メインコンテンツへスキップ
見出し画像

正座ができません。椅子に座るのは失礼でしょうか。|聞きづらいから、私が書きます。③



    ⸻

    🌱 はじめに


    法事へ参列することになった時。

    こんな不安を抱く方がおられます。

    「膝が悪くて、正座ができません。」

    「自分だけ椅子に座ったら、失礼でしょうか。」

    「途中で足を崩したら、故人に申し訳ないでしょうか。」

    周りの方が正座をしている中で、自分だけ姿勢を変えることに、後ろめたさを感じる方もいらっしゃるかもしれません。

    けれど、最初にお伝えします。

    椅子に座っても、足を崩しても、失礼ではありません。

    痛みに耐え続けることが、故人様への敬意ではないからです。

    ⸻

    🌿 私のお寺では、すべて椅子席です。


    楽満寺でも、私が兼務しているお寺でも、法事の席はすべて椅子にしています。

    今は、ご高齢の方だけでなく、膝や腰に痛みを抱えている方も少なくありません。

    外からは元気そうに見えても、

    長時間座ることが難しい方。

    立ったり座ったりする動作に不安がある方。

    妊娠中の方。

    怪我や病気を抱えている方。

    それぞれに、周りからは分からない事情があります。

    そうした方々が安心して手を合わせられるようにするためにも、今のお寺に椅子は欠かせないものだと感じています。

    法事以外でも、年始のご挨拶に来られた方には、これまで座布団をご用意していました。

    しかし、これからは椅子席に変えていきたいと思っています。

    「昔から座布団だったから。」

    それだけの理由で、皆さんに無理をさせる必要はないからです。

    ⸻

    🍃 ご自宅での法事は、少し事情が違います。


    お寺では椅子をご用意できます。

    しかし、ご自宅で法事をする場合は、そうはいきません。

    お仏壇の前には座布団が敷かれ、人数分の椅子を用意することが難しいご家庭もあります。

    そのため私は、法事を始める前に必ずお伝えします。

    「私は坐禅も正座もプロなので平気ですが、皆さんは無理をしなくて大丈夫です。」

    少し笑っていただいたあと、

    「お経はだいたい二十五分ほどです。」

    と、おおよその時間もお伝えします。

    そして、

    「正座でも、あぐらでも、足を崩しても構いません。」

    「近くの椅子へ腰掛けても大丈夫です。」

    「ご自身が一番無理なく過ごせる姿勢でお座りください。」

    とお話しします。

    先が分からないまま座り続けるのと、「二十五分ほどです」と分かったうえで過ごすのとでは、心の負担も違うからです。

    法事は、我慢大会ではありません。

    ⸻

    🙏 姿勢を整えることには、確かに意味があります。


    私は、正座や姿勢を軽く考えているわけではありません。

    修行道場では、読経も坐禅も食事も、一つひとつの姿勢や所作を大切にしてきました。

    身体の中心を意識して坐る。

    背筋を伸ばす。

    呼吸を整える。

    落ち着いた手つきで、丁寧に動く。

    姿勢が整えば、呼吸も整います。

    呼吸が整えば、心も少しずつ落ち着いていきます。

    僧侶は、言葉で説明するだけではなく、自らの姿勢や所作を通して、修行してきたものを示す役割もあると思っています。

    参列された方が僧侶の姿を見て、自然と背筋を伸ばしたり、静かに手を合わせたりする。

    そのような、言葉にしないお手本も大切です。

    だからこそ、私たち僧侶は姿勢を整えます。

    しかし、ここで混同してはいけないことがあります。

    僧侶が修行として姿勢を整えることと、参列された皆さんが痛みを我慢することは、同じではありません。

    ⸻

    🌸 修行で苦しさに向き合うことと、法事で無理をすることは違います。

    修行では、苦しいことから学ぶ場面があります。

    自分では限界だと思っていたところから、もう一歩踏み出す。

    これまで自分の中にあった物差しを伸ばす。

    二十年間で身についた思い込みや偏見を一度壊し、分からない世界にもひたむきに向き合う。

    そうすることで、初めて見えるものもあります。

    けれど、それは修行者が自ら選び、修行の場で向き合うものです。

    法事に来られた皆さんへ、

    「私たち僧侶も耐えてきたのだから、同じように耐えてください。」

    などと言うことはできません。

    膝を痛めながら正座を続けて、何を得るのでしょうか。

    足のしびれや痛みに意識を奪われ、故人様のことを考えられなくなってしまったら、本来の法事から離れてしまいます。

    その場に集まった方々には、それぞれ違う生活があり、違う身体があり、違う事情があります。

    その皆さんが同じ日に集まり、故人様へ心を向ける。

    法事で一番大切にしたいのは、その時間です。

    そして、落ち着いて故人様と向き合えるようお手伝いすることが、僧侶の務めではないでしょうか。

    ⸻

    🍀 正座から急に立つことの方が、私は心配です。


    無理な正座は、失礼かどうか以前に危険です。

    長く正座やあぐらをしたあと、足がしびれた状態で急に立ち上がると、身体を支えられないことがあります。

    足首へ急に体重がかかり、捻ってしまうこともあります。

    転倒し、大きな怪我につながる恐れもあります。

    ですから、足に不安がある方は、焼香のために無理に立ち上がる必要もありません。

    ご自宅での法事では、私は回し香炉を使うことがあります。

    香炉を一人ずつ手渡しし、その場に座ったまま焼香していただく形です。

    その際も、

    香炉を両手でしっかり持つこと。

    次の方がきちんと受け取ったことを確認してから、手を離すこと。

    この二つを大切にしていただきたいと思っています。

    香炉の中の香炭は、大変熱くなっています。

    作法を完璧に行うことよりも、まず安全に行うことの方が大切です。

    ⸻

    ☘️ お焼香ができなくても、供養ができないわけではありません。

    足や身体の状態によっては、焼香そのものが難しい方もおられます。

    その場合は、隣の方に代わりに焼香していただいても構いません。

    座ったまま、静かに手を合わせても構いません。

    体調が優れなければ、法事をお休みしても構いません。

    「休んだら、罰が当たるのではないか。」

    そう心配される方もいるかもしれません。

    大丈夫です。

    そのようなことで、罰は当たりません。

    法事に来なかったことで、周りの方から何か言われてしまうことは、もしかしたらあるかもしれません。

    それでも、ご自身の身体を第一に考えてください。

    法事へ出席できなかったとしても、

    自宅で手を合わせることはできます。

    ふと故人様を思い出した時に、心を向けることもできます。

    時間が空いた時に、静かに手を合わせることもできます。

    供養は、決められた一日に、決められた姿勢でなければ成立しないものではありません。

    ⸻

    🤲 最後に、お伝えしたいことがあります。


    法事を終えたあと、

    「自分だけ椅子に座ってしまった。」

    「途中で足を崩してしまった。」

    そう後悔されている方がいるなら、私はこうお伝えしたいです。

    大丈夫です。

    何も問題ありません。

    あなたが故人様へ向けた思いは、十分に伝わっています。

    日にちを合わせ、

    時間をつくり、

    故人様のために手を合わせた。

    その事実が、姿勢一つで消えてしまうことはありません。

    正座ができなくても大丈夫です。

    椅子に座っても大丈夫です。

    足を崩しても、車椅子のままでも、途中で姿勢を変えても大丈夫です。

    事情を説明できなくても、無理をする必要はありません。

    今できる、ご自身なりの形で手を合わせてください。

    それが、その方にとっての大切な供養です。

    だから、どうか安心してください。

    聞きづらいことがあれば、これからも私が書きます。

     
     
    お寺に生まれ、大学を経て、修行生活5年。 今は生まれ育ったお寺で精進中。 元脂肪と闘う修行僧🧘 90kg越えから1年で−20kg達成❗️ 目標  30歳でマラソン大会金メダル🥇 三本柱で2.3日に1回投稿 ①記録と闘う修行録 ②聞きづらいから、私が書きます ③若僧の教訓話

    あなたへのおすすめ