    課長は部下を評価する。

    部下は上司に報告する。

    全員が時間を守り、組織の規則に従う。

    それが会社というものだった。


    祐一は、ふと気づいた。

    自分もまた、この仕組みを維持する側にいる。

    誰かに強制されているという意識はない。

    むしろ、自分は責任感のある管理職だと思っている。

    それでも、毎日の行動を通じて、組織の秩序を次の世代へ引き継いでいる。


    学校で覚えた礼儀は、会社での振る舞いにつながる。

    会社で身につけた責任感は、家庭での役割につながる。

    そして家庭での役割は、住宅ローンや教育費、老後の備えと結びついていく。

    人生は、いくつもの制度が重なり合ってできていた。


    その夜、祐一は窓から東京の灯りを眺めていた。

    国家は、儀式によって何を得るのだろう。

    彼は、もう一度ノートを開いた。

    国民の一体感。

    社会規範の継承。

    権威の正当化。

    そして、社会秩序の維持。


    国家がすべてを計画しているという話ではない。

    けれど、儀式や制度が、人々に社会の一員としての自覚を与え、決められた役割を自然なものとして受け入れやすくすることはある。

    そうなれば、秩序は命令だけで維持されるのではなくなる。

    人々が、自分から秩序を支えるようになる。


    祐一は、そこでペンを止めた。

    自分は、出世したかった。

    家族を持ちたかった。

    家を買いたかった。

    息子には、いい学校へ行ってほしいと思っている。

    それらは、すべて自分の欲望だと思っていた。


    しかし、その欲望の形は、どこから来たのだろう。

    親から聞いた言葉。

    学校で教わった価値観。

    会社で評価される生き方。

    世間が立派だと認める人生。

    そのなかで、自分の欲望は形づくられてきたのではないか。


    もちろん、だからといって、家族を愛する気持ちまで偽物になるわけではない。

    制度に支えられた幸福も、確かに幸福なのだ。

    ただ、その幸福を自分で選んだのか、それとも選ぶことが当たり前だと思っていたのか。

    その違いを、祐一は初めて考えた。


    妻が台所から声をかけた。

    「あなた、ご飯、冷めちゃうよ」

    「ああ、今行く」

    祐一はノートを閉じた。

    国家の仕組みを知ったからといって、明日から会社を辞めるわけではない。

    住宅ローンも残っている。

    息子の進学だってある。

    それでも、ひとつだけ変わったことがあった。

    これまで当然だと思っていた人生を、当然だと思わなくなったのだ。


    祐一は食卓に向かった。

    温め直された味噌汁から、湯気が立っていた。

    その湯気を見ながら、彼は思った。

    社会のなかで生きることと、社会の仕組みに気づかずに生きることは、同じではない。

    自分は明日も、いつもの時間に出勤するだろう。

    部下に挨拶をし、会議を開き、課長としての責任を果たす。


    ただ、これからは時々、立ち止まってみようと思った。

    この行動は、誰のためにあるのだろう。

    そして、もうひとつ。

    この人生は、本当に自分が望んだものなのだろうか、ということを。

     
     
    銀行、証券での勤務経験。40代。 最近、短編小説を書き始めました。

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